教室内にトンカントンカンと釘と金槌のぶつかる音が響く。場違いな音ではあるが小気味よいリズムを刻んでいる。 ざわついているのはこの教室だけではない。学校中が落ち着かないのは文化祭本番を間近に迎えているからだ。 「……い。」 「ん?ゴメン、周り五月蝿いからよぉ聞こえん。」 「先輩。」 「何や?」 声音から安田だという事は分かっていたから、背を向けたまま応対する。ちなみに俺は立て看板とにらめっこしているところだ。 「少しお時間いただけますか?」 「無理。見て分からんか?これ全部、1人で仕上げなアカンねん。」 足下には真っ白な紙が貼られた畳1畳サイズの板が4枚転がっている。 ついさっきの話だ。 文化祭を3日後に控え、演劇のセットの色塗りをしていた俺は文化祭実行委員に呼び止められた。 「飯嶋って美術部だったよな。」 「そうやけど?」 「立て看板作る許可取ってきたから描いてくれないか?」 「描いてもええよ。で、どんなん作るつもりなん?」 「これくらいの大きさの板に白い画用紙貼って、その上にイラストを描いてほしいんだ。」 指でL字を作り胸の前の空間に吊り下げて大きさを示す。 「大体畳1畳くらいか。随分大きい看板やな。」 「だから今まで許可取れなかったんだけどな。土壇場で先生説き伏せて何とかした。」 満面の笑みで親指を立てる彼。 ……が、受けたのは間違いだった。 まず看板班(仮)に割ける人数は1人のみ。つまり俺だけだ。そして作る枚数。1枚だと思っていたら4枚作ってくれとのこと。 最後にこの実行委員、肝心のデザインを考えておらず、しかも明後日には仕上げないといけないと言う。 「本番、3日後やで?」 「前日までに並べないといけないんだよ。」 それやったらもっと早よ言うてくれればええのに、と文句を言うと頭を下げてこう言う。 「本当は出す気無かったんだけどさ、他の3年のクラスはみんな出すんだよ。ウチだけ出さないのもアレだし。」 かなり厳しいけどのは分かってるが何とか頼む、と拝み倒してくる。 俺も文句は言っているが依頼を受けた以上やる気はあるし、何よりここ1ヶ月よく走り回っていた彼の頑張りに応えたい。 大きく息をつき、分かった何とかするわ、と答えた。 そして現在。 のっぺりとした真っ白な板が4枚、足下に並んでいる。当然下描きさえ描き込まれていない。 デザインはどうしようかと悩んでいた所に安田がやって来た、という訳だ。 「じゃあ作業を続けたまま、聞いて下さい。」 「あー、んー。」 ぼーっと床の一点を見つめ、考え込む。 いつもと違って『苦しんででもいい絵を描こう』ではなく『楽に時間内に仕上げよう』だから、考えがなかなか纏まらない。 「先輩。」 「…………」 「……先輩?」 「あ?」 考えが纏まりかけたところで声をかけられ、ついきつい目で見遣る。だが、すぐに誰がいたか思い出し慌てた。 「ゴメン。」 「いえ。私の話聞いてま……せんよね、どうせ。」 少し拗ねたように視線を逸らす。 「いやいやいやそんなことないで、大丈夫、聞いとったから。」 「じゃあどんな話をしていたか覚えていますか?」 「えっと、聞いとったよ?聞いとっただけ……」 無言のまま睨むので耐え切れずそっぽを向いてしまう。 「……まあいいです。文化祭当日、暇な時間があるか訊きたかっただけですから。」 「暇な時間?」 「一緒に回りませんか、と訊いているんです。」 「うーん、回りたいのは山々なんやけどな、ちょっと無理やわ。ほら、ウチら出番最後やから。」 この学校では例年、1・2年生は模擬店、3年生は演劇をすることになっている。 1学年しか演劇をしないとは言っても、1日で全クラスが演劇をするから最後の演目は相当遅くなる。その待ち時間に最後の練習を繰り返すのだ。 正直最後の足掻きではあるが、高校最後の文化祭で少しでもいいものを出したい。だから3年生は毎年、自分たちが終わるまで朝早くから全員が拘束されるのだ。 そこに例外は存在しない……らしい。 「せやから無理。」 「……そうですか。」 一瞬不満そうな表情を浮かべ、それから残念そうに呟く。人前では無表情な彼女にしては珍しく、顔に出るほどの落胆ぶりだ。 「そんなに落ち込まんでもええやんか。大体お前も自分のクラスでやらんとアカンこと、あるんちゃうんか?」 「一応済ませてからきましたよ。」 「そうは言うても本番直前やで。いくら人手があっても足りへんときと違うんか?」 