年も明けて、三学期も中程を過ぎた。まだまだ冬の寒さが続き、そんな時期の一時間目の体育はハッキリ言って寒い。
こればかりは鍛えようがないと思う。もっとも、身体を動かし始めればそんなのはすぐ忘れてしまう。
気づけば、長袖の体育着を脱いでTシャツになってバスケットに興じてる自分たちが居る。
「当馬、パス!!」
と言ったクラスメートにはもうマークが付いてる。バスケ部の奴だ。少し手加減しろ。
「なろっ!」
自らドリブルで切り込んでいった俺に、相手チームは反応しきれてない。
「ホッ!」
俺のレイアップシュートが決まり、チームの歓喜が迎える。
「は〜」
息をつきながら、隣のバレーをしてる女子の姿が目に入る。
気づかない内に俺は砂奥のコトを探してるコトに、自分でも苦笑する。
こんなに諦めが悪い性格だったとは。
(……なんだ?見学か?)
バレーに参加せずに、端に彼女の友人である伴田千紗(トモダ チサ)と一緒に話している。
砂奥は運動嫌いではない。チーム競技も苦手ではない。いつもなら皆の中心になってる筈だ。
(ま、女の日なのかも知れんな)
そう納得して、俺はボールを貰おうと手を挙げた。



俺と砂奥は学校ではもう一つ接点がある。同じ風紀委員会に所属してるということだ。
「おい、3組の砂奥は?」
「来てないだ。俺、呼んでくるよ。隣のクラスだし」
「まったく、風紀委員が風紀乱してどうするんだ……」
小言が多い委員長から逃げるように俺は教室を後にした。



砂奥の教室には彼女の姿は無かった。
それより気になったのは砂奥のコトを聞くと、他の生徒が微妙な顔をすることだ。
「砂奥さんなら、部活いったよ」
そう言った生徒は確か前までは砂奥のコトを一流と呼んでいた筈だった。
「なんだ?」
まるで、砂奥に関わりたくないとでも言うかのように、そくささと去っていく生徒に疑問を感じざる終えない。

バドミントン部は体育館で練習をしていた。
二人一組になって、ラリー……の筈だが、砂奥は相手が居ない。
いや、人数は偶数なので出来ないコトは無いのだが、組んでいない。
部長らしき生徒が相手の交代を促すが、その輪から砂奥が外れている。
「どうなってる?」
砂奥はバドミントン部でも中心人物だ。それは戦力としてだけでなく、人の輪の中にでもだ。
それが、こうもハブられている。
「…………すまない、砂奥はいるか?」
「ッ!?」
俺が声をかけると、バドミントン部の連中がみんな俺を向く。
否、俺の発した砂奥の名前に反応したんだ。
「……風紀委員、集まらなきゃならんのだが。砂奥、聞いてなかったか?」
「……聞いてないね」
「各クラスの委員長が伝えてる筈だが」
「それなら伝わらない筈だよ。部長、抜けていいかな?」
砂奥の言葉に、厄介払いが出来たとでも言うように部長は頷いた。

「…………砂奥、あれはなんだ?」
「なんでもないよ。少し嫌われるようなことしちゃっただけだね」
「そうなのか?女ってのは陰険だな」
俺は砂奥と並んで歩こうとするが、どうにも砂奥に引き離されてしまう。
「おい、急ぎすぎじゃないか?」
「……遅刻しちゃってるからね」
「まあ、そうか」
てっきり俺と一緒に歩きたくないものだと思ったり。
「………」
「どうした?」
風紀委員が集まってる三年生の教室に行く途中、急に足を止めた砂奥は理科室を見ている。
「ゴメン、先に行ってて欲しいな」
「なんで?」
「トイレ」
「…………理科室睨みながら、か?」
俺はそれ程鈍くないと自負している。
「砂奥、何か変だな。なんでこんな時間に理科室に電気付いてるんだ?」
「…………」
「関係あるのか?お前の周りが変なのと」
「なんのこと?」
シラを切ろうとする砂奥に、俺は少々苛立った。故に黙って理科室の扉に手をかけた。
「鍵、かかってるの……かッ!!」
強引に扉を開ける。当然ながら鍵は壊れた。結構大きな音がしたが、周りに人がいなくて助かった。
「……で、中で何をやってい…る……!?」
突然の闖入者である俺に向けられた視線は四つ。
その全員が女性。中には俺のクラスの奴もいた。
「イジメか」
一人の女生徒を三人の女生徒が囲んでいる。囲まれてる女は髪がボサボサで、囲んでる女の手には塩酸が握られていた。
その典型的とはいえ、ドラマか漫画並の光景に感嘆すら覚えたが、生憎俺は正義感なら人並み以上にもってると思っている。
「そこを動くな。今、先生を呼んで……」
「やめて!!」
叫んだのは虐めてる女達ではなく、虐められてる女だった。
「………」
「條、大丈夫!?」
俺の横を砂奥が駆けていく。“條”と呼んだ虐められていた彼女の髪を撫でる砂奥と入れ違いに
虐めていた三人は理科室から出て行く。そのすれ違い様に、「当馬、アンタこれ以上関わらない方がいいよ」と一人が言った。
「まぁ、こういうことなんだね」
「砂奥、こういうコトは隠さない方がいい。何か脅されてるというなら……」
「やめて!関係なんでしょ、アンタなんか!!」
條と呼ばれた女が金切り声を上げる。
「俺の親父が警官なの知ってるだろ。見過ごせないな、こういうの。あの三人主犯じゃないだろ」
顔を見た限りでは特に名前は思い出せない連中だった。とても砂奥のクラスメートや部活の連中に影響力を及ぼせるとは思えない。
特に砂奥は人気者だ。彼女を敵に回せば、多くの人間が彼女の味方をするだろう。
つまり、この件の主犯は砂奥以上の人望を持ってるか、それ以外の何らかの権力を持ってる人間。おそらくは後者だろう。
「……わかった、お前達にはもう関わらない」
勝手に俺は調べさせて貰う。
「当馬くん……」
砂奥は賢い女だ。俺の言外の意味を汲み取ってるのだろう。そして賢いが故に、彼女は俺の行動を制限できない筈だ。
まあ、尤も、俺も正義感だけで動いてる訳じゃない。
単に惚れていた女がこんな目に遭ってるのが我慢できないだけだ。
加えて、こんなこと乙古は知らないだろう。故に、俺が力になってやりたい。
それだけのコト。


「3組の條?そりゃ、お前、ある意味有名じゃん」
手がかりが少ないと思われた今回の件は、部活の友人への聞き込みであっさりわかってしまった。
「下尾條だろ?ホラ、駅前のデパートの」
「ああ、あの会社のお嬢か。ん?でもあの会社、潰れた筈だ」
「だから有名なんだろ」
下尾條(モトオ ジョウ)。下尾デパートのオーナーの娘……だったが、大手企業の地方進出の煽りを受け、父親の会社はこの前倒産したばかり。

地方紙にその記事が載ったことは俺の記憶にも新しい。
「どんな奴だ?」
「へ?ん〜俺も人づてにしか聞いたことないからなぁ。3組の奴に聞けば?」
それは出来ない。砂奥のクラスの奴はほぼ全員が大なり小なり彼女を虐めてると思われるからだ。
「なんでもいいから、何かないか?」
「うぅん……最近はしおらしくなったって話だぜ、流石に」
「“最近は”ってコトは昔は違うのか?」
「プライドが高いっての?そんな話は聞いたことあるな」
なるほど。恨みをかう機会はあったってことか。
「確かさ、夏ぐらいに砂奥と言い争いになってなかったか?」
「何?」
砂奥と下尾が?
「そうそう、そのコトで結構下尾は根に持ってたらしいぜ。砂奥の悪口は全部下尾発信って噂になった位」
「そうなのか……」
じゃあなんで砂奥は下尾を……いや、砂奥はああいう性格だ。困ってる奴には手を差し伸べるか。
そのせいで、一緒に虐められることになった……か。
虐められると言っても、露骨なコトはされてないみたいだ。状況証拠があれば砂奥は訴え出すだろうからな。
「お前、噂に疎いからなー」
「……その言い争いの原因は?」
「ん……なんだったかなあ?思い出せないな」
「そうか」
それから何人か……砂奥と下尾に近すぎず、遠すぎない連中に的を絞りながら聞き込みを開始したが、さしたる収穫は無かった。







