「せんぱーい、彼女さん待ってますよー」
「彼女じゃねーっての!」
「ハイハイ、主将は道場の鍵閉めなきゃいけねーんだから、お前らとっとと帰る。訓が帰らないと、一流ちゃんずっと待たなきゃいけないだろ」
部員全員帰宅したのを確認して俺は鍵を閉めた。夏が終わって、主将を引き継いで一ヵ月も経ち、
俺の覚束ない主将姿も親友の助けもあり、それなりにみれるようになってきたんじゃないかと、
胴着を背負いながら自画自賛してみたり。とうの親友は気をきかせたつもりなのか先に帰っていた。
「それじゃ、いこうか?」
校門の前で待っていたいちるが俺の横に並んで歩く。
「う〜眠い……」
俺といちるはこれから塾だ。部活後の塾ほど疲れるものはない
と、いちるはカバンの中からクッキーを取り出す。いちるの手作りだ。蜂蜜入りでコレがまた疲れた体に効く。
「餌付け、餌付け」
「わんわん」
俺はだらしなく体を弛緩させながら、いちるのクッキーをねだった。
砂奥一流(スナオク イチル)と俺、乙古訓(オトコ クン)は幼なじみだ。
といっても俺は公立の平凡な中学、いちるは私立の一貫校。
俺たちの住んでいたところはこの市じゃ旧武家屋敷だった場所で、そんな場所は、
江戸時代から続く地元の名家名士の家か、公務員の宿舎が並んでいるのが相場である。
いちるの家は前者で俺の家は後者だ。昔はそんなこと知らないで遊んでいたけど
いい加減十も幾つになったらそれぞれの場所で人の輪をつくるもんだと思う。
俺は小五の時はじめた柔道が面白かったし、年頃のテレもあって男友達とつるむようになってた。
それでなくても小学校の頃から制服だったいちるは外で遊ぶときは、
土まみれになってしまうから、一人で俺たちを見ていたんだ。それが俺は嫌だった。
なんかいちるが除け者みたいで。いちるの名誉の為に言うと、いちるは決して運動音痴じゃなない。
むしろ、現在バドミントン部でレギュラーとってるぐらいには動ける。
「あのさー……いや、なんでもない」
“別に俺を待たなくてもいいんだぞ”と言いかけて口をつぐむ。
いちるが俺を待っているのは今にはじまったことじゃない。
中学に入ってからずっとだ。普通の公立中学の校門にエリートさんの学校の制服を着た女の子がいれば嫌でも目立つ。
その上、嘘というか、噂も続けば真実となるのか、今じゃ周りはいちるのことを俺の彼女だと思ってる。
いちるはひいき目に見なくても美人だと思う。セミロングに切り揃えられた黒髪は艶やかで、肌は雪のように白い。
少し色素が薄いのか、瞳は琥珀色で、書いたように細く真直ぐな眉がともすればやや幼く見える顔立ちを引き締めている。
昔いちるの家で日本人形を見たとき、いちるみたいにキレイ……と俺は彼女の前で言ったらしい。
俺は覚えてないがいちるがことあるごとにからかうのでそうなんだろう。
まぁとにかくいちるは美人なんだ。最近じゃ身体つきもグンと女らしくなって……ゴホゴホ
ま、俺にとっていちるは幼なじみだったんだけど、そんな俺でもいちるに女を感じてる。
いちるの部活の試合を見にいったときも、ポニーテールに縛った髪から見えるうなじにドキドキしてしまった。
そんな訳で俺は周りからいちるの彼氏だと思われるのは悪い気分じゃないんだ。
でも俺なんかが彼氏だと思われてるいちるになんか申し訳ないっていうか……釣り合わないよなぁ
ひょっとしていちるは向こうの学校でうまくいってないのかな?と思ったりもしたが
件の部活の様子をみるととてもそうには見えなかった。むしろいちるはみんなの中心人物だったぐらいだ。
「何?ハッキリしないなぁ?」
「あ、いや……」
言い淀む俺にいちるは聞き返す。いちるに真っ直ぐ見つめられると、俺はどうにも嘘がつけなくなる。
「俺を待ってると大変だろ?」
「別に。だって通り道じゃない」
「そりゃ、塾との間に学校はあるけどさ……」
いちるの学校から俺の学校を経由して塾にいくと、丁度“く”の字に迂回する形になる。間にあるけど遠回りには違いない。
「それじゃあホラ、女の子の一人歩きは危険だってコトにしよう。訓ちゃんが一緒なら私を守ってくれるからね」
「ああ、それは守るさ」
「うれしいね」
いちるが俺の顔を覗き込んで笑う。

