草木も眠る丑三つ時。 まともな感覚の者ならば、夜明けを待って眠りに就いている頃。明日の為に疲れを癒し、そして活力を蓄えている頃。 人知れず山中を往く者へ向けて、鋭介は声を掛けた。 「なんと。こんな夜更けにウロウロして。汝ら、どうかしたか?」 一の二の三の。 わざわざ指差し、数える。 表情を窺える部位は、目の付近だけ。頭巾で顔を隠した、いかにも旅人ではない男が三人。 「…………」 「道に迷った??というわけではなさそうじゃの」 突如現れた余裕綽々の青年を警戒し、一人が、鉈代わりの剣を構えた。 露出した目を動かし、鋭介を品定めするように見やる。 「一つ訊く。この辺りで、奇怪な娘を見なかったか?」 切っ先を向け、自分達の都合で問いただす。 「さて。ここらは変わり者が多くての。はてさて、誰のことやら」 鋭介は軽い様子ではぐらかすが、 「我らは真面目に訊いておるのだ!」 男の調子は変わらない。むしろ、刃をより近くへ寄せてきた。 其方がそのつもりならば、此方もそれに従うまで。 鋭介は態度を変え、怒りを込めた低い声を発する。 「……なれば、まずは刃を納めよ。それがぬしらの礼儀か?」 「貴様??!」 首領格の一人が、激昂し振り被る仲間を制止し前に躍り出た。 「よい。??そなた、先程の我らの問いに、正直に答える気は無いか?」 「相手への礼を尽くすことを知らぬ者に、一々親切にするほど人間が出来てはおらんでな」 「ならば此処は、力尽くで口を割らせるまでよ!」 「問答無用か。わしとて、大人しく従う気は無いぞ」 「抵抗するならば、殺しても構わん! 勝手に探ればよいだけのこと」 言葉と共に、手で合図をする。 首領の命令に、部下の二人が得物を手にした。 「抜いたな? 遠慮はせぬぞ」 それは即ち、覚悟があると見做す。 「恨み言は、閻魔相手にでも垂れるがよい!」 裂帛の気合を込めて、闇夜に銀閃が奔った。 「ぬおっ!」 「ぐわああ!!」 刃を鞘より抜き放ちつつ、擦れ違い様に一人。胴体を横薙ぎにした。 そのまま袈裟斬りへ移行し、一人目の後ろにいた二人目を、肩口から斬り捨てる。 一連の動作を終え、瞬間的に鋭介の動きが停止した。命のやり取りの場に置いては、致命的な失敗。 くずおれる二人を囮に、背中から首領格の男が斬りかかってきた。 「ッが!?」 驚愕に目を見開く。 捨て駒二人が囮ならば、見せた隙こそ、鋭介の囮。 刀を逆手に返し、迫る気配に逸早く突き立てた。刃を、赤い雫が伝う。 男の手から得物が落ちる。 鋭介は、首魁の男が地に伏せることを許さず、襟を掴み上げてその場に留めた。 腰と膝の砕けた息も絶え絶えの男を、その鋭い目で睨みつける。 「ぬしら、僧兵か。何処の宗派か知らぬが、仏の徒ともあろう者が、地に落ちたものよ」 「……くっくっくっく。どうやら……この辺りで、間違いないらしいな……」 「なに?」 焦点の定まらぬ目で、男は続ける。 「同志は、各地に散っておる……。結界のおかげで……此方から連絡こそ出来んが……」 血を流し、体温を失ってゆく。 「我らが……辿り着いたのだ。いずれ、此処を探し当てるぞ……」 死すら受け入れ、頭巾の中の男の口が吊り上がったのが判る。 「待て! 目的は何じゃ!」 慌てて、鋭介は問いかける。 三人の僧兵は、それぞれ告げる。 「あれは……仏へ至る法??」 「無余涅槃への道標??」 「沙羅双樹の化身??」 この世で最期に残すのは、はっきりとしない抽象的な言葉。 部下の二人から、生気は失せた。 残る一人の辞世の句は、鋭介への忠告。 「気を付けられよ……あれを知られれば、時の、権力者……から、も……」 そこまで口にして、首魁もまた息絶えた。 