水泳部は冬は走り込みだけだ。しんどいけど。
私、伴田千紗は友人である砂奥一流が帰るのを図書室で待っていた。
一流は今、虐められている。みんなから除け者にされている。
本当はみんなだってそんなことはしたくないんだろう。一流を腫れ物のように扱うことはあっても
直接傷つけたり、物を隠したりとかはしてない。だから、一流もみんなを心の底までは嫌ってないと思う。
「…………読み終わったぁ〜」
図書室にいるからといって、小難しい本を読んでるわけじゃない。
一流なら難しい哲学書を澄ました顔で読んでるんだろうけど、私には無理。マンガが精一杯。
……横山三国志だけど。
なんで図書室の本ってこういうしかないんだろう。もっと女の子向けのマンガだって入れてくれていいじゃないの。
このマンガ、同じ顔ばっかりで良く分かんないのよね。古いし。なんか李通って人、三回ぐらい死んでなかったっけ?
「………」
時計を見る。もうバド部も終わった頃かしら?なんて思ってると、放課後の人の居ない図書室に来入者。
「……レコ」
炎出 麗子(ヤンデ レコ)、一流を虐めてる犯人。
「千紗、もう水泳部は終わったでしょ?一緒に帰りましょうか?送っていくわ」
レコは私がここで一流を待ってるのを知ってて、そんなことを言う。
「……レコ、私は一流の友達をやめるつもりないから。わかってるでしょ?」
「……アンタも的にしてやるわよ」
腕を組み、高圧的な態度をで私を脅すレコ。切れ長の目を細めると凄味が増す。
「そんなことしたら、一流はアンタのこと一生嫌うわ」
「…………」
「やめなよ、レコ。アンタを見てるの、私辛いよ」
だからといって、私には解決策なんて浮かばない。
せめて私だけは学校で一流の味方でいることぐらいしか、出来ないんだ。


バドミントン部に言ってみると、一流は委員会に行ったっきり戻ってこないらしい。
そんなわけで風紀委員の一人を捕まえたが、隣のクラスの当馬が一流を向かえに行ったが、結局当馬一人で戻ってきたらしい。
(まさか……)
一流に何かあったんじゃないか……私は柔道場に向かって走っていた。

「当馬ッ!」
丁度、柔道場から出たところの当馬に敵の用に詰め寄る。
「ん?な、なんだ?」
「一流は!!」
「……砂奥がどうした?」
「それはコッチのセリフだ!!」
「待て、それじゃあ俺が砂奥に何かしたみたいじゃないか」
…………私の勘違い?いや、バド部から一流を連れ出したのは確か当馬だった筈だ。
「アンタは一流と一緒だったんじゃないの?」
「ああ、いや、砂奥は……下尾と、その……」
言い淀む当馬に、大体察しはついた。
「あ、そう。じゃあ一流がどこに入ったか……」
と訊ねようとした所で、携帯が震える。
「……校則違反だぞ」
咎める当馬を無視し、メールの着信を見ると一流からだった。
「美容院?なんでそんなところに」
一流はこの前髪を切ったばかりだじゃなかったっけ?
「………」
当馬は私の呟きに何やらしたり顔だ。コイツ、何か知ってるのか?
「一流に何かあったの?」
「いや……砂奥には何にもない」
一流には……條に何かあったのか。それで一流が付き添って……
「そう、悪かったわね。じゃ……」
「待て。お前は砂奥の味方なのか」
「味方とか敵とかあるわけないじゃない。私は一流の友達よ」






……訓の機嫌が悪い。
いつもなら一流ちゃんが待ってる時間に、一流ちゃんが来てないからか。
そんなことぐらいで、不機嫌になるな親友。
あ、一年が投げ飛ばされた。
ソイツはウチのホープなんだぞ、あんまり自信を失わせるなよ……
「次!!」
もはや道場は訓の勝ち抜き戦の様相を呈してきた。
「お願いします!!」
……無謀と勇気は違うぞ、一年。
あ、もう投げられた。
俺は、道場から唯一校門が見える窓を覗く。まだ一流ちゃんは来ていない。
このところ早かったんだけどな。部活が早く終わってるらしい。
「由羽!ボーッとしてるな」
「……御指名か」
ま、訓の相手出来るのは俺ぐらいだろう。心なしか他の部員の視線も俺達に集まってる。
「よーし、本気でやるかね」
「稽古はいつも本気でやれって言ってるだろう!」

結局その日は一流ちゃんは来なかった。
「今日は塾無いんだろ?ま、一流ちゃんだって友達付き合いもあるさ。訓、久々にゲーセン行こうぜ」
今度は気落ちしている訓の肩を、叩く。
一流ちゃんは友達と一緒にいるらしい。訓の携帯にメールがあった。
「……そうだな」
「そうそう、お前も親友を大事にしやがれ」
訓も乗り気になったところで、先に帰ってた後輩が慌てて走ってきた。
「せ、先輩〜〜!!」
「あん?どうした!」
「乙古先輩、なにかやったんッスか!?ヤバイッスよ、なんかチンピラっぽい人が学校の周りで先輩のコト聞いてます!!!」
…………ハイ?

「俺のことを?」
「何したんだ、訓。一流ちゃんに近づいた男を投げ殺したとか?」
「知らん。そんなことしてない」
あ、その例えは否定しないのね。
「その男は何て聞いてるんだ?」
「いや、先輩がどこにいるかって。あと特徴とか、住所とか……」
おいおい、住所はヤバイだろ……
「……裏門から出るか」
「そうだな」
俺達は賢明な判断をした……つもりだったが、
「あっれぇ〜、さっきの坊主じゃん。なんでこんなトコにいんの〜」
後輩に向かって、チンピラ男がヘラヘラを近づいてくる。
長髪でヒョロい男だ。これなら俺か訓なら無傷で撃退できる。……刃物とか持ってなければ。
「……俺が乙古訓だが」
「先輩!?」
ビビる後輩を庇い、訓は前にでる。いいねぇ、男らしいじゃん。
「コイツ、知ってるのか?訓」
「知らないな。アッチも知らないんじゃないか?知ってたら俺の特徴とか聞いてまわらないだろう」
「なる」
頷いた所で、光が奔った。
「!?」
カメラのフラッシュだ。
「ん〜もう用事はすんだわ、じゃあな」
使い捨てカメラをしまいながら、チンピラ風の男は気味の悪い笑い声を立てて踵を返した。
「おい!!」
「あんだよ、ガキが!やんのか!」
チンピラが凄味を効かせる。が、正直強いとは思えない
「……やってやろうか?」
「よせ、由羽。怪我でもさせてみろ。部の問題になる」
「ガキィ!舐めてんじゃねーぞ!!」
自分達が勝つこと前提で会話をするコトに、苛立ったチンピラが怒鳴り声を上げる。
「……俺の写真なんかどうするつもりだ?」
「別に俺がどうこうしようってわけじゃねーよ。お嬢が必要だってんだ。アレ?これって言っていいんだっけ?」
結局俺達はそのチンピラを見送ることしか出来なかった。
「……面が割れて困るようなことはしてきてないつもりだ。気にするな、由羽」
そんな頭のいい奴には見えなかったぜ、訓……





いよいよ、周りが冷たくなってきた。給食の時間も私と一流と條の三人だけでポツンと一緒に食べている。
「…………ごめんなさい、砂奥さん、伴田さん」
「何でいきなりあやまってるのかな」
耐えきれずに條が言うと、一流は意にも返さずにスープを飲んだ。
「一流はさぁ、彼氏とはどこまでいっちゃってるの?」
折角なんで普段なら周囲は聞き耳を立てるような話をふってみる。
「……うっ!!」
よよよ…と崩れるフリをする一流
「まだキス……みたいなものを1回しただけ……」
「……進展無し?」
「無し」
ホゥと溜息をつく一流は、女の私からみても美しい。隣の條も目を奪われているようだ。
「……もしかしてさぁ、一流の彼氏ってEDなんじゃないの?」
「そんなことないね!」
……フォーク折るな。
「………………」
沈黙するな。
「まさかね。まさか……」
「おーい、一流さ〜ん?」

「大きな乳がいるのよ。訓にくっつき過ぎなんだけど……訓は平然としてるんだけど……それってそういうことだったからなの?」
「伴田さん……砂奥さんが……どんどん青く……」
ヒィッと喉の奥でおののく條。なんかブツブツ言い始める一流。
私、結構この娘と友達やってるけど、こんなの見たこと無いよ……?
「一流、あ、あのさ……べ、別に胸に反応しないからってアレだとは限らないじゃない?他の性癖ってコトも……」
「ッ!?」
って、なにこの娘は昼食時に自分の胸を揉み始めますか!?!
「訓……小さい方が好きだったなんて……この二つの邪魔者、脂肪吸引すれば……ッ!!」
「待て、待て、待て、待て……どうして極端な方に走るかなぁ?一流らしくないわよ」
「……まだ女性に興味がないんじゃないんですか?砂奥さんの彼氏」
條……その言葉、今の一流は間違いなく歪曲して受け取る。
「そうか……だから由羽くんとあんなに仲がいいんだ。獅子身中の虫……ふふふ……そんな非生産的な関係認めない……」
「落ち着け、一流。勝手に彼氏をホモにするな〜。ハイ、深呼吸して〜」
……って、本当にしてるし。
「そうね、冷静に考えれば、私の胸を触ったときは動揺してたし、訓は健全ね」
「……キスしただけの清い関係じゃなかったの?」
しっかし、彼氏の話になると一流はコロコロ顔を変えて面白い。そんだけ好きなんだろう。
あ〜なんか見てて微笑ましいというか、羨ましいというか。
……ただ、1回ぐらい彼氏に会わせてくれてもいいんじゃないのと思うけど。
「一流ってさ、意外と独占欲強いよね〜」
「ですよね。話聞いてると、彼氏さん、束縛されてるんじゃないですか?」
「いやいや條さん。この娘さんはむしろ縛られてるでやんすよ〜。心がね。おっと、お後が宜しいようで」
「千紗ってば、誰の真似よ」
一流と條の口から笑い声が溢れる。周りは奇異の目で見るが、そんなものは関係ない。
「しっかし、彼氏くん羨ましいなぁ。この一流の肉体を自由に出来るんだよ〜」
「まぁね」
「否定しないのね……っていうか、それは自分の体型に自信アリってことかぁ〜」
「客観的に見ても、標準よりは上のプロモーションしてると思うけどね」
ごもっとも。というか、標準より上じゃ謙遜でしょ?
「その秘訣は?」
同姓として興味があるところだ。
「愛ね」
言い切りました、この娘。
「その心は?」
「訓に見られてると思うコト、訓を籠絡するコト、その為には半端な身体じゃ駄目でしょうってことだね。
 謂わば、生物としての雌の本能ね。その為の努力の結果よ。五カ年計画は伊達じゃないわ。尤もまだまだ磨きをかけるつもりだけどね」
おお〜と思わず拍手を送る、私と條。
なんかしょうもないコトのような、科学的な説明のような、訳が分からないが、説得力があるのは気のせいか。
ヒトラーの演説を聴いてたドイツ市民もこんな気持ちだったのかも知れない。
「アンタ、大物になるよ。私はそれについて行って美味しい汁を吸っていくわ」
「そんなことないよ、私だって千紗に助けられてる」
「そう?」
「そう。さっきみたいに」
はて?私何か言ったっけ?
「千紗の話を参考に、訓にあげるクッキーにクラゲ、スッポン、サソリのしっぽ、朝鮮人参、ガラナ、マムシ……etcを入れてみるね。
 これで訓も発情期の犬以上間違いなし。既成事実さえ作ってしまえば後は…いや、でも18にならないと結婚……
 憲法改正……まだ私には選挙権が……デモ?クーデター?……政治家を恐喝……合衆国化して、州法で……ブツブツ」
「死ぬぞ、彼氏。っていうか、そのクッキー味ヤバイって」
あえて後半は聞き流す。右から左に聞き流す。
「そうか……チョコレートならどうかな?もうすぐバレンタインだし」
食べさせるの決定ですか。食べさせる前に献血行かせたほうがいいな、彼氏。