ついこの間まで同じくらいだった身長は、今では20�も違う。
いちるが無邪気に繋いでくる手も、俺の硬い手と違って柔らかい。
「なあ……いちる……」
「何?」
俺はいちるの目を見ないようにしながら、「手を繋ぐのは辞めないか」と言おうとして
「寒く…なってきたな、最近」
「ん…」
暖かいいちるの手を俺は強く握っていた。結局俺は、この関係を手放すのが惜しいと思ってるみたいだ。
「鍛え方が足りないな」
「そう?訓ちゃんは寒がりだったんだから、昔に比べれば凄い進歩だと思うな」
「昔の方が良かったよ」
「変なの」
そう言ったいちるが、手だけでなく腕まで繋いで身体を寄せてくる。
「いちる!?」
「くっつけば暖かいかなと」
ふわりといちるの髪の匂いが花をくすぐった。
「い、いい!もう寒くないから!!」
「今度は私が寒いんだ」
嘘だ……!メチャクチャ暖かいじゃないか!あと、すっごく……柔らかい。
「いちる〜〜〜!!」
「そんな顔しなくたっていいじゃない。傷つくよ、私魅力無い?」
あるから困るんだろ!と言えたらどんなに楽なコトか。
それに今はまだウチの中学の学区内。俺みたいに部活帰りの生徒や、ファーストフード店でダベってた生徒が
何人か俺達を目撃していた。これでまた、俺といちるが恋人同士っていう噂が加速していくコトは間違いない。
「俺達、ただの幼なじみだろ」
「それが?」
聞き返してきたいちるの目がなんだか冷たい。が、負けるな俺!
「幼なじみはこんなことしないの!」
「それを証明するものは?」
…………はい?
「統計学的に幼なじみがするべき行動を示してくれるなら、訓ちゃんの言うことにも従うけどね。
 訓ちゃんのいう「こんなことしない」は、訓ちゃんの主観であって、客観性を欠くんじゃないかと思うんだ。
 尤も、私も訓ちゃん以外の幼なじみを知らないし、幼なじみの統計も知らないから、私のしてることが
 必ずしも幼なじみとして正しい行動とは証明できないけど、それは訓ちゃんも一緒ってコトでしょ?」
うぅ……いちるが何を言ってるか分からない、分かりたくない。
そうなんだ、俺はいちると喧嘩して一度だって勝ったコトが無い。常に言い負かされてきた。
いちるは頭がいい。学校の成績はもちろんのコト、頭の回転自体が早いのだ。なので弁論じゃ勝つことは出来ない。
かといって、(例え幼少の頃であっても)女の子を殴るのは絶対に出来ない。
そして俺は悟ったのだ。こうなったときの対処方を……!!
「ア〜ア〜(∩゚д゚) 聞こえない聞こえない」
「あーまたぁ……」
聞こえない、聞こえない、ア〜ア〜
「ちょっとぉ……」
聞こえない、聞こえない、ア〜ア〜
「もう……」
聞こえない、聞こえない、ア〜ア〜
「…………大好きだよ、訓ちゃん」
聞こえない、聞こえない、ア〜ア〜
「わかった、わかった、離れるから」
聞こえない、聞こえない、ア〜ア……っと、ようやく離れてくれたか。
「まったく、子供みたいだね」
「いちるの口がいけないんだ」
「じゃあ黙らせればいいのに」
小首を傾げるいちるは笑っている。
「無理無理、言葉じゃいちるに勝てやしない」
「じゃあ……無理矢理黙らせるとかは?」
物騒なコトをどこか楽しそうにいちるは言い出す。
「あのなぁ、いちるを守る俺がいちるを傷つけてどうするんだよ」
「はぁ〜…」
な、なんで溜息をつくんだよ……