死人をなお苦しめる趣味は無い。掴んでいた襟を放した。 「ついに、妖ばかりでなく……一体、何なんじゃ」 鋭介は危惧する。 ここ暫く、結界破りが多すぎる。それも偶然迷い込んだモノではなく、明らかに何らかの目的を持ったモノが。 時期を考えるに、一因はおそらく……。 「エースケ?」 「ああ。あまり見ぬ方が良いぞ」 木陰より、煌星が顔を出した。支持に従い、ずっと気配を消して隠れていたが、物音がしなくなって安全と判断したのだろう。 鋭介は、一言注意をする。 地に咲いた椿に倒れ伏す三人の姿がある。慣れていないと、見てて気持ちの良いものではない。 「この人たち……」 「気に病むな。お前に関係があるとは限らん。それに、どういう内容かはさっぱり解らぬが、使命に殉じたのじゃ。後悔は無かろう」 煌星の希望とはまた別に、世間の目を誤魔化す立場に身を置いた方が、後々有利になるだろう。 敵を斬り伏せる頻度の上昇は、決して口にしない。これくらいが通常だと思ってくれた方が、今はかえって都合が良い。 そっと手を合わせる煌星の背中に、鋭介は目を細める。 「思えば、哀れな奴らよ。……墓くらい作ってやるか。せめてもの供養じゃ」 「私も作るわ。私に関係があっても無くても……冥福を祈るくらいは出来るから」 それが、少女の答え。 たとえ原因が何であれ。たとえ疑惑が真実であったとして。それでも、この少女が悪である筈が無い。 「そうか」 鋭介は微笑む。 少々困りモノの娘だが、せめて全容が知れるまでは付き合いたいと、そう願う。 「おーっす、鋭介。遊びに来たぞ」 その日、呑気な声で戸を叩いたのは、鋭介の見知った顔だった。 鋭介と同年代、簡単な旅姿の青年。住む場所が場所なら、さぞかし引く手数多だろう優男風の美男子だ。 刃物の手入れをしていた家の主は、見るなり嫌な顔をしてみせる。 「む、なんじゃお前か。こんな真昼間から。仕事はどうした」 「分け前いらないのか? 町へ商品を卸してきた帰りだよ」 「ははは。すまんすまん」 気軽に笑うと、席を勧めた。 青年は腰を降ろすと、荷物を開き、売り上げと頼まれていた買い物、それと町土産を手渡す。 「お前の包丁や鎌、鍋なんかも相変わらず評判良かったぞ」 「当然。じゃが、まだまだ師匠には遠く及ばんの。次は刀の注文でも取って来てくれんか」 「ったく。その爺くさい言葉遣いは、何時までも直らないな」 「染み付いた癖じゃ、気にするな」 鋭介は、机の引き出しから紙束を持ってくる。 「それでな、次のときに頼みたいものは??」 「エースケ、お客様?」 その時、野良仕事から戻った煌星が、来客の気配を感じて顔を出す。 「ああ。こやつは、わしが此処に来た頃からの腐れ縁で??」 紹介しようとするや否や、 「うわあああああ!? お、女だと!? 鋭介に女っ気だとお!?」 一瞬で壁際まで後退り、青年は枯れ尾花でも見たかのように、ガタガタ震え出す。 頭痛を覚え、鋭介は溜め息を吐く。この男は、一々反応がデカイので困る。 「落ち着け、馬鹿者!」 「え、鋭介……お、おお、お前、何時の間に女房を貰った?」 「義男よ、だから落ち着かぬか」 元の位置に座らせると、声を荒げ目を血走らせる義男に煌星手作りの茶を出す。義男と呼ばれた青年は、それを一気に飲み干した。 むせ返ったので、背中をさすってやる。 落ち着いた所を見計らって、煌星は義男に深々と頭を下げた。 「初めまして。私、鋭介の妻の煌星と申します」 「ぬう……。年頃の娘とは、やるな、鋭介。しかも美人か。祝儀として、分け前多くしようか?」 「今の所、仮の立場じゃ。