「………」
「一野進センパイ、主将がアレなのって、やっぱり……」
答えるまでもない。一流ちゃんは今日も来ない。もう四日目。たった四日で訓が魂抜けた。
「喧嘩とか?」
「じゃないらしい。塾一緒にいってるし。今日は朝一緒に出たらしいし」
「だから今日の朝練に主将いなかったんだ……」
お前達もだいぶ訓のコトわかってきたな。
「訓、気になるならお前が一流ちゃんの学校行ったら?」
ダメ元で聞いてみる。
「な、なんで俺がそんなこと……」
そう言うと思ってました。
「……じゃ、俺が行ってくる。一流ちゃんの学校って可愛い子多いって言うし〜」
「何?お前、部活サボる気か!」
「Yes、I、do。説得は聞きません。告げ口したけりゃどーぞ。力ずくでは無理ですよ」
今のお前じゃ俺を止めれません。今は俺の方が強い!いつも強いけどな。
「由羽!」
「何?一緒に来る?」
「……行かん!」
今、ちょっと迷ったな。ヤレヤレ……頑固モンだねぇ。



ふむ。こうしてやってくると、なんかみんな俺よか頭よさげに見えるのは目の錯覚か?
っていうか、校舎綺麗だな、オイ。
「………」
なんか視線集めてないか?やっぱブレザーの集団の中に学ランは目立つのか?
……不信人物扱いされたりしないよな。
さて、一流ちゃんはどこにいるんだ?
下校時刻は終わっており、校門に人は少ない。が、グラウンドで活動してる運動部はメチャクチャこっち見てる……
「あの……」
「あ、いや別に怪しいもんじゃ……」
いきなり女の子に声をかけられて、俺ビックリ。
ハッ!もしや逆ナン!?
「もしかして一野進さんじゃないですか?」
なんと、俺のファンか!俺の顔も売れてきたな〜
「一流の彼氏の友達の!」
…………短かったな、俺の春も。
「ああ……俺が確かに一野進だけど」
「やっぱり。茶色い髪で一見軽薄そうな人って聞いてましたから!」
……一流ちゃん?
「私、一流の友達の炎出麗子って言います。よろしくお願いします」
「おう。あらためて……俺は一野進由羽だ。よろしく」
俺は手を差し出した。彼女は少し躊躇った後に手を差し出した。
どうもこういうのに慣れてないといった風で、大人しい深窓の姫君といった感じだ。
「乙古さんも来てるんですか?」
「いや、今日は俺だけ。っていうか丁度いいや、一流ちゃんって最近変わったコト無い?」
本人に聞くよりは周りに聞くのが聞き込みの基本って、ドラマで言ってたし。
「変わったこと……ですか?」
「そうそう。最近、一流ちゃんが訓の奴に構ってやんないからアイツ凹んでて。
 ま、あの二人はかなり愛し合っちゃってるから、一流ちゃんも一流ちゃんでこんなに構わないのは変だなーって」
俺が茶化したように聞いたのとは対照的に、レコと名乗った女の子は思案顔で答えた。
「…………実は一流、最近よくない所に出入りしてるみたいなんです」
「へぇ〜。どんな?」
「繁華街の裏にあるクラブなんですけど……色々悪い噂があって……その、クスリとか……
 その、お金を男の人に貰って、あの、そういうコトするとかって、そういうお店って、私よくわからないんですけど……」
言葉を選ぶように、赤くなったり、青くなったりしながら、レコちゃんは話す。
「あっはっは……面白く無さ過ぎて逆に笑えたよ、その話」
「…………ですよねぇ?私ったら、すみません。人をからかうのがこう見えて好きなんです。いけませんね」
彼女は口に手を当てて上品に笑う。

「一流ならもう帰りましたよ?私でよかったら学校案内しますけど?」
「……いや、いいよ。俺もこの学校にまるっきり当てがない訳じゃないんだ」
そう言って、レコちゃんの肩越しにランニングでコッチに向かってくる男を見据えた。
「一野進!?」
「やあ、当馬。……レコちゃん、今日はありがとう。また会いたいね」
「いえ、では失礼します」
レコちゃんは上品に会釈すると、校門を通りすぎていった。
「…………」
「一野進、なんでウチの学校に居るんだ?」
入れ違いに俺に話しかける当馬。どうやら部活中らしく、体育着で額に汗を流している。
「……今の女——炎出麗子ってどんな奴?」
「は?なんだ、いきなり」
「今日はさ、一流ちゃんのコトでここ来たんだ。教えてくれよ。お前、一流ちゃんのこと好きだろ?」
当馬は見ててコッチが困るほど狼狽し始めた。
「バッカでぇ、俺はカマかけただけだってのに」
「なにぃ!?」
「……黙っておいてやるから、教えろよ」
「……炎出は確か砂奥と同じクラスだ」
渋々といった表情の当馬は口を開いた。
「友達?」
「と、聞いている」
「どういう家の子?」
「……なんでそんなコト聞く?」
当馬は明らかに不快感を示した。
「派手なマニキュアしてたからさ。優等生が多いここじゃ珍しいかなーって。っていうか、先生に怒られないの、アレ?」
血のように赤いマニキュアだった。とてもじゃないが彼女が“演じていた”お嬢様とは釣り合っていない。
「……土建屋だ」
「ヤクザか」
「言うな。そういうので人を決めるのは良くない。砂奥だってそう思ってるから友達なんだろ」
「友達ねぇ……」
俺の独自に、当馬は妙に反応を示した。
その後の表情は難しかったパズルが解けた様な、それでいて出来たパズルの絵が想像とは違い、
まるでピカソの絵のように理解しがたい抽象画で驚いてるようだった。









いよいよレコが私に狙いを定めてきた。
今日、水泳部の部室に入ったら一面スプレーで真っ赤。
私個人じゃなくて水泳部全体を狙う辺りが性悪だ。
私一人を狙ったら一流はそれを告発するし、なんとしてもレコを問い詰め、虐めを立証するはずだ。
けど、これは私を狙ったと客観的に判断できない。その上、そのことは暗黙の了解としてみんなが知っている。
巻き込まれた他の部員は私に怒りを向けて村八分にするだろう。
レコは全く自分の手を汚さずに私を追いつめる気だ。第一、これの実行犯だってレコじゃないだろう。
「………」
しかも同時襲撃。一流は今日も虐められた條を慰め、元気づける為に部活にも出ずに帰っている。
ま、部活に出ても練習できる状態じゃないけど。それは私も似たようなモンだけど、どうせ冬の間は走り込みだけだし。
「どうするかな〜」
取り敢えず、これは見なかったことにして部活サボろう。今日一日分は部活で針に突かれるような思いをしなくていいし。
(レコも追いつめられてるなぁ……)
あの子は本当の所で一流に嫌われたくない筈だ。
彼女にとって一流は唯一無二の友達なんだから。
……私もあの子の友達のつもりだけど。
(あの子は——)
一流を独りぼっちにしたいんだ。そして自分が手を差し伸べる。一流を自分だけの者にしたい。

「重たいなぁ〜」
もっと気楽な中学生活を送りたかったものだ。
けどしょうがない。
一流みたいな眩しい存在の傍で普通や気楽はちょっと難しい。
鮮やかな光の傍には、明瞭かつ深い影が刺してるものだ。
わかってたこと。
わかってて、でも私は一流に惹かれちゃったんだ。