「手じゃなくて、別の場所で黙らせるんだよ」
「は?なんだそれ」
「教えない。宿題ね。いつか分かったら実践してみること」
いちるとはずっと一緒だったから、いちるの考えてるコトは大抵分かるつもりなんだけど
最近はそうでもないというか、時々いちるの考えが読めない。
いや、なんでいちるがずっと俺を待っているのかも読めてないから、時々ってレベルじゃないのかも知れない。
でも、いちるは俺のコト分かっているのかとも思う。お互い、少しずつ知らないことや分からないことが増えていく。
そんなもんだろうと、納得してる自分が居て、でもいちるが遠いところにいったような気分になるのが辛い自分も居る。
「訓ちゃん」
「なんだ?」
「ちょっと時間不味いかも。早足ね」
いちるが腕時計を見る。ちなみにその腕時計、俺の小遣い三ヶ月分。
去年のいちるの誕生日に買わされたものだった。俺はあの時、“ねだる”って“ゆする”と同じ漢字を書くんだと知った。
抵抗したさ、俺だって抵抗したんだ。しかし幼なじみのいちるは俺の恥ずかしい過去も満遍なく知ってるからな……シクシク


塾は学力ごとにクラスに別れている。俺といちるは同じクラスだ。このクラスにはやっぱりいちると同じ学校のヤツが多い。
それで心なしか、男子からの視線がキツく、女子からの視線は値踏みをしてるかのようだ。
それだけでもいちるの学校での彼女の人気がわかると言うモノ。そしてやっぱり彼氏と勘違いされているんだろうなぁ……
席は自由なので、遅れてきた俺達は後ろの席に座る。ウチの学校の連中だったら前の席が空いているんだろうが
流石にこのクラスは前の席から埋まっていく。教室に時計は無いが為に、隣に座っているいちるの腕時計を覗くと丁度五分前。
「ギリギリだったな」
鞄から筆記用具とノートを出しながら、そんなコトを埒もないコトを言うがいちるに反応は無い。
「いちる?」
「え?……ぁ、そうだね」
「いちる?変だぞ」
いちるは歯切れの良い女だ。言い淀んだりすることは珍しいし、話を聞いてない時は聞いてなかったと言う性格だ。
「人を邪険にしたり、変って言ったり、今日の訓ちゃんは意地悪だなぁ。ホラ、先生来たよ」
「…………」
それからの教室は静かなもので、講師の講釈と生徒の応答とノートに走るシャーペンの音しか聞こえない。
複雑に交差された図形の特定の角を求めるので俺の頭は精一杯で、その間だけはいちるのコトを忘れていた。
塾は60分×3コマで、終わる頃には十一時をまわる。1コマめの数学の授業と違い、2コマ目の英語に俺は集中できなかった。
「…はぁ…はぁ…」
妙に隣のいちるの息が耳に残る。というか、色っぽい……じゃなくて、普通の呼吸とは違う。
よく見ると汗をかいているみたいで、夏服が透けてブラジャーが……じゃなくて、教室はエアコンが効いていて暑いということはない。
「いちる、お前さ……」
2コマ目の後の休み時間、俺はいちるに確認する。
「何…?」
「具合、悪いだろ」
「………」
いちるの沈黙を俺は肯定とみなした。いちるは基本的には素直なんだが、俺の前では無理をするコトが多い。
それを以前指摘すると、「見栄だね」といちるは答えた。今更俺の前で見栄なんてはる必要ないだろうと言い返したが
いちるは「訓ちゃんの前だからでしょ」と当たり前であるかのように答えた。意味が分からない。
「兎に角、おばさんに連絡して向かえに来て貰おう」
「……母さんと父さんは今日は旅行にいってる」
「参ったなぁ……家の親父も今日は飲み会だっていうし」
「大丈夫、別に具合悪くないとか、そういうコトは無いから」
いちるが言い返した時、丁度3コマ目のチャイムが鳴った。
「次の理科、後半は小テストでしょ。点数悪いとクラス変わるよ?」
「理科苦手なの、いちるの方だろ」
もしかして、だから平気なフリをしてるのか?
「いちる、お前さ…」
「平気だからさ」
無理してるいちるに、流石の俺もイラっと来た。いちるの髪を掻き揚げて耳朶を摘む。
「何するの!?」
「耳朶って、身体で一番冷たい部分なんだ」
「だから何よぉ…」
いちるは多分、次に俺が言うことを理解して尚、駄々をこねてると俺は思った。
「熱いんだけど」
「……温度計でも当てて見なきゃ分からないでしょ」