祝言も挙げておらんよ」 ピンと来て、鋭介の言いたいことを察する。 「何やら複雑な事情がありそうだな」 「おかげで、この一月、全然手を出してきません……」 義男は仰天し、声も無く目を見開いた後、ゆっくりと頭を振る。 そして鋭介の肩に両手をついて、低い声で諭すように語った。 「いかん。いかんぞ、鋭介。夫婦なら、子を作らねば。そうして嫁を守るのも、夫の務めだろ」 「だから仮だと……遊戯のようなもんじゃ」 「何時しか、本当の夫婦になるかどうかの……まあ、賭けみたいなものです」 鋭介は咳払いをするが、当然のように通じず。 「出会った経緯が経緯だけに、男として愛しているかは、最後の最後でイマイチ自信が持てないところがありまして」 取り敢えず、あまり余計なことは言って欲しくないのだが……。 言って欲しくないのだが、言っても無駄だろうから、中断してた刃物の手入れを再開する。 煌星は詳細を省きつつも、鋭介との出会いから今日までの生活と、そこから得た感動を義男に吹き込む。 片や義男は、心に染み渡らせるかのように、しみじみと何度も頷く。多分、あまり耳に入れてない。入れても、きっと理解する気がない。 「あ、でも、鋭介が好きなのは確実です。だから……恩もあるし、抱かれても問題ないって言ってるんですけど……」 そら見たことかと、鋭介に顔を向ける義男。 都合の良いところばかり聞き逃さない輩である。 「だそうだが?」 「以前、余計な一言を口にした手前な。わしも手出ししにくいのだ」 少し悔しそうにむくれる。 「あ。一応、男として手出しはしたいんだな」 「まあ……」 鋭介は、道具を床に置いて、煌星の全身を見回す。 顔の造作も良し、体つきも同じ年頃の娘と比べて大人びて色気がある。はっきりとした年齢は不明だが、結婚しててもおかしくないくらいだろう。 異国風の髪や瞳も、この娘の場合は何故か自然な魅力として映る。まともな男ならば、彼女へあらぬ衝動を掻きたてたとしても、それを強くは責められまい。 「これだけの女じゃしな。しかし、今更覆したりは、な」 頭を落とした鋭介に、煌星は身を寄せ迫る。 腕を取り、さらに密着。 普段の煌星は、こんなことをしてこない。例の副業に付き合うのを除けば、普通の生活を、普通に鋭介と送っているだけだ。 それが今日になって、突然積極的になるのは、どういう風の吹き回しか。 「無理しなくていいんだよ。ん? んん?」 「これ、人前じゃ。自重せんか」 「気を許してる相手みたいだから。仲の良さを見せ付けておこうかなって」 「何じゃ、それは……もう知らん」 「あーそうか。まーた不器用さを発揮したな、お前」 困惑する鋭介を余所に義男は笑う。 「同じ男として解らんでもないが、何かと損してるよな」 「自覚はしておるよ」 無視を決め込む鋭介の気を引こうと、煌星は鋭介の髪で遊ぶ。 三つ編みや二つ分け、はたまた上げられても、形容しがたい髪型にされようと我慢する。 むしろ“仮の”や“遊戯”という言葉に嘘臭ささえ感じつつ、義男は二人に忠告しておいた。 「ま、お前らが納得してるならそれでいいが……村の連中に、内情は知られるなよ?」 「解っておるわ。気にかけてるのは、間違いないからの。ついでじゃ、お前も騙されといてくれ」 「? えと、どういう意味なの?」 何も解っていない娘相手に、二人は顔を向かい合わせて同時に溜め息を吐く。 「な。世間知らずじゃろ? だから、目を離せんのよ」 「成る程な。解った、俺も協力するよ」 「ああ、頼む!」 「頼まれた!」 友情の証に、がっちりと右手同士を握る。 「ちょっと。質問に答えて」 そこを煌星が水を差した。