「はぁ〜〜…憂鬱〜〜」
ゲーセンで乱入してくる敵を片っ端から潰してるが、あんまりストレス解散にならない。
女だからって舐めると痛い目に遭うっての。おかげさまでコッチは100円で長い時間楽しめるけど。
勝利を伝えるサウンドが流れる。
兄貴が相当やり込んでるせいで、いつの間にか私も結構な腕前だ。
この「野菜戦士ベジダム レンコンVSレモン」は
「ん〜…」
でももういい加減飽きたし、負けてやろうか。
よそ見しながら、スティックを動かす。
ここはビルの2階で、ガラス張りのすぐ横の台だから下がよく見渡せる。
人が沢山流れていく。って言っても、流石に東京とかのレベルじゃないけど。
よく見れば顔もわかる。知らない人だらけだけど、私と同じ制服の子もいたりする。
「……って、レコじゃん」
はて?もう、一言物申してぶん殴ってやろうか?
……後で黒い服の人に海に沈されたらしゃれにならない。
「っていうか男連れ?」
いや、最近のあの子は組員を連れてることが多いけど、あれは制服をしている。私と同い年ぐらいだ。
「ウチの学校じゃないみたいだけど……」
そりゃ、最近のレコは悪い子だけど、男遊びまでするかな〜
しかも相手の男、遊び人って感じじゃないよ?
「ふむぅ…?」
使用キャラが撃破されたので、私はゲームの卓を後にした。



駅前の繁華街を越えて、人通りの少ない道を歩いている。
「次、どこ行こうか〜」
「…………」
尾行中の私。聞き耳立てる……周りから不審に見られない程度に。
相手の男の顔は悪くない。顔立ちは少し面長だけど、パーツは大きく崩れた所はない。
背は高め。肩幅が広くて腕力はありそうな感じ。若干眉間の皺が深いかな〜。
(レコってば、ああいうのタイプだったっけ?)
一方的に腕を絡ませるレコに、男は辟易してるみたいだ。
「もういい、怪我もなかった。そこまでして貰う必要はない」
「私はアンタのコト、気に入ったんだよ。車でハネちゃった時はどうしようかと思ったけど」
「……なんで運転手じゃなくて、君が俺に詫びるんだ?」
「組のしたコトは私の責任ってお父さんから教えられてるし」
どうやら、レコの車にあの男は轢かれたらしい。運がいいのか悪いのか……ヤクザ屋の車だよ?
レコに気に入られきゃ、逆に因縁付けられてたんじゃない?
「少し離れてくれないか?今日会ったばかりの女の子に、そこまで近づかれるのはどうかと思う」
「気に入ってるっていったじゃない」
あの男、よくもヤクザの娘にああも言えるなぁ。
っていうか、レコがあの男とくっついちゃえば、もう私達にちょっかい出さなくなったりしないかなぁ?
「……それとも、彼女いるの?」
「好きな子はいる」
……チッ
「どんな子?」
「…………幼なじみだ」
へぇ、一流の彼氏と一緒なんだ……って、なんだか私、単なる出歯亀になってないかしら?
「私より可愛い?」

「ああ、もちろ……いや、同じぐらい可愛い」
「私より可愛いんだ」
「いや……あくまで俺からしたら、だ」
……なんだろう、あの男を見てると一流を思い出すんだけど。
「いいなぁ、私、その子になりたいよ。普通の家に生まれて、普通の友達がいて、普通の男の子を好きになったり、なられたり……」
笑っていたレコが驚くほど無表情になった。
昔みたいな、寂しがり屋の目。
でも、レコ。アンタにとって一流や私は普通の友達じゃなかったの……?
「嫌いなのか?自分の家」
「……好きだけど嫌い」
「そんなもんだ。それに、俺は普通の友達にはなれないか?」
むぅ…あの男、結構イイ男だ。本気でレコのコト応援したい。
ああいう人がレコの傍に居てくれたら……あの子だって昔みたいに笑える筈だ。
「……友達かぁ」
レコの顔が一瞬砕けて見えた。虚勢を張って笑ってる顔じゃない、レコの少し感情に遅れて現れる笑顔。
「でも、彼女がいいな〜」
「炎出さん!?」
レコは腕を一層絡ませて、唇を男の耳に近づける。
「ね?駄目?」
「他にいい人見つかるよ。炎出さんは美人だから」
「麗子でいいよ」
素気なく断る男に、レコは益々顔を近づける。
コッチは聞き取りづらくて困るんだけど……コソーリ、接近、接近……
あんまり近すぎるとバレるわよね?私のせいで上手く行かなかったら後味悪いし。
あーでも気になるからしょうがない。人の恋バナほど面白いモンないしね〜。
「ねぇねぇ、別にその子が好きでも構わないよ?」
「よくないだろ、そんなの」
う〜ん、この男、固いわねー。少しぐらい動揺しないかしら、フツー。
「もしその子と付き合っても、私二番目でいいからさ……ね?」
「そんな男は最低だ」
「じゃ、セフレでいいよ?」
な…ッ!?、レ、レコ、あんた何を……
「何言ってるんだ!!」
男も怒った。
「まだ遊ぼうって言ったでしょ?次、エッチしようよ……?」
妖艶……同い年なのに、レコはそう形容するしかない顔をした。
私が男なら間違いなくホテルに行ってる。断言してもいい。
……なんか悲しいわ。
「ふざけるな!」
だけど、その男は違った。レコの手を振り解くと、半歩引き下がる。
「……もっと、自分を大切にしろ」
「私のコト、まだ気遣ってくれるの?」
「当たり前だ。友達だっていったじゃないか」
「………………困ったな、本当に好きになっちゃいそう」
レコが髪を指で絡ませながら呟く。
あれはレコが動揺してる時のクセだ。
「あの…さ、誤解してると嫌だから言うけど、私処女だから」
「な、な、何言い出すんだよ……」
「やっぱり、私は抱けない?私が暗い世界の人間だから?」
「そういうことじゃないって……。俺だって一人の男だよ。その…したいって思うコトは沢山あるし、
 炎出さん……麗子は、魅力的だよ。正直、その……すること考えれば興奮もする……けど
 身体だけで繋がるのは違うと思ってる。人間がいつでもそういうこと出来るのって、身体で繋がるだけじゃなくて
 心も繋がっていたいって思うから。俺は欲求の為だけに、生殖の為だけに女の子を抱けない。
 そんな人間になりたくないし、君にもなって欲しくない。そりゃ、人の考え方は自由だろうけど
 でも、俺の友達の炎出麗子はそういう人じゃないって俺は思ってるから……」
男は困ったように、レコをなだめた。
「乙古…」
レコが男の名前を呟く。へぇ〜乙古って名前なのか、アイツ。
ってか、アレ、おちたね。レコ、間違いなく惚れてるね。
でも、男の方、変わった名字ね。……あれ?どっかで聞いたことのある名前のよーな……