「子供の屁理屈」
「子供だもんね」
何で熱あるのに、コイツはこんなに頭が回るんだ。
「おい、おまえら〜いちゃつくのは授業終わってからにしろ〜」
中年の科目に似合わず体格の良い理科講師が、俺達に向かって注意をする。
教室中の視線が集まっていた。
恥ずかしいが、これ幸いといちるが具合が悪いコトを伝えて家に帰そうと、俺は口を開いた所で足を思いっ切り蹴られた。
「〜〜〜ッ!!」
柔道の試合でもこんなに痛かったコトはない。犯人を見ると、「イッタラコロス」と目が雄弁に語っていた。
(いちる!)
いちるはキングコングで俺は手の中の美女というぐらいの力関係を強制するいちるのオーラ
しかし、当のいちるの身体のコトだ、俺も引けない。
ノートに文字を走らせると、いちるに俺の意思を伝える。
(黙って帰れ。もし大変な病気だったらどうするんだ)
(多分、風邪だから大丈夫。今朝も少し咳と熱があったから薬飲んできたし)
(薬飲んでも具合悪いなら悪化してるじゃないか!)
(あと一時間ぐらい平気)
(別にいいだろ、理科ぐらい。俺もついて行くから)
(訓ちゃんも?)
(そうだよ。女の子の一人歩きは危険だからな)
(……うん)



結局折れたいちるは、俺と一緒に塾を早退した。といっても、もう十時を過ぎてるけど。
街灯のオレンジ色の光が俺達を照らして、まばらな間隔で自動車が通り過ぎていく。
「朝から具合悪かったって?」
「うん」
「だったら、外で俺を待ってたりするなよ」
「待つよ」
俺に寄りかかりながら、それでもしっかりと言葉を返すいちる。
「あのなぁ…」
「ねぇ、おんぶして」
俺の腕を掴むいちるの力が少し強くなった。
「え?」
「歩くの辛いしね」
「だったらタクシー…」
「おんぶがいい」
まあ、昔はよくしたよな……と俺は少し懐かしがりながら、いちるの我が儘に答えた。
が。
(もう、昔じゃなかったんだよな……)
いちるは制服だ。スカートだ。おんぶをすると必然的に俺はいちるの素足に触れるコトになる。
だけじゃない。背中にいちるの胸と鼓動を感じるし、首や耳にいちるの吐息がかかる。
(し、心頭滅却、心頭滅却……)
自分の不純さに吐き気がしそうだ。いちるは純粋に幼なじみである俺を頼ってるのに、こんな時にでさえ、俺は男になってる。
「背中、暖かいね」
「いちる?」
「さっきまでずっと寒かったんだけど、今とっても暖かい」
いちるは俺の背中に身体を密着させてくる。
「そ、そ、そっか、よかったな」
「訓ちゃんは?寒くない?」
「…………暖かいよ」
「熱あるもんね、私」
いちるが笑っているのを、俺は背中で感じた。
「いや、俺はいちるが傍に居るだけで暖かい……」
「え……?」
「あ、いや、……なんでもない」
思わず口にしていた言葉に、俺自身が途惑っていた。
それは俺の素直な気持ちだった。あまりに素直すぎて、俺は途惑った。
「……私も訓ちゃんが傍に居るだけで暖かいよ」