「そうなんでしょうかね。一応、一声かけてから来たんですが。」 よく分からないです、と言いつつ後ろを振り返っている。少しは自分のクラスが気にかかっているようだ。 「気になるんやったら早よ戻り。俺もこれ仕上げんとアカンし、自分のこと相手しとる暇は無いで?」 そう言って背中を押して追い返した。今は一分一秒でも時間が惜しい。 文化祭前日。 何とか形になった(と思う)看板を運び出した後、帰ろうとしたら実行委員に呼び止められた。 「何やねん。とりあえず仕上げたやろ?」 「それはお疲れ様。ありがとう。」 「どういたしまして。じゃ、さよなら。」 背を向けると肩をガシッと掴まれた。 「じゃあ、片付けてもらおうか。」 奴は俺が占拠していた床を指差しにっこりと微笑む。 「やっぱりやらなアカン?」 「当然。雑巾で全部落とすまで拭けよ、明日チェックするからな。じゃあ、さよなら。」 少しも手伝う様子もなく鞄を掴んで帰っていった。 暫く後、バケツと雑巾を手に提げて、俺は途方にくれていた。 かなり荒く筆やハケを動かしたから、絵の具を派手に撒き散らしてしまった。床だけではなくて壁にまで飛沫が飛んでいる。 とりあえず1時間もあれば落とせるだろうか。大きく溜息をついて膝立ちになり、端から擦っていく。 「先輩。」 「ヒッ!……驚かしな、何や後輩。」 いつの間にか背後に立っていたらしい。小声でポツリと言い出したので心臓が跳ね上がった。足音を消して近寄るなんて意地が悪い。 「先輩だけ、居残りですか?」 「うん。ちょっと派手にやってもうたからな。」 夏が過ぎたとはいえまだ日の長い時期だが、もう外は薄暗くなってきている。そろそろ灯りをつけないと、汚した場所の見分けがつかなくなってきていた。 「悪いけどさぁ、電気つけてくれへんか?もう暗くなってきたし見えへんねん。」 「…………」 背中を向けたまま頼んだが、反応が返ってこない。おかしいな、と膝立ちで後ろを振り返り見上げると安田が倒れこんできた。 「どしたん、気分悪いんか?」 驚いて受け止めると、逆に抱きつかれた。きつく締め上げられて呻き声が漏れる。 「うっ……止め、しんどいから。」 「久しぶりなんですから、我慢してください。」 俺の肩に顔を埋め、大きく息を吸い込む。それからグリグリとおでこをこすり付けてくる。 「ずうっと私のこと、相手してくれなかったでしょう?」 そのまま首を振るから少し長い髪が散らばって音を立てる。 「最後の文化祭だから頑張るのも分かりますけど、私も寂しいんですよ?」 見上げられたその視線にぞくっとした。 「やっぱり、立て看板に負けるのは悔しいですから。」 「大丈夫、負けてへんから。」 脊髄反射で即答する。普段はこんなこと言わないのに、つい口が滑ってしまった。 一瞬何を喋っているのか分かっていないような表情を浮かべたが、すぐに笑みを浮かべると目を閉じて顔を寄せてくる。 「キス、して?」 「ここ、学校なんやけど。」 「この辺りにはもう誰もいないようですが。」 「誰かおるとか関係無いわ。大体他のクラスがどうとか、そんなん分からへんやろ?」 もう随分暗くなってきてはいるが、まだ完全下校には少しだけ時間がある。ウチのクラスは明日に備えて早めに解散したが他のクラスはそうでもないだろう。 「大丈夫です。ここにくる途中見てきましたけど、どのクラスももう帰ったようです。」 「んなアホな。まだ時間はあるんやで?」 「そんなこと、私に訊かれても困ります。……早く。誰か来ちゃいますよ?」 少し楽しそうに更に顔を寄せてくる。もう鼻と鼻が触れ合いそうな距離だ。ふう、ふう、2人の鼻息だけが教室に響く。 「ね?この状況で言い訳は出来ないですし。」 彼女を受け止め座り込んだ俺に、寄りかかるように彼女が覆いかぶさっている。見方によってはキス以上のことをしているようにも見えるだろう。 「……これっきりやからな。」 安田の首の後ろに手を回し引き寄せて唇を合わせる。すぐに離れようとしたが安田は舌を伸ばしてくる。 唇の縁を舌の先で舐められもう一度くっつく。ぬめぬめと舌を絡めあう。 「ふ、むぅっ……はぁ。むぐっ……」 息も整えずに唇を塞ぎあう。何度キスをしても息をきちんと整えようと思わないのはどうしてだろうか。 呼吸なんてどうなってもいいくらい気持ちがいいからなのかもしれない。 数度唇をつき合わせた後、とうとう息が続かなくなった。