「でも……みんな、私のことをそういう人間だと思ってる。私がヤクザの娘だから。嬉しいよ、乙古……
 そういう風に言ってくれたの、乙古が二人目。だから、本気でもう一回言うね。私、乙古が、乙古訓が欲しいよ」
乙古……ええっと……誰だっけ?乙古訓……訓?訓って名前も聞いたことが……凄く身近に……
「——って、一流の彼氏じゃん!!!」
……あ、大声出しちゃった。
「千紗……ッ!」
「い、いちるがどうしたって!?」
う……気まずい。逃げたい。でも、一流の友達として、レコに聞きたいこともある。
「レコ、まさかあんた……一流の彼氏だって知ってて」
私の問いに、レコは一瞬淋しそうに目を細めてから、私達を嘲笑った。
「そうよ」
その言葉は感情を押し殺した、とても冷たい言葉だった。
「いちるの知り合いなのか……?」
「乙古、私ね、一流が大好きなの。だから、貴方を一流と共有できれば一流と仲良くなれると思ったのに……」
な……
突然の告白に、一流の彼氏も目を見開く。
「一流の心がわからないの……一流は私の友達だったのに、どうして一流は私を認めてくれないの?私のすることを間違ってるって言うの?
 埋めなきゃいけないの。一流が居ないと、私さみしいの、辛いの。だから、一流を私のものにするの
 そのための道具として、乙古も必要だったのに、千紗、アンタって本当に邪魔な奴……」
レコの唇から血が流れる。歯を噛みしめ過ぎて、口が切れたんだ……。
「八つ当たりしないでよ、レコ!アンタのやってることは間違ってる!一流はアンタを友達だって思ってるからアンタの味方をしないんだよ!」
「一流のコト、わかったように言わないでよ!!一流のコトがわかるのは私だけでいいの!一流は私だけの友達なの!!」
子供のように理不尽なコトを喚き叫ぶレコ。
薄く化粧をした顔がグシャグシャに歪んでいる。
「…………今どんなことになってるか、見当も付かないけど」
男……いや、乙古が私の前に立ち、レコに話しかける。
「麗子、今の君はいちるの友達にはなれない。それは絶対だ」
「………………」
「いちるだって友達は選ぶよ。いちるが友達と呼ぶなら、それは今の君のような人な筈がない」
「黙れ!」
乙古の言ったことはレコ自身が一番良く知ってるコトだ。でも蓋をしてきたコトだ。
だから、それを突き付けられるのは……辛い。
「人は物のように言う人を、いちるは友達とは呼ばない。人の心をそんな風に手に入ると思ってる人を、いちるは友達とは呼ばない」
「黙れ!黙れ!黙れ!黙れ!黙れ!!」
「……さっきまで楽しそうに俺と話してた君は、違っていた。もし彼女が一流の友達だというなら、それはわかる。
 君が何をしてるのかは知らない。でもな、人の心なんて簡単にわかりやしないし、自分の行動を認めてくれる人なんてそうはいない。
 でも、少しずつ埋めてきたから、俺はいちるの心がわかってきた。君もそうじゃなかったのか?
 もし本当にいちるの心がわからないなら、君はいちると……友達じゃなかった」
「違う!!私は一流の友達だ!!もう要らない!アンタなんて要らない!」
一歩、二歩、レコは距離をとる。震えながら、拳を握りしめて。
「レコ……そうやって要らないって切り捨てていったら、アンタは最後には一流まで切り捨てる。
 そしたら……また独りぼっちになるじゃないの。ねぇ、レコ、もう我が儘言うのやめなよ」
「我が儘……千紗、私のやってることが我が儘だって言うの!?」
「だって誰も望んでないじゃない。ねぇ……気持ちは晴れた?アンタは條に仕返しをして気持ちが晴れたの?」
レコは私達の声を振り払うかのように身体を揺すった。
「……賢しらに言ってんじゃないわよ。あの時、私を助けてくれたのは一流なんだから……一流だけなんだぁ!!」
レコが走り去っていく。
私は追いかけるコトが出来なかった。
「私は……」
あの子の友達のつもりだ。だけど、あの子に届く声は一流しかいないんだろう……
「なぁ…」
「あ、ごめんなさい。それから、はじめまして。私、一流の友達の伴田千紗っていうの」
「俺は乙古訓。よろしく、麗子とも友達の千紗さん」
………ッ!
あぁ、そうか、一流が好きになる訳だ。
この人は気遣いが出来る人じゃない。でも、信念っていうのかな?正しくあろうとしてるんだ。
だから、この人の言葉は安心できる。この人が言うなら間違いないって思える。
「私、レコの友達なんだよね」
「俺にはそう見えた。違うのか?」
一流は本当に凄い。こんな彼氏までもってるんだから、かなわないなぁ……







早朝の寒さが染みる。空は明るいが、太陽はどこにあるのか分からない。
白い吐息を吐きながら、柔道着を抱えて通学路を俺は歩いていた。
——炎出麗子
砂奥の友達の一人だと漠然と認識していた。彼女と同じクラスで、ちょっと前まで伴田と三人でよく一緒にいた。
砂奥ともっとも仲のいい友達……と思っていた。
昨日、一野進が訊ねるまでは。
思えばこのところ、炎出と砂奥が一緒に居るところは見てない……気がする。
まぁ、炎出をホシにすると意外に筋妻が合うのが確かだ。
まず俺は炎出と砂奥の仲を調べてみた。
二人が接した発端は下尾條にある。
炎出は……その父親の仕事から、周囲から孤立していた。触らぬ神に祟りなしという。まさにそれだ。
それだけじゃない種類の人間もいる。要するに、その職業を卑しいと思うような……
街じゃ五本の指に入る金持ちの下尾にすれば、炎出はそういう対象だったのだろう。
無意識か、意識的にか、彼女は炎出に冷たく当たった。
きっかけは些細なコトで分からないが、いつものように冷たくされた炎出に手を差し伸べたのが砂奥だった。
砂奥は人を外的要因で評価しない。砂奥が手を差し伸べて、さらにその後、下尾に注意したのであれば
おそらく客観的に見て、下尾に否があるようなコトをしたのだろう。それはその後の周囲の評価でも明らかだ。
もっとも、その評価は炎出に対する同情ではなく、砂奥の行動に対する賞賛だった。
砂奥はそういう周囲の評価には頓着しないだろうが、当事者である炎出はそのコトを誰よりも感じてた筈だ。
結局、自分を個人として見てくれるのは砂奥だけだ——そんな思いが彼女に楔のように打ち込まれたんだろう。
その後、感情の拗れから下尾は砂奥と事あるごとに対立してしまうようになった。原因となった炎出にも、今度はハッキリと悪意を向けた。
資産家の下尾には流石のヤクザも手出しできない。炎出の組は下尾に仕事を貰ってたりもするぐらいだ。
並の人間なら下尾に目を付けられては学校生活はお終いだろう。が、砂奥の人徳はどうやらソレに拮抗したようだった。
「…………その状態のままなら良かったのにな」
しかし移ろい変わらぬものはない。地方行政が衰退していく中で、全国区の企業がウチの市にも足を伸ばし、地元企業は衰退する。
下尾の名声も今や過去のもの。下尾と炎出の立場は逆転した。下尾の家は今じゃ炎出の家にも金を借りている始末だ。
同時に炎出の意趣返しが始まる。
始めは些細なものだった。下尾と炎出の個人間でのちょっとした言葉の応酬程度。
砂奥も見過ごしていた……あるいは、それぐらいはと横の伴田が宥めていたのかも知れない。
それがエスカレートしていった。そうしていく内に炎出も自分の実家の力を知り始めた。
そして……
イジメられていた炎出を砂奥が助けたように、再び砂奥はイジメられていた下尾を助けた。
それは砂奥にとっては当たり前の行為。砂奥はそんなことを見過ごせないから。
でも、炎出にとっては……裏切りだった。
「………」
砂奥があんまりにも報われないと思う。当人はそういう思いは無いのだろうが。
虐められてた奴を助けて、今度はソイツが虐め返して、それを助けて、自分が虐められる……
昨日、水泳部の部室がスプレーで落書きされていた。
砂奥の友人である伴田を狙ったんだろう。
自分のせいで周囲が傷つくのは、砂奥には一番辛いのか。
それほど砂奥を理解してる人間が、砂奥を虐めてるというのが虚しい。
「ん?」
噂をすればなんとやら。校門の先を行くのは砂奥ではないか。
(バドミントン部に朝練は無い筈だが)
と、横を黒塗りの車が通りすぎる。
それは炎出が自分の力を誇示する為に組の人間を使って送り迎えさせている車。
「…………」
自分で言うのもナンだが、俺は真面目な人間だと思っている。
が、どうやら初めて朝練をサボることになりそうだ。

「学校の屋上は立ち入り禁止でしょ?」
「そうね。……想像もできなかったわ。私がこんなに悪いことが出来るなんて。
 だって、ヤクザの娘が悪いことしてたら、もう普通の学生には見られなれないものね」
俺の考えたとおり、炎出は砂奥を呼び出していた。
しかし、場所が場所だ。周りに隠れるところが無いので、屋上入り口のドアから聞き耳を立てるしかない。
幸い、風が俺に向かって吹いてるので、二人の会話が聞き取れないということはない。
「……どうして私を呼び出したの?」
「あれ?一流、彼氏から何も聞いてないの?」
乙古に?
「訓に……何かしたの?」
「へぇ、そうなんだ。……教えてあげる。可愛がって貰ったの。一流が好きになるだけあるわね。病みつきになりそう」
俺は思わず声を上げそうになってこらえた。
乙古が、炎出と……!?
「…………」
「逞しくて、優しいのね、彼。でもちょっと固いね。私と寝たから一流とは別れるって。私、一流から彼氏を盗るつもりないから安心して」
「麗子、昔から嘘つくときは左手を腰にまわすのは変わらないね」
「…ッ!!」
慌てて炎出は姿勢を変える。
「……嘘だよ。これで、お互い嘘付いたからおあいこね」
「本当なんだから……!私、一流の彼氏と会ったんだから!!」
「でも女としては見向きもされなかったでしょ?あ、でも安心して。意識してないってコトはないと思うから。
 麗子の言うとおり、訓って固いんだね。色仕掛けも雰囲気つくっても最後の一歩は踏み出さないの」
したのか?色仕掛け!?
……いやいや、そんなことを聞くためにここにいるんじゃない、俺は。
気になるけど。
「……千紗さえ邪魔しなければ、あんな男、オトとしてたんだから!!」
「無理だよ。私の最愛の人なんだから。そこら辺の十把一絡げと一緒にしないでね」
じゅ、十把一絡げ……
お、俺もその中の一人と認識されてるんだろうか……
「むかつくのよ、あの男。偉そうに説教して!あんなの、コッチから願い下げだわ!!」
「……なんて言ったかは知らないけど、多分間違ってないね、訓の言ったことは」
「一流!!一流まで、あの男の味方をする!!私の味方をしてくれない!!」
「……当然ね。私は例え世界中が訓の敵でも訓の味方をする」
炎出が息を荒げれば荒げる程、奇妙なぐらい砂奥は静かに言い放つようになっていた。
「そんな選択は訓はしないでしょうけど」
「……………………なんで?」
「麗子、もう見ず知らずの訓からみても貴方は……」
「なんで、私のものにはならないのに、アイツのものにはなるの!!」
「麗子?」
「もういい!」
風向きが変わり始めた。
だが炎出の声は大きく、彼女の言葉は続いて聞きこえてくる。
「もう手に入らないなら……いっそ壊してやるんだから!!」
壊す?
その言葉を口の中で反芻するより早く、獣のような炎出の叫びが耳を衝く。
「死んで!死んでよ!!もう私の友達じゃない一流はいらないんだからッ!!」
フェンスが揺れる音が聞こえるよりはやく、俺は飛び出していた。
「やめろ!!」
「ッ?!」
砂奥の首を絞めて屋上から突き落とそうとする炎出を手を振り払う。
「……カハッ!……ゴホッ……ゴホッ……麗…子……」
「汚いわね、一流。涎垂らして、鼻水も出てるじゃない。それが砂奥一流?」
炎出の顔には明らかに狂気が走っている。
「炎出、お前……」
「違う……こんなの一流じゃない……そうか、そうね……」
「炎出!お前、砂奥を殺す気か!!」
虚ろに呟く炎出を揺さぶり、詰る。
「……殺さないわよ。殺さなくても、一流は消せるわ」
「何?」
「私の中だけじゃない。みんなの中の……千紗の、乙古の、アイツらの中の一流も消してやる!汚してやる!!」