髪を引っ張り、ガクガク揺すって応えを求める。空気の読めない奴だ。 鋭介は、珍妙になった髪を解く。少し考えてから、できるだけ簡潔な言葉にして説明した。 「本物の夫婦でないと知れれば、村の若い連中は、隙を見ては押しかけてくるぞ」 髪を結びなおしつつ、仮とはいえ妻である少女に釘を刺しておく。 「特にお前は美人じゃからな。我先にと争いかねんわ」 この家の立地条件や鋭介の存在から、多少の抑制にはなるだろうが、それでも目の届かない時までは保証できない。 性に対して、この国は大らかだ。平民ともなれば尚更である。規範や暗黙の了解といったものは当然存在しているが、そうでない相手には夜這い上等といった風俗だ。 ただそれも、誰かと夫婦の関係になるまで。色町でもない限り、他人様の伴侶への手出しは厳禁である。 過去の己を思い起こしながら、義男は語る。 「俺も昔は、随分女に手を出したもんだ。今じゃ、カミさん一筋だがな」 「その上、尻に敷かれておるからな」 「やかまし」 ふと真面目な顔になり、本題に入る。 「で、どんな噂を流しておく?」 「ふむ。西の山の鋭介が、拾った女と一年前から懇ろだった??といったあたりかの」 「そうだな。幸い、ここ一年程でお前が拾ってきた奴はいないし。細かい事情は、適当に取り繕っておくよ」 元々、人里とはそこそこ距離を置いた生活をしているのも好都合。 九割の嘘に一割の真実を混ぜるのが肝心だ。それらしい説明さえあれば、一年程度の空白を誤魔化すのは訳は無いだろう。 「あ奴らは元気にしておるか?」 「そう思うなら、もう少し頻繁に顔を出せ。後が怖いぞ」 「耳が痛いな。まあ、近く下りよう。ともあれ、今回はその不精が役に立ったというコトでな」 苦笑に苦笑で返す義男。 それもいいかと、強くは言わずに腰を上げる。 「じゃあそういうコトで。後は任せておけ」 「もう行くのか?」 「他にも回らなきゃならない所があるからな」 「そうか。何時も面倒かけてすまんな」 「気にするな。惚れた男の頼みとあらば、断われんよ」 途端に、煌星が鋭介にしがみ付き、顔芸を駆使して威嚇する。 「どうした、煌星?」 「あげないよ。私の鋭介」 二人して必死の形相になり、その考えを否定する。 「いやいやいやいや! 要らない。要らないって」 「変なこと言うな、煌星。全く以って気色悪い」 「でも、惚れたって」 弁明するも、煌星は不信を隠そうとしない。 これはかなわんと、言葉を発した理由を説明する。 「鋭介は命の恩人だからってだけで、変な意味は無いって。人柄に惚れたとか、そういう意味よ。俺、男色じゃないし」 「もし本気で男色なら、とっくの昔に張り倒しておるわ」 「上等。お前なんて、こっちから願い下げだね」 暫し間近で睨み合った後、破顔して大笑いする。 そこまで確認して、煌星は義男の両手を取り、上下に大きく振る。 困惑し、されるがままになる義男。 どうやらこの少女、惚れた切欠に親近感を持ったらしい。 「これを持って行け」 ようやく解放された義男に、鋭介は一振りの刀を投げ渡す。 「これは?」 「護身刀じゃ。脇差の上に試作品だが、使用に差し障りはなかろう」 白木の柄を抜いて確かめる。 透けると見紛うばかりの輝きが、瞳を突き刺す。 「高く売れるかな?」 「…………食うのに困ったらにしとけ」 「冗談だ。ありがたく貰っておく」 そうして、義男は鋭介宅を後にした。 仮の夫婦は笑って見送り、 「??は!」 後姿が見えなくなったあたりで、夫ははたと気付く。 「おい! 待て、待たぬか、義男! 目録を忘れるな!」 「ねえ、エースケ。この間のあの人って」 「義男のコトか?」 