「え?」
「なんでもない」
「な、なんでもないって……ん?」
なんか急にいちるが重たくなった気がした。
「おーい、いちる」
「………」
へんじがない。ただのしかばねのようだ。
「って、しっかりしろ、オイ!急ぐぞ!走るぞ!いいな!!」
もう住宅街に入っている。タクシーを探すよりは走った方が早いだろう。
空は晴れていて、星がきっかりと見えていた。秋風は澄んで頬に冷たい。
そんな夜道を走っていった。



朦朧とするいちるから鍵を受け取って、いちるを部屋に寝かせた。
いちるの部屋に入るのは久しぶりで、普段なら女の子の部屋にドキドキしてただろう。
尤も、いちるの具合の悪いこの状況ではそんな余裕はなかったけど
しかし、勝手知ったる他人の家……何年かぶりだけど、風邪薬とタオルぐらいはどこにあるか分かる。
「いちる、いちる……」
「訓ちゃん…?」
ボーッとした目で、いちるが俺を見る。いちるのこんな表情は初めてかも知れない。
「薬、飲めるか?」
「うん。飲ませて」
「どっちだよ」
苦笑しながら、もう一度訊ねる。
「口移しがいいなぁ……」
「あのなぁ」
俺が怒ると、いちるは笑った。
「コップ持つの辛いから、そこは支えてて……」
「わかった」
俺の手の錠剤を口に含むと、俺は濯ぎすぎないように気をつけながら、いちるの口にコップを添える。
「もういいか?」
「ん…」
いちるの目が肯定を示すのを見て、俺はコップを下げた。
「水枕とかあればいいんだけど……家から持ってこようか?」
家にいって取ってきて戻ってきても10分かからないだろう。
「いいよ。その代わり、訓ちゃんが一緒に居てくれれば」
「わかった。おばさんに連絡は」
「いいよ、折角夫婦水入らずで旅行なんだしね」
薬を飲んで少し元気になった……そんなに早く効き目があるはずはないけど、俺はそんな気がした。
「暑いなぁ…」
「我慢しろ。熱で風邪を殺すんだから」
そうは言いながら、俺はいちるの額のタオルを代えてやる。ああ、意外と過保護だな、俺。
「服、汗でビショビショだし」
「俺にどうしろと……」
「拭いてよ」
真顔でいちるは言う。
「こんな時でも俺をからかうのはよせよ」
「私、訓ちゃんをからかったことなんて一度もないよ」
二人の間に沈黙が過ぎる。
「あのさぁ、こんなコト言ったらヒくかも知れないけど、俺、男なんだ」
「私、女だよ」
「だから!……お前の身体なんて拭いたら、理性……保てない…から……」
ああ、言ってしまった。
これで、もしかしたら今までみたいな幼なじみの関係に戻れないかも知れない。
でも……丁度いい機会だったかも知れない。
「でもさ、今日この家には私と訓ちゃんしかいないんだよ?」
「はい?」
しかし、いちるから帰ってきた言葉は、俺の予想外のものだった。
「訓ちゃん、言ったよね?一緒に居てくれるって。私が眠って、朝起きて、訓ちゃんが居なかったら約束破りだね」