俺はそう叫ぶ炎出に気を呑まれた。
試合で何度も経験してる。気後れしたら負けだ。
なのに、俺はその時の炎出の暗い気迫に動けず、逃げ出す彼女を追えなかった。
(…………女は怖いな)
口を拭った砂奥の首に少しついた痣を見て、俺は気分が悪くなった。
「…………」
その日、学校で炎出を見ることは無かった。どうやらあのまま帰ったようだ。
話を聞いた伴田は俺に砂奥と一緒に帰るように頼んだ。
砂奥は遠慮したが、俺は無理矢理ついて行った。
「…………」
「…………」
ついては行ったが、会話が無い。
気まずいが、しかし、かえって気が楽かもしれない。
「!」
「どうした?砂奥」
砂奥はポケットから携帯を取り出した。
『ボディガードが付いてるなんて、いいご身分じゃない?一流』
炎出……!?
電話から漏れてきた声に、俺も携帯に耳を近づける。
「この番号は千紗のよ。……千紗をどうしたの?」
怒っている。砂奥は怒っていた。
端正な眉をしかめて、その瞳を奮わせている。
『一流も可愛いけど、千紗も十分可愛いわ。きっと、素敵なAV女優になれるわね』
な…ッ
『綺麗な胸の形。釣り鐘型っていうの?ああいうの……一流にも見せたいわぁ。ビデオ出来たら一番最初に送ってあげるね』
狂っている。
まるで世間話でも言うように、炎出は話している。
人の尊厳を踏みにじっている。
「麗子……麗子が汚したいのは私じゃないの?」
「砂奥…ッ!何を言ってる!!」
『一流ならそう言うと思ってたんだぁ。今ドコ?向かえの車向かわせるから来てくれるよね?』
俺は砂奥から携帯を奪い、叫んだ。
「炎出、巫山戯るな!お前のやってることは犯罪だぞ!」
『だからぁ、優しい、優しい一流は、私を拉致強姦の犯罪者にしないために自分からAVに出てくれるんだって』
「恐喝って言うんだよ、そういうのは!」
「……当馬くん、返して」
「砂奥!!」
俺から携帯を取り返した砂奥は、今いる場所を手短に話すと携帯を切った。
「やめるんだ、砂奥!!」
「千紗を見捨てろっていうの?」
「警察に……」
「千紗がレイプされそうになってるのよ、今、この時に!」
「じゃあ代わりにお前がそうなってもいいってのか!!」
砂奥の手首を握る。細い。か細い女の手だ。
簡単に傷つけることができる手だ。
「乙古はどうなる?」
「わかってくれる。訓はそういう人だもの。そして訓が好きな砂奥一流って女はこういう人間なのね」
「嫌だ。俺は見過ごせない。この手を放さない……俺はお前のコトが……ッ!!」
白い乗用車が急ブレーキで言い争う俺達の前に止まった。
中から、わかりやすくチンピラな男が出てくる。
「おい、男はいらねーぞ……」
「お前が炎出の…ぐぉ!?」
「オラ、手放せっての!!」
鳩尾にチンピラの足が沈んだ。俺は砂奥の手を握っていたばかりに、それをもろに食らってしまった。
「うぐ…」
「やめなさい。今、車に乗るわ」
「へぇ〜可愛いじゃん。俺も撮影混じりてぇなぁ」
砂奥の顎に、チンピラの手が触れる。
「好きにすれば。早く車出しなさいな」
「はっ……最近のガキはインランだねぇ。じゃあな、ボウズ」

「砂…奥……」
もう、砂奥の手を掴むには遠すぎる。
「好意だけ受け取っておくね。ありがとう、当馬くん」
車のドアが閉まる。
砂奥は気丈で、顔を崩さない。
それが、悔しい。自分の力の無さを見せつけられたようだ。
排気ガスが俺の顔にかかり、小さくなっていく車を俺は睨むだけしか出来なかった。
「……くそったれぇ……」






意識が朦朧としている……
私……
確か、下校中に車の中に無理矢理詰められて……
注射器……
「……コレ、大丈夫なの?」
「どうせコレ無しで生きてられなくなりますって……ヘッヘッヘ」
「勝手に薬売ってるのバレて組追放されそうになったのに、まだやる気?」
レコ……?
「お嬢、本当にこれで親父に取りなしてくれるんで?」
「素人攫うにゃ、結構不味いですぜ」
「……薬は不味くないっての?それに、コイツは餌なんだから余計なコトしたら許さないよ」
う……ぅ……気持ち悪い……頭がグラグラする……
「……一流、嬉しいわ、来てくれて」
「千紗!!」
一流……?
「大丈夫よ、1回ぐらい。それに優しさよ、私の。千紗に気持ちよくなって貰おうと思って」
あ、……制服だ……私、着させらて…る?
「でも、こんな表情じゃ、売れないでしょ?一流は薬なしでやってね?痛がっちゃ駄目だよ?媚びるように喘いでもらわないと
 ああ、でも一流はちゃんと自分で脱ぐ所から撮っていくから。オナニーしたことある?それもしてみよっか?
 ……分かってるわよ、茂部、アンタ千紗を外に連れて行きなさい。そう、適当な場所に座らせておけばいいわ」
ちょっと……気持ち悪いんだから、動かさないでよ……
「千紗」
一流……どうしたの、そんな不安そうな顔……
わかるよ……友達じゃない。クールに見えたって、一流はただの中学生の女の子なんだから……
なに……女同士なのに、そんなに抱きしめないでよ……もう……
一流?どこ…どこいくの……?一流……?

一流……私の大好きな友達。
頭もいいし、運動もできるし、みんなの人気者だし、カッコイイし、可愛いし、曲がったことは嫌いだし
だからみんなの人気者で……でも、すっごい惚気屋さんで、彼氏のことになると止まらなくて……
いっつもクールなのに、その時だけは顔がほんのり赤くて、彼氏の名前を口にするだけで幸せそうで
そんな一流を見てると、私もなんだか幸せな気分になって……
そんな素敵な、私の、一番の友達。
友達だから……助けないと……
「助け……ないと……」
何で?何で私、こんなに身体が動かないの?どうして……動いてよ!動いてよ!
誰か……
「誰か、一流を助けてよ……」
「いちる?いちるがどうしたんだ!?」
誰?
「……わかった。千紗さん、悪いけど、ここに置いていく」
「一流を……お願い」
「必ず」
よかった……
きっと……あの人なら……一流を…助けてくれる。
だって…だってあの人は、一流の……





やっぱり俺には主将なんて似合わねーな。
っていうか、誰も俺の言うこと聞かないし。
「お前ら、訓が居ないからって、練習に気合いが入ってないぞ!!」
「うーす」
「返事が生返事なんだよ!!」
何とか訓を説得して、今日はアイツを一流ちゃんの学校に向かわせた。
一流ちゃんは一流ちゃんでなんか抱え込んでそうだったし、俺じゃなくてアイツが力になるべきだよな、ウン。
「似たもの夫婦なんだからよ、やれやれ」
お互い自力だけで解決しようとするきらいがある。人の助けを借りないってのは結構だが、好き合ってる者同士、相談ぐらいはするのが信頼ってもんだ。
俺が居ないと、人並みのカップルにもなれないのか、アイツらは。俺は保護者かなんかか?
ま、それも面白いかもな。一生はゴメン被りたいけど。
「乙古はいるか!!」
道場の扉が乱暴に開く。
「当馬……なんだ?道場破り?」
「乙古はいるか!!」
……冗談言える空気じゃない。当馬は切羽詰まってる形相で、ここまで全力で走ってきたらしく汗をかいてる。
「乙古はいるのか!!」
「訓はいねぇ……当馬、一流ちゃんに何かあ……オイッ!」
すぐさま外に走り出す当馬を追いかけて、俺も道場に出る。
「待てって!!」
「…………」
無理矢理肩を掴み、振り向かせた当馬の顔に俺は言葉を失った。
「何、泣いてやがる」
「俺は……乙古に謝っても謝り足りない」
「話せ。隠してると許さねぇぞ……俺は訓のダチなんだからよぉ!!」