「そう、何日か前の。どんな人なの?」 壁越しに、煌星からの質問が飛んでくる。 「人となりは見たとおり。村長の息子でな、賢いくせにおつむは単純で……何かと気の好い奴よ。つまり??」 「つまり?」 「馬鹿じゃな。良い意味で」 「ああ」 その一言で納得した。付き合ってみれば、きっと気持ちの良い相手なのだろう。 「ねえ、エースケ。一緒に入らない?」 「わしが、今此処で火を見てるのは何でじゃろうな?」 鋭介は竈に薪をくべ、竹筒で空気を送り込んだ。 見上げれば、柵のついた小窓から湯気が立ち上っている。水音も洩れてくる。 壁板一枚の向こうは、師匠謹製の浴室。わざわざ作った大桶に水を張り、火をかけてやれば、たっぷりの湯に浸かって疲れを癒すことができる。 が。 鋭介は、これがあまり好きではなかった。いや、たっぷりの湯で垢を落とす行為自体は好きだ。だが、その準備が面倒だった。 使うなら何日かに一片は水の張替えが必要だし、張り替えるならば、桶を肩に担いで何往復もする必要がある。 その後はこうやって火を使わねばならないのだから、労力は馬鹿にならない。 家事を手伝ってもらっている為、女にこれ以上の力仕事を任せるのは忍びなく、風呂の準備は自分で買って出たのだが、少々失敗したかと思う。 「もう大丈夫でしょ。良い感じに温まったし、直ぐには冷めないよ」 「ぬう……おのれ、口ばかり達者になりおって」 自分が先に入ると、煌星は勝手に入ってくる。曰く手間を省くためとのことだが、確実に嘘だ。その為、一番風呂は彼女に譲るのが慣例になっていた。 こうして誘ってくるだけならば、まだ可愛いものだ。油断してると、あの手この手でその気にさせようとしてくる。 今回はどのように躱すかと考えた時……、 「また……え? しかも、こんなに?」 「煌星? ??む!?」 禍々しい気配を感じた。間隔が短すぎる。それも……数、およそ二十。 「お前……」 煌星は、思わず窓辺に身を乗り出していた。 そんな彼女を見て、空恐ろしいものを感じる。一筋ばかり、冷や汗が垂れた。 (わしより早く察知するとは。まさか……な) 雑念を振り払う。 闇夜の向こう。気配を感じた方向を見やる。 そして、彼の目が変わった。 一介の鍛冶師から、邪を祓う戦士へ。 「行くぞ、煌星! 準備し??うわっぷ!」 力強く立ち上がったところに、頭から手桶でお湯を被せられた。 「何をす……くっ! は、早く支度せぬか!」 抗議しようと思えば、気付いて咄嗟に視線を逸らす。 先程は気に留めなかったが、彼女は入浴中。つまり、その姿は……。 脳裏に焼き付いた光景が浮かぶが、今はそんな場合ではない。すかさず邪念が発生する前に振り払った。 山中を、二つの影が駆け抜ける。風を切り、湿った肌が体温を奪う。 「湯冷めしなければ良いけど」 「まだマシじゃ。濡れ鼠じゃと、さすがに冷えるわ」 鋭介は、皮肉で一つ身体を震わせる。 「もう。裸を気にも留めないほど貧弱かな。無視されると、ちょっと傷付くよ」 「そんなのではない。気が余所に向いてただけじゃ」 そもそも、ちょっと気紛れでモノを教えただけで、こうやってついてこられるようになったのが異常なのだ。 取り敢えずで良い。自分の身を守れる程度の力があればと思って手ほどきしてみたのだが、一を知って十を知られると心穏やかではない。 やはり彼女は神仏の類で、自分達とは根本的に違うのではないかと思ってしまう。 男の嫉妬は見苦しいと、煌星には悟られないように隠してはいるし、それも慣れたが。 「本当にそう思ってるのかな?」 「正直、結構な辛さを感じておるよ」 煌星の火照った裸体が浮かんでは消える。 