「え…ぁ…そう…かな……」
正直考えてなかった。取り敢えず今はいちるを寝かせるコトしか頭になかったから。
「私の身体を拭くのは問題で、一夜を供にするのは問題じゃない?」
「い、一夜を供にするって、言い方が問題あるだろ!」
「私の身体を拭くと理性保てないけど、二人しかいない家で私が無防備に寝てる傍にいても理性保てるんだね」
なんか話が変な方向にいってる。いってるんだけど、俺はそれを戻せないでいる。
「制服、皺になると困るんだよ……脱がせて」
「いちる!だから!!」
だからの次が出てこない。俺はいちるに何て答えたいのか分からない。
俺はいちるをどうしたいのか分からない。俺はいちるとどうなりたいのか分からない。
「いちる……幼なじみにしちゃ、俺に依存しすぎてないか?」
「私だって訓ちゃんにお弁当やおやつ作ってあげたり、勉強教えてあげてるよ」
「でも……俺には俺の生活があって、いちるにはいちるの生活があるだろ?いつまでも昔みたいにはいかないだろ?
 いつまでも……俺を待ってたりするな。違う……学校なんだから。そりゃ、休日に遊ぶのとかはいいけど
 俺だって柔道部の主将になってこれから忙しくなるし、練習も遅くまでかかるかも知れない。
 それで今日みたいなこと起きたら、俺は俺が許せないし、いちるにも良くない」
いつか言おうと思ってたことを口にする。
それも、いちるは熱で上手く言い返せないであろうタイミングで。
卑怯な自分が情けない。
そしてそれ以上に、心臓が裂けそうなぐらい、辛い。
いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ。
俺はいちるに待っていて欲しい。いちると今の関係を続けたい。
でもいちると俺はただの幼なじみだ。偶々家が近くで、歳が近くで、そんな偶然で生まれた関係だ。
「迷惑……だった?」
「………」
「嘘だよね」
何で、いちるはこうも俺の心を見透かして居るんだろう。
「迷惑じゃなかった。けど、いちるの為にならない」
「どうして?わかんないよ。なんでいつも訓ちゃんはそうなの?一緒にいて楽しいよね?私はわかる。
 だって、いつも訓ちゃんと一緒だったから。訓ちゃん、私のこと嫌いじゃないって。なのに距離を取ろうとするの?」
熱のせいか、なめらかに喋ることは出来ないけれども、それでもいちるの声はハッキリと澄んだ声で聞こえた。
「だって、俺とお前じゃ釣り合わないだろう?」
「何が釣り合わないの?」
きょとんと、心底わからないといった目でいちるが聞き返す。
そう、いちるはわからないんだ。
それが、俺の中で一種の怒りになって、つい、絶対いちるの前では言うまいと
そう思っていたモノを全部、全部、吐き出してしまう。
「全部。この家だったそうじゃないか。部屋が沢山あって、高そうな調度品があって……国の借り屋とは違う」
「でも私の家も、訓ちゃんの家も、私達の持ってるものじゃない。だから私達同じじゃない」
「いちるは頭だっていいじゃないか」
塾のテストや模試で、俺はいちるに勝ったことが無い。
「訓ちゃんだって学校じゃいっつも上位でしょ?」
「俺ぐらいの奴、いちるの学校に掃いて捨てるほどいるだろ」
「掃いて捨てるほどはいないよ。一貫校だからって努力しない子もいるし」
「いちるの学校は部活も強いし……」
いちるはバドミントンで県大会までいった。俺は市大会止まり。それも負けたのはいちるの学校だった。
「この前の団体戦、訓ちゃんだけは勝ってたよ。」
「それでも負けたことに違いはない。いちるの学校に……負けたんだ」
「私だって、負けたんだけどな。つまるところ負けない学校なんて一つしかないんだし」
「違う……いちるの学校に負けたのが悔しいんだ」
財力でも勉強でもスポーツでも俺より優れた奴がいちるの傍には沢山いるんだ。
「そいつらの方がいちるには相応しいんだ」
「……いちる?」
「今わかった。訓ちゃんは、そんなコト考えてたんだね」
そうだ、と肯定するのはとても女々しい。情けない。けど事実だった。
「おかしなの」
「何が」
「どう考えたって、訓ちゃん並の男の子なんて早々いないのに。仮想敵相手に頑張りすぎだよ」
いちるは心底おかしそうに笑った。俺が載せたタオルがずり落ち、咳と笑い声が混じって呼吸が苦しそうになっている。
「訓ちゃんね、それ逆だね。私の方が釣り合わないなって思うときあるから」