「あの女……ぶん殴ってやる……」
聞いてるだけで吐き気がしそうな顛末を当馬に説明され、俺は腹の底が煮えくりかえりそうだった。
「俺が……!」
当馬の携帯が鳴り、取り出した当馬は顔を凍らせた。
その着信は一流ちゃんからだった。
「……炎出か」
『怖い声。せっかくサービスしてあげようと思ったのに』
「砂奥はそこに居るのか?」
『さっき来たところ。それで、いまから音声だけだけど当馬にはライブ中継してあげようと思って!
 メニューは、ストリップからオナニー、セックス、アンコールで大乱交ってね。
 もうねぇ、一流って可愛いからみんな盛りついちゃって、大変なのー』
『おい、駕屋。カーテン開けてるんじゃねぇ!』
『あ、スイマセンっす。眩しいッスか』
『そうじゃなくて、不味いだろーが!!』
ケラケラと笑うレコちゃんの後ろで彼女の組の手下らしき男の声が聞こえる。
本当に本当なんだ。
一流ちゃんが……
「……ッ!」
「おい、一野進!?」
「……やあ、覚えてる?レコちゃん」
『一野進由羽か。覚えてるよ?前に校門であったね。乙古の写真に一緒に映ってたし、声をかけたんだ。何かに利用できないかって』
電波が届きにくいのか、彼女の声は途切れに聞こえた。
「写真?いや、どうでもいい。なぁ、レコちゃん。この状況、冗談でしたって終わらせることは出来ない?」
電話の向こうの沈黙。
『……出来ないよ。一流が女になるところ、一野進さんも楽しんでいってね』
あの日、会話したように丁寧な口調で話す。俺を嘲っている。
「そうか。じゃあ止める。そこに居るのはさ、俺の親友の女なんだよ。だから俺がアンタを潰す。今からそこに行くから」
携帯の電源を切る。

「おい、勝手に切るな!上手くいけば炎出から場所を聞き出せ……待て、ドコに行くつもりだ!!」
俺は近くのコンビニに入ると、地図と漫画雑誌を二冊引き抜いて外に出た。
慌てて当馬がお金を払った後、追いかけてくる。
「何をしてるんだ!こんな時にマンガなんて……」
「ヤクザもんなんだろ。取り敢えず腹につめとけばドスとか刺されても平気かなと思ってよ」
一冊、当馬に渡しながら地図を拡げる。
「一流ちゃんが連れ去られた場所は?」
「……ココだ」
「時間は?何分経ってる?さっきの電話まで。車の時速が40キロぐらいだとすりゃ、大体わかるだろ!
 え〜っと、割るんだっけ?かけるんだっけ?」
「かけるだ。それで、この地図の縮尺だと……」
当馬は横から地図に円を描いた。
「この中だ。まさかこの中を全部虱潰しにする気か?」
「……ちげーよ。さっきの電話に少しだけど電車の音がした。電波も悪かったし、多分線路沿いにあるんだ」
円の端を走る線路記号をなぞる。
「どれだけ距離があると思ってるんだ!」
「眩しいって電話の後ろで聞こえた」
「……つまり、西側に窓があるということか?いや、そんなの手がかりにはならんぞ」
「そこまで今日は天気がいいか?」
一月の空は日差しが強いとは言えない。
「眩しいのは他に理由がある」
俺は地図の一点を指した。放送塔や観光、市の催しものなどの時に使われるタワービルがそこにはある。
「ガラス張りか……!しかもアソコはビルが歪曲してて光が集中しやすい。何度か日照問題で裁判が起きてた!!」
「太陽の光が反射してるなら、一流ちゃんがいるところの東側にビルがあるんだ」
円の外線と接する線路沿いで、ビルから西側、それもビルが見える範囲に隣接した場所。
「そこに、一流ちゃんがいる!」
キマまったぜ、俺!
いやーこの前読んだ推理マンガが意外と役だったなぁ。
ネタバレすると尊敬の眼差しが終わりそうなんで黙っておこう。



「この辺りだ!」
チャリを失敬して件の場所にたどり着いた俺達は、東側にそびえるタワービルを見上げながら叫ぶ。
「どこだ!どこだ!どこ……訓!?」
「由羽!?どうしてここに」
どうして訓が……いや、一流ちゃんがピンチなんだ……
「お前がいないとはじまらないか」
「いちるの為に?」
「半分な。もう半分はお前の助けになりにきたのさ、俺は」
お前が一流ちゃんの為に揺るがないように、俺もそれだけは揺るがない。
「……あの先のビルの三階だ。まだ間に合うと信じたい」
訓は右腕の腕時計を見ながら、走り出した。
パチンコ屋の裏の廃ビルといっていいそのビルを駆け上がる。
「いちる……」
階段を登る度に、訓の呟きが大きくなっていく。
「いちる……」
二階を超えた。自然と階段は一段跳ばしになっている。
「いちるぅぅぅぅ!!!」
掠れた看板。事務所とは読めるが、その前の文字が読めない錆び付いたドアを蹴破る。
「…………ッ!!」
男が四人。安いベットと、照明、カメラ、レフ板、そして……裸の少女と、孤独な少女。
「訓……!?」
照明に照らされて、一層白さが際だつ一流ちゃんの身体。
くびれたウエストに、スラリと伸びた足がシーツを乱している。
その肢体に珠のような汗が流れ、光に反射して眩かった。
細い腕で申し訳程度に形の良い乳房を隠した、彼女の顔は、
訓を認めると大粒の涙を流していた。
「乙古…訓……」
炎出麗子が擦れた声で訓を呼ぶ。

「来たぜ。約束通り」
「炎出、何でも思い通りになると思うな」
俺と当馬が炎出麗子を睨む中、訓は一言も発せず一流ちゃんを見ていた。
「…………」
そして、そのまま射抜くように炎出麗子を見る。それだけで、炎出麗子は絞首台の前に立った囚人のように身を竦めた。
「来たからなんだってのよ!」
炎出麗子の啖呵と共に、彼女の従えていた男二人が俺達に向かってくる。
「ガキがぁ!」
「ハ…ッ!」
コイツらは俺達を侮っている。その内に倒してしまえるなら倒させて貰おう。
俺と当馬は男二人の懐に入ると、彼らを割れたコンクリートの床に叩きつけた。
カエルの潰れたような声で男達が呻く。
「ただのガキじゃねーんだよ。ガキん中じゃ県内最強の三人だっての」
「……残り二人」
「舐めてんじゃねぇぞ!!茂部、駕屋、何してる!アタシに忠義見せてみろ!!」
奥にいる男二人に炎出麗子は叫ぶ。
「…………」
訓が、一歩踏み出した。
それに、男の内の一人、ありゃ訓を撮った時のチンピラか。そいつはビビってる。
「う……このぉ!!」
チンピラはナイフを引き抜き、それを上段から振って訓に襲いかかる。
「訓、ヤベェ!!」
「…………」
それは速かった。
俺が今まで見てきた訓の動きの中で一番速かった。
「ぐぇ!?」
チンピラはしたたかに背を打ち、呼吸困難になっている。
「な……なんなのよ、アンタ!」
刃物にも動じず、打ち負かした訓に、炎出麗子はヒステリックな声を上げる。
「…………」
対照的に沈黙を続ける。その沈黙が百万遍の言葉よりも彼女を圧する。
「なんなのよ、たかが女一人じゃない!」
その圧迫から逃れるように、彼女は叫んだ。
「その女一人が大切な人だから、ココに集まってるんだろ。俺達も、そして炎出、お前も」
当馬が彼女を否定する。
「茂部、アンタならやれるわよね!」
「殺ってもお嬢がケツ持ってくれるならやりますよ」
最後の一人がドスを抜いて、訓の前に立つ。
デカイ……他の三人とか素人目に見ても格が違う。
「ドスは振るんじゃなくて刺すんだって、コイツは何度言っても覚えねぇ」
倒れてるチンピラを蹴り飛ばし、訓に近づいてくる。
「訓、人質だ!炎出を人質に取れ!!」
ヤバイ、アイツはヤバイ。
「…………」
訓、なにやってんだーーー!!お前、それ武士道か!正々堂々とか、こんな時でもやる気か!!
魔○ブウを相手にした○空とベ○ータか!!
「ふん、その心意気は買うがな、小僧」
「…………」
「俺はソイツらみたいに薬に手だすような小物じゃない。親父さんが見込んでお嬢に付けたんだ」
「茂部、やっちまいな!!」
炎出麗子の声と同時に、男はドスを持った手を大きく後ろに引く。
「訓ッ!!」
「乙古ッ!!」
反動をつけたドスが一気に訓に目がけて伸びる
「…………ッ」
訓は右腕を伸ばす。
アイツ、まさか右腕犠牲にするつもりか?馬鹿野郎、そんなことしたらもう柔道できなくな……
「あれは…!」
訓の右腕には腕時計があった。そうだ。何か違和感があると思ったら、利き腕に腕時計をつけていたからか。
ドスは腕時計を粉砕したが、反発で訓の中心線からずれていく。