本日もそうだが、狭い空間で生活していると、あの手の出来事は多い。 今回は偶発的なものだが、普段は誰かさんが面白がって意図的に起こすので、今まで遭遇した回数は覚えていない。 その度に、鋭介は自分を抑えている。 己の欲を支配してこそ、その先の道を極められる。それが今は亡き師からの教え。 「そ。……お互い心底本気になるまで、あと少しってところかな?」 「早めに本気になってくれると、此方としても助かるな」 「ごめんね、エースケ」 「謝るでない」 はっきり言って、欲に流されても問題の無い相手なのだが、だからといって手を早くすると、自分に甘えが生まれる。 今暫くは様子見の段階であると、鋭介は判断していた。 「??お喋りは、ここまでじゃ」 目標を発見した。 斜面の上から、木立に身を隠しつつ監視する。 闇の中、明かりを灯すこともなく進行する一団。 その内訳は、四分の三が異形。残りが??おそらく、例の僧兵の関係者??本来ならば、袂を連ねる間柄ではない者。人間。 「これまた、随分と節操の無い」 「やっぱりこんなに……。何、あの人数」 「有象無象ならいざ知らず、全員手練であったなら、わりと冗談にならんな。特にあの首魁と思われる者??」 一段と大きな存在感を持つ男を注視する。 「金髪碧眼に赤い肌か。南蛮人……でもなさそうじゃな」 やや逆立った髪は、本物の金糸を頭皮に埋め込んだかのように眩く。 赤みがかった白ではなく、血か炎を思わせる肌。双眸は青玉。 ある意味で目立つのは、袖なしの合わせや袂の無い上衣。集団を率いるような装いではない。そのくせ威厳を出す為か、赤地に精緻な刺繍を始めとする豪奢な装飾を施した派手な外套を纏っている。 中々に傾奇者だが、いくら鋭介の夜目が利くとはいえ、肌や髪の色はともかく瞳の色など解ろう筈もない。 しかし、鋭介はハッキリと認識した。何故ならば、光を反射するのではなく、自ら放つように輝いていたからだ。 いや、実際に光っているわけではない。まるで姿形を正確に認識している、そう錯覚させる程の気配があるだけだ。 一目で只者ではないと解る。余程の愚図か大物でもなければ、嫌でも意識させられる。 鋭介は唾を飲み下す。 今の自分が、あの男に、確実に勝てるという自信は……、 「そりゃあ!」 掛け声と共に、突如背後に現れた気配から、凶器が振り下ろされた。 「何?」 「見つかったか!」 迂闊にも、親玉に気を取られすぎた。斥候の不意打ちを軽業で躱す。 驚く煌星を両腕に抱いて宙を舞い、一団の只中へ降り立つ。 「ありがと」 「気にするな」 煌星を解放し地に立たせると、斥候が滑り降りてくる。 不細工な顔をした、人型の妖だ。鍬のような武器を手に、要所を鎧のようなモノで守っている。 「親分、曲者ですぜ!」 「どちらが曲者やら。此処は、わしらの山ぞ。ほれ、もっと痛い目に遭いたいか?」 「何ィ??うへぃやあ!?」 躱した際に、鞘で礼を一発ぶち込んでおいた。 胴当てが砕け、思い出したように襲い掛かった衝撃が、斥候を吹き飛ばす。 「ぶぇっ!」 たっぷり二十尺近く跳ねてから、潰れた蛙の様になって地面と接吻する。 部下の様子を気に留めず、余裕綽々と、親玉は鋭介の言い分を認めた。 「ふぅむ。確かに、我らの方が悪者だな。ああ、それから??」 潰れ蛙に注意する。 「何度言えば解る? その呼び方は、野暮ったくていかん。今更言葉遣い全てを直せとは言わないが、せめてもう少し雅やかに呼べ」 痙攣しながら顔を上げた蛙は、それどころではないだろうと、半眼で訴える。 「あの……お、じゃねえ。親方、いや。主様?」 