あげく涙まで流し始めたいちるは、その涙を拭いながら反論した。
「そんなこと無いだろ」
「あるよ。頭もいいし、柔道も強いし、みんなから信頼されてるし、背も高い方だね。顔も人並み以上だよ、自覚無しだけど」
「それな、お前の方が頭いいし、お前の方がバドミントン強いし、人の輪の中心だし、容姿は人並み以上どころか
 街を歩けば歩いてる人は視線で追わずにはいられないレベル。自覚あるのかないのかわからないけど」
「うれしいね。訓ちゃんに美人って言われたよ。でもね、もう一つあるの。絶対に私が訓ちゃんにかなわなくて、
 それで、その一つで今まで言った全てが例え訓ちゃんが私より下でも取るに足らないコト。わかる?」
いちるは涙を拭った手で俺の頬に手を当てた
「努力家なところ。頭がいいのも、柔道が強いのも、みんなから信頼されてるのも、みんなみんな、その結果に過ぎないんだよ」
言い切った後、いちるは深呼吸をして、何か決心したようだった。
「そんなところが、私は、砂奥一流は、女として乙古訓に惹かれたの」
いちるの熱っぽい息が、俺の顔に近づいたと思ったら、頬に柔らかな感触が当たった。
「いちる……!?」
突然の頬へのキスに、俺は途惑うしかない。
「だから、そんな人と幼なじみとして知り合えたコトに私は感謝している。生まれた家とか能力とか関係ない。
 訓ちゃんがそんな人だったから、私は訓ちゃんと幼なじみとは違う関係になりたいと思った。なれるよう頑張ってもみた」
いちるは胸を張っている。その言葉に偽りも後悔も何一つ無いといった顔だ。
そうか……そうだったんだ……
俺の片思いじゃなかったんだ。いちるは俺のこと……好きって……
「でも、今のは告白じゃありません」
「え?!?」
「だって、私も女の子だからね」
先ほど俺の頬に触れた唇に人差し指を当てて、いちるは悪戯っ子の様に笑う。
「告白は男の子からされたいということだね」
「いちる……それは……」
「私は訓ちゃんと違って自信あるから。訓ちゃんの周りにいるどんな女の子より、訓ちゃんの一番である自信」
気づくと手を握られていた。言葉でも身体でも逃げる道は無いと言うことだろう。
もっとも、逃げつつもりは更々ない。男が廃る。
「いちる、目を瞑ってほしい」
「えっ……うん……」
いちるの肩に手を添えて、二人の距離を詰める。
俺の唇がいちるに触れた。
「…………唇じゃないの?」
おでこを不満そうに撫でるいちるに、少し逆襲してやった気分。
「順番が逆だろ?告白前にキスなんて」
「言葉より行動で示してくれるのかと思った」
と、口を尖らせつつ、俺の告白をいちるは待つ。
「あ〜でもな、俺を好きになった奴は大変だぞ?当分告白する気、ないからな」
「え〜〜」
いちるが悲鳴に近い声をあげる。
「俺はな、自分が惚れた女はしっかり守りたい。もっと言うと養っていける位でありたい。気がはやいって笑うか?」
「笑わない。私も惚れた男には末永く可愛がって貰いたいものね」
「だから惚れた女とは最低限同じ高校に入りたいし、素人が束になっても楽に倒せる位の力も欲しい
 俺の惚れた女は極上の女だから、俺も極上の男になりたいと思うんだ。俺が凡人のくせに努力したのはただそれだけの為だから」
いちるが目を大きく見開いた。
「いちるの為だけに、努力してきた。まだ到達点じゃないんだ。だから待ってくれ」
「……それって、告白にもなっちゃうね」
「そうかな?」
「うれしいな。私は二回も、大好きな、愛してる人に告白されるなんて。風邪もひいいてみるもんだね」
いちるは静かに目を閉じて、何度も、何度も俺の言葉を噛みしめてるようだった。
「訓ちゃん、身体、拭いて?」
「あのな……」
「今、すごくふわふわしてるから、夢みたいで怖いの。だから、訓ちゃんがいるって、現実だって確かめさせて?」
結局俺はいちるに勝てない。
それに、いちるの汗もひどかったのも事実だった。
「……脱がすぞ」
「うん」
ブラウスのボタンを一つずつ外していく。汗で肌にピッタリとくっついた生地が、剥がれていく。
「ぁ……」
いちるの吐息に、手が止まる。拒絶されるはずが無いと知っていながら、なんて臆病。