そうだ、あの時計が訓を守らない訳がない。
「ありゃ、一流ちゃんが訓にあげた時計だからな」
訓の左手が、男の襟を掴む。
「!!」
自分より大きな相手を投げ飛ばす。
俺は昔、それが楽しかった。でもいつの間にか、俺より小さいお前が投げ飛ばせなくなってたな。
俺より弱かったお前は、でも一流ちゃんの為に強くなった。
お前は変わらねぇ。
「最高だぜ」
男が床に叩きつけられたとき、まるでビル全体が揺れてるかのような錯覚をした。
「……やるじゃネーか、小僧」
投げられた男は、訓を見上げて笑った。
「何してるんだ!茂部、アンタはそんぐらいなんでもないだろ!!」
「お嬢……もう負けを認めましょうや」
「茂部、アンタまで私を……」
炎出麗子は学生鞄の中から黒光りするものを引き抜く。
「オイ、まさか……」
だが、抜き去るより速く、俺は炎出の手を弾いた。
「一野進!?」
「お姫様助けるのは王子様の仕事だからな。連れの魔法使いは魔王を確保しておこうと思ってたのさ」
ったく、中学生が銃もってるなんて日本の治安はどうなってるんだ……
「何で私の邪魔をするんだ!」
「邪魔してる訳じゃねーよ。俺は訓の味方してんの。
 アイツと出会う前は退屈だった。俺、器用だから何でもこなせるし。でも、凡人の訓には勝てないの」
孤独で、でも力があって、それでも一流ちゃんに勝てない、そんなアンタと一緒さ。
「芯の強い奴だからな。それが俺には無くて眩しかった」
「…………」
「アイツは俺の理想だ。だから俺もアイツをマネして一つだけ、例え他の何を挫折しても、諦めても、一つだけ曲げないって決めた。
 それはアイツの親友であること。アイツを裏切らず、見返りを求めず助け合うこと」
だから俺は究極のトコじゃ、俺自身の為にここに来ているともいえるけど、ま、そこまで難しく考えるのは馬鹿らしい。
「結局の所、俺も誰かさんと同じであの二人が好きなのさ」
訓が乱入してきたとき、少しだけホッとした顔を見せた誰かさんと。
演技ヘタクソなんだよね、その誰かさんは。
「……ぁ……ぁ……」
レコちゃんは泣き崩れた。
何度も、何度も、「ごめんなさい……一流……千紗……乙古……」と繰り返しながら。





私は後悔しない。
後悔するような生き方は嫌だ。
私が生きてきた時間は、何より貴い時間だと思うから。
その貴い時間の中で、一番輝く、私の宝物。
「……訓……」
その名前を呼ぶと涙が溢れた。愛おしさで心が溢れた。
「いちる」
彼が私の名前を呼んでくれる。
そのたった三文字に、数え切れない気持ちが見え隠れする。
「もう大丈夫だよ、いちる。だから強がらなくていいよ」
「ぁ……」
背中に回される訓の腕が、私の涙を止めさせてくれない。
耳元で囁く訓の言葉が優しすぎて、どこまでも深く落ちていきそう。
「怖か…ったよ……」
「うん」
「嫌だったよ……」
「うん」
「私、訓じゃなきゃってずっと思ってたもん……」
「うん」

言葉が止まらない。
嗚咽がみっともなく紡ぎ出され、訓に自分の全部を預けてしまう。
「なんでこんなコトしてるんだろうって……」
辛かった。仲間はずれにされるのも、私のせいで千紗が傷つくのも。
いっそ、全てを見ないふりをして流されてしまえばいいなんて、そんな思いをずっと心の奥底にしまってた。
「自分だけ助かればいいって、そんな最低なことも思ったよ……」
知らない男に裸を見られて、どんなに恥ずかしかったか。
それも自分から、挑発するように脱ぐなんて、どんなに哀しくて悔しかったか。
「もう……訓にあわせる顔がないって……思った……」
自分で自慰をさせられた。
カメラの前で、私はいつか訓に触れて欲しいと思っていた秘部に手を伸ばした。
訓以外に見て欲しくなんかない、私の裏側を覗かれた。
「私……心が汚されて……ごめんなさい、訓って、何度も、何度も……思ったの」
そういう行為をしたことがないというコトは無かった。
私は訓が好きで、好きで、好きだから、訓を思ってシたことは何度もある。
「私、初めて後悔した。自分の選択は間違ってたって思った……」
身体は正直に反応する。
慣れた行為に、粘ついた液が分泌されて、指に絡みつく。
嫌なのに……でもこんな時でも、こんな時だから、訓の顔しか浮かばなかった。
「助けてって……叫んだの。心の中で、数え切れないくらい、訓を呼んだの」
呼ぶ度に心が熱くなって、切なくなって、首筋を汗が流れた。
期待、いや願望と不安が渦を巻いて、興奮を呼んだ。
指はどんどん深く沈んでいって、自然と声が漏れた。
「もう訓のコトしか考えないでいようって……現実から目をそらした……」
訓の名前を呼ぼうとして、でもそれは出来ないと思って我慢した。
私は無機質なカメラと、ゲスな男達の前にいる。
目を逸らしたいのに、突きつけれてる現実を理解する頭が恨めしかった。
それでも、せめて訓を思い、訓を思うと、少しは羞恥も恐怖も安らいだ。
同時に昂ぶりが襲い、千紗にも形がいいと褒められた乳房に手を伸ばした。
男達は歓喜の声を上げてた。
いいんだ、見せつけてやると心に理由をつけて偽った。
せいぜい興奮しろと。でも私が昂ぶるのは貴方達のせいではない。
私を昂ぶらせるのは、蕩けさせるのは、世界でたった一人
「訓だけだったの……私には訓しかいないの……」
乳房の先を爪で繊細に引っ掻いた。コレは訓の手だって思いながら、今まで何度もしてきたことだった。
ジリジリと焼けるような感覚に吐息が溢れた。
呼応して女の一番敏感な所が肥大化してるのが分かる。
でも、それに触れるのは怖かった。だから訓に触れて欲しかった。
それも適わない……それならと、思っていても手を出せなかった。
結局ドコか都合のいい希望をもっていたのかも知れない。
訓が助けてくれるかも知れない。
そんなの嘘だ。
希望に対する肯定と希望が目尻に涙を溜めさせた。
「でも、来てくれた……訓は来てくれた……!!」
嬉しかった
嬉しかった
嬉しかった
強引に奥まで伸ばして自棄のように掻き混ぜて、それでも達することは出来なかった。
無理矢理に自分を納得させて、ほんの僅かな快感に身体を大きく震わせた。
違うんだ。今、訓に抱きしめられてる、この瞬間が本物なんだ。
もう、この訓の体温を感じてるだけで、訓の鼓動を聞いてるだけで、訓の匂いを嗅いでるだけで
私は身体の芯から真っ白になる。筋肉が弛緩してとろとろになってしまう。
心も、身体も、全部、全部満たされてる。
「来てくれたね、来てくれたんだね……訓…訓……訓……!!!」
次は本番だって、触れたくもない男の視線を感じながら、私処女じゃなくなるんだって思った。
処女だけじゃない、訓にあげたかったモノ、全部亡くしちゃうんだって思った。
でも……あげれるね、訓に私あげれるね。
「訓…」
「いちる…」

訓が私の髪を優しく梳きほぐす。
訓の指が私の髪の毛一本一本から伝わる。
「訓…」
「いちる…」
訓の黒い瞳。私の大好きな瞳。
見えてる?その瞳の映ってる私、自分でも信じられないくらいの最高の笑顔なの。
それが近づいてくる。
「ん…」
唇に訓の温もりを感じる。
離れたくない……私は訓の首に腕を回していた。
「………」
「………」
訓…訓…
………………大好き!!





















「お〜い、いつまでやってんだ〜。もう三分間もそのままじゃないか、おまえら。
 それ、もうキスじゃなくて、人工呼吸だぞ〜。な〜親友に対するお礼とか、少しぐらいあってもいいと思うんだ〜
 それともアレですか?それがお礼ですか?見せつけてるんですか?糖分補給してくれてるんですか?
 ……………帰るか、もう。
 当馬、泣いてるの?いや、いい、何も言うな。今日は飲もう。ジュースだけど。俺が奢ってやるから、な?
 レコちゃんももういいって。謝るタイミングなんて存在しないから、アレ。終わんないから、待っててもしょうがないって
 あーなんか俺も彼女欲しくなってきたなー。そうだ、この際レコちゃん、俺と付き合わない?
 ……なんだよ、当馬。え?レコちゃんの目、アレ?本気の目?俺、地雷踏んだ?
 いやいやいやいや、“今日は俺が奢るから生きろ”って、何、なんで?茨の道?
 ちょ、あ、あのさ、レコちゃん?冗談だからね、冗だ……何?“私、一流みたくなれるかな?”いやいやいや、
 一流ちゃんの相手できるの、世界でも訓ぐらいだって。へ?俺?無理、無理、無理、無理
 なぬ?俺と訓が似てるって?いや、似てるだけだから。全然中身は違うから。シ○ア専用ザ○とジョ○ー専用○クぐらい違うから。
 おい、何首フってるの?当馬。その“諦めろ”みたいな目やめて、マジで。ハエトリ草に捕まったハエを見る目やめて
 レコちゃん、なんで俺の腕に抱きついてるの?ねぇ、“私何でもするから”って、いや、凄く男としてはそそるセリフだけど
 取り敢えず、俺から離れてください。……却下って、さっき何でもするって言ったジャン!!
 いやぁぁぁぁぁぁ愛が重いぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!」






<了>
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