軽く無視して、鋭介たちを一瞥すると、優美な仕種で頭を下げる。 「安心したまえ。無闇に事を荒立てるつもりはない。此方の要望に応えてくれれば、早々にこの地を立ち去ろう」 「ちょ、俺ァその男に、こんな目に遭わせられたんですぜ」 「我慢しろ。交渉中だ」 突き刺すような針のような気配に、鋭介の額に浮き出た冷や汗が、頬を伝って顎から落ちる。 辛うじて、鳥肌が立つのだけは抑えられた。 気取られるなと気を強く持ち、男の眼から視線を外さない。 「要望な。どうせ、碌な物ではあるまい」 「まあね。そう言われるのも、仕方の無い話だろう」 外套を翻し、胸を張って告げた。 「まずは名乗ろう。私の名は、石火とでも。要望というのは、その娘……」 ゆっくりと、人差し指を水平にする。 「此方に引き渡して貰えるか??って、そりゃ拒否もされるな」 鋭介の背中に隠れた煌星に苦笑する。 気を取り直して、石火は爽やかな笑顔を浮かべながら背中を向けた。 「まあいい、此処は退いておこう。急ぐでもなし、見境無く神狩りしてるワケでもなし」 「逃げるのか?」 「仮に当たりだとしても、準備ってものがある。物事、浪費を抑えるのに越したことはないさ」 振り向かぬ背中に、声を浴びせる。 「貴様の目的はなんじゃ!」 「原初の願い??生きとし生けるものの、根源的欲求。言葉面ほど大層なものじゃない。自分勝手な目的だ」 顔だけたった一度振り返り、軽く手を振ったら先へと止まっていた足を進める。 「それじゃあ。もう会わないことを願って。行くぞ」 「待……む?」 石火とそれに従う部下を追おうとする鋭介の行く手を、数体の妖が阻んだ。同時に、さらに数体が後方を塞ぐ。 計、十体弱の妖が、鋭介の生命と煌星の身柄を狙う。 「此処はお任せを。この傷の借りは返させてもらうぜ」 蛙??鋭介の中では、これで決定した??が、チンピラ然とした態度で凄んでくる。 そこへ、親切心で遠くから石火が忠告を入れてやる。 「やめておけ。お前達が束になったところで、命を棄てるだけだぞ」 「へへへへ。親方、たかが人間を買い被り過ぎでさ。油断しなけりゃ、負けるはずありゃしませんて。朗報をお待ち下せぇ」 直らぬ呼称に、一つ小さな溜め息を吐いて、どうしたものかと考えあぐねる。 だが逡巡もそこそこに、 「??ま、惜しくもないか」 損得勘定で此処は捨て置いた。時間稼ぎくらいにはなる。 主人の心中を知らぬ蛙は、仲間と共に自信満々鋭介たちを威嚇する。 「ひっひっひ。ってワケで、其処の嬢ちゃんを貰うぜ」 駆け出し始めた石火一同の後姿から、追跡不可能と状況判断を下す。 「もう追いつけんな。おい、お前。後ろの連中……僅かで良い、押し留めてみろ」 「はい。あなた」 お前と呼ばれ、それに倣った呼称で返す。 「イチャついてんじゃねえよ!」 蛙は青筋立てて怒鳴るが、鋭介たちは軽く受け流す。 「フッ。羨ましかろう?」 「羨ましかろう?」 むしろ、身を寄せ合ってからかってみる。 「う、ううううう羨ましくなんかないわ!」 頭から湯気を出し、蛙は地団太を踏む。 ムキになって、仲間に号令をかけた。 「えーい、お前ら! 何をボサッとしてる。さっさと片付けろ!」 左手を鞘に、右手を柄に。 「やれやれ。中々に憎めない奴じゃが、人里へ下ろすわけにもいかんしな。少し、本気でいかせてもらうぞ」 一番手を迎え撃つ。 後の先を取って、鋭介は太刀を抜き放った。まず一体。 次々飛び掛ってくる敵を、横に、縦に両断し、あるいは急所を貫き沈黙させる。 鬼神の如き戦いぶりに、蛙は怯え後退る。 「んな馬鹿な……。四人もあっさりと……!」 「汝らだからじゃよ。石火とかいう親玉相手では、こうはいかん。