「腕、動かして。袖が脱げないから」
「ん……」
すらりと伸びた白い二の腕、指先、いつもは白磁の肌が今日は熱でほんのり朱が混じっている。
「ブラジャーも……」
「う……」
いちるの懇願に、極力見ないようにしていた胸部を認めてしまう。
桃色のブラジャー。なんで女性の下着はあんなに凝った意匠なのだろうと、埒もないコトがよぎる。
夏の暑い日に透けて見えた、形のよい乳房。屈んで俺を見上げた時に見えた、谷間。
それが目の前にある。
つい、唾を飲んだ。
「……ッ!!い、いまのは違う!決してやましいつもりじゃない」
慌てて弁明するが、違うならばなんだというのか。
「キツイから……はやく」
「はやくって……外し方、わからないし……」
「フロントホックだから、ホラ真ん中にあるでしょ」
真ん中って、そ、そこに手を伸ばすのか!?
「う、ご、ゴメン……」
「なんで謝るかなぁ」
直視しないように下方45°に顔を向けながら、四苦八苦してホックを外す。
制約から解き放たれた柔肉が揺れるのを感触で感じた。
(う、うわぁ……)
これで直視したら、俺、どうなっちゃうんだろう……
「楽になったよ、ありがとう訓ちゃん」
「あ、あぁ……」
「汗、拭いて、ね?」
「あ、あぁ……」
タオルを手に、いちるの手から伝って身体を拭いていく。
力を入れすぎないように、優しく包むように。
「ん……」
鎖骨に溜まった汗を拭いたとき、いちるの吐息が1オクターブ上がる。
その声の艶やかさに、理性がジリジリと削られていくのがわかる。
「む、胸も拭かないと?」
「駄目」
「わ、わかった……」
俺の手はゆっくりといちるの身体を落ちていく。
なだらかな膨らみ。
撫でるように、動かすと、引っ付いて形を変える。
「ん……ぁ……ふぅ……」
かといって力を込めすぎると、その肉に指が沈んでいくだけ
「…ふぁ…ぁ…ぃぃ…訓…ちゃん……」
鼻はいちるの匂いに麻痺され、耳はいちるの吐息に埋められ、肌はいちるの熱と柔らかさに蠱惑されている。
俺はいちるを押し倒したくて、押し倒したくて、どうしようもない。
狂いそうで、いっそ狂ってしまった方が楽そうで
でも、いちるは俺にとって世界一大切な人だから、なし崩しになんて抱けやしない。
それでもいちるは許してくれるけど、そんな男がいちるの傍にいるのは俺が許せない。

なんとか俺はいちるの身体を拭き終わり、制服をハンガーにかけ、額のタオルを冷やし直して、パジャマ姿(もちろん俺が着せた)のいちるを見守っている。
いちるは妙にアタフタしてせわしなかった俺を見て口元が弛んでいたが、俺はそれに対して反論する武器を持たない。
ああ、もう!いつか俺をからかえないぐらい、俺に惚れさせてやるからな!と俺は心の中で誓う。
それがなるべく早くなるようにまた明日から頑張ろう。
「ねえ、訓ちゃん」
「なに?」
「訓って……呼び捨てにしていい?」
「いいよ」
いちるは安心したようにベットに身を沈めた。
「ねえ、訓」
「なに?」
「手、握っててね」
「もちろんだよ」
いちるの俺より小さな手。大切な人の手。
「朝までずっとだよ?」
「ああ」
「そしたら今度は私がずっと……」
この手に相応しい男になって、ずっとずっと、守っていこう

「待ってるから」


俺の愛しい人を。




<了>


編注: part5:>>475 以降の流れを参照

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