さて??」 後方を見れば、煌星は同じく四体ばかりを相手しながら、その身に敵を寄せ付けない。 障壁を張ったり、それを鎖状に展開して動きを奪ったり。防御術ばかりを教えた故、攻める術こそ持ち得ていないが、しっかり身に付け使いこなしているらしい。 攻めに特化した鋭介よりは、余程才能があることが見て取れる。 「大したもんじゃ??っと!」 「んぎゃ!」 後ろからの攻撃を躱し、一つ裏拳で黙らせておく。 「ご苦労。後は任せよ」 跳躍し煌星の頭上を軽く越えるなり、早速一体の首を刎ねる。 既に勝負は決まっていた。残るは、時間の問題のみ。 手早く片付けると、蛙の鼻先へ切っ先を置いた。 「ひっ!」 「さて。汝らについて、洗い浚い吐いて貰いたいが。どうじゃ?」 ちくちくと、鼻の頭を突く。 「だ……誰が話すかー!!」 意外と強情だったので、仕方なく蛙さんには、夜空の星になってもらった。 これからは人の足元をすくおうとして踏み潰されるのではなく、誰かを照らす存在になって欲しいと切に願う。 「結局、何も進展を見せんかったな。無駄足か……」 いくら何でも、最近は結界を突破されることが多い。師の遺したものだけではなく、強化も考える必要があるかもしれない。 今後の方針について考えていると、煌星が袖を摘んで小さく引っ張ってきた。 其方を見る。 「無駄じゃないよ。村への危険は、確実に減らせたし。貴方のおかげで。ね?」 「??そうか。そうじゃな。我らの働きは、決して無駄ではない筈じゃな」 確かにその通りだ。何も難しく考えることはない。人事を尽くして天命を待てば、それで良い。 悩む必要は無い。やれることをやれば、いずれ必ず報われるに違いない。 「さて、帰るとするか」 だがその前に。 「うん。エ??」 片手で煌星の口を塞ぎ、空いてる手で太刀を投げる。 発射された刃は、次の瞬間には、一直線に木へ突き刺さっていた。 「どうしたの?」 「なぁに。ちょいと、覗き魔にお仕置きをな」 「へぇ。この地の守護者もやるもんだ」 監視用の小型使い魔が討たれたのを察し、思ったより強力だった敵の力を認める。 山道を進みながら、面白くなりそうな予感に、石火は笑みを浮かべた。 「いかがなさいますか?」 「放っておけ。確証も無く動けば、騒ぎは大きくなるだけだ」 指示を仰ぐ部下に石火が下した命令は、現状維持。 「戦国の世は終わり、天下統一が為された。それに伴い、全国的には、妖の活動も沈静化の傾向を見せている」 およそ十年。 以前は混乱に乗じて活動していたモノたちも、落ち着き始めている。何の考えもなく暴れるのは、悪戯者か単なる馬鹿。 もしくは、 「下手を打って、余所の守護者を呼ばれたら厄介だろう? 暇してるのも多いだろうしな」 「では?」 「暫くは表立って動かず、此方は諜報活動に専念する。当たりが出れば、それで良し。外れなら、この地に長居は無用だ」 「はっ」 もしくは、心身ともに強さを自負するモノ。 「それと平行して、一応儀式の準備も進めておこうか」 「少々大掛かりですが……確証の無い時期に大袈裟では。無駄は省かれるのではなかったのですか?」 「自分の頭で考えてみようね。いくら私の部下だからって、自分の判断まで無くしたら、人間終わりだよ、キミ」 「はあ……」 尤も、その部下は人間ではない。 しかし、説明しなければこの場は埒が明かないのも事実。まだまだ見識の甘い部下への教育を兼ねて、ここはちゃんと説明しておく。 「確信はしてるんだ。実は、その裏付けが欲しいだけなんでね」 「…………石火様。お言葉ですが、根拠は?」 自信満々に、石火は言い切った。 「勘、さ」 |