深呼吸をして肺を大きく膨らませる。 「さっき一度だけだって言っていませんでしたか?」 「揚げ足取らんでええわ。……帰ろか。どいて。」 安田に立ち上がるようにうながしたが動かない。邪魔だから、といってもどかない。 「お前な、俺の邪魔しに来たんか?」 「いいえ、邪魔をするつもりはありません。ただ少し、先輩が恋しくて。」 「恋しい、言うたって毎日顔見に来るやないか。」 「でも、こうしてキスしたりSEXしたのは大分前ですから。」 「なっ……」 何を言うとるんや、と言おうとして絶句した。慕ってくれるのはうれしいが、こんな場所で埋め合わせをしようとしないでほしい。 「いつも『文化祭の準備が忙しいからまた今度』って言っていたでしょう?……どうかしましたか?」 「もう、何言うてもお前は変わらなさそうやな……」 「はい。変わりませんし、変えるつもりもありません。だから。」 また顔を近づけてきて、唇で鼻の頭にほんの少し触れると抱きついてきた。 「もう我慢できません。しましょう?」 「お前の家か?行ってもええけど、親御さんいはるんと……」 「ここで、しましょ?」 言うと俺の股間をこすりあげる。強い刺激で抗議の声を封じられ、何も出来ないうちに顔中にキスを降らせてきた。 「家に帰るまでの間も我慢できません。今すぐ下さい。」 鼻や、瞼や、耳や頬に軽く当てていくだけの行為を繰り返す。 「ダメですか?」 「ダメですかって……アカンに決まってるやろ。」 「でもこんなに大きくしてるじゃないですか。言い訳は見苦しいですよ?」 クスクス笑ってズボンの上から指を走らせる。さっきとは違って、柔らかくくすぐるような刺激だ。 「しゃあないやろ、勝手に反応してまうんやから。」 「うれしいです、私で興奮してくれて。」 俺の言っている意味を分かっているくせにこんなことを言う。 「……やっぱりマズイって。」 安田がファスナーに手をかけジリジリと下げている最中、まだ困惑している俺が口を開く。 「ここまできてまだ言いますか。野暮なこと言わないで下さい。」 為すがままにされ、それでもまだ愚図る俺にきつい言葉が飛ぶ。 「ふふふ、こんなに盛り上がって……」 開いたファスナーに指を突っ込み下着の上からさすってくる。布一枚挟んだ刺激に堪らず声を漏らす。 「かわいらしい声ですね。」 こちらを覗き込みながら反対側の手でベルトのバックルに手をかけると、下着ごとズボンを下ろしてしまった。 押し込められていたペニスがパンツに引っかかって大きくしなる。 「あれ?マズイんじゃなかったんですか?」 先端に指を置き全体を包むように掴むとゆっくりと扱き始めた。俺は声を出すまいと歯を食いしばり眉間に皺を寄せる。 「おかしいですね。ダメだと言っている人がどうして感じてるんでしょうね。」 更に空いた片手も添えて刺激を与えていく。片手は竿に、もう片手は玉の辺りをやんわりと揉む。いつの間にこんなことを覚えたのか。 「先輩、降参ですか?」 ずっと弱い刺激を与え続けられて、もう限界まで張りつめ反り返っているモノを手に訊いてくる。 「……言わんでも、分かるやろ。」 「先輩の口から『したい』と聞きたいんです。」 息も絶え絶えに返したがこんな意地悪を言われた。なんだか普段と立ち位置が逆な気がする。 「さあ。」 「うー……」 「さあ、さあ。」 「うぅー……」 「さあ、さあ、さあ。」 「うぅぅー……」 「ね?」 「……参りました。」 こうして俺は陥落した。文字通りの急所を握られて締め付けられるのだからたまらない。 1時間後。こっそりと裏門を出ようとしたら教師に見つかった。 「おい、何してる。」 「あ、いや……」 一瞬ヤバイな、面倒だなと思ったが、運良くウチのクラスの担任だった。教室の掃除をしていたと言い訳をするとあっさり解放してくれる。 「とっくに下校時間は過ぎてるんだぞ。」 「いや、実行委員に『自分で汚した分掃除してから帰れ』言われたんで……」 呆れた、と天を仰ぎながら同情してくれるが、実際は新たに汚した分を掃除し直していたから余計に遅くなったので自業自得と言える。 「そもそも今日はいつもより早い下校時間だったんだが、実行委員から聞かなかったのか?」 「え!?……頼むで実行委員。」 がっくりと肩を落とす。まあ、おかげで非常にスリリングなひとときを楽しめたので結果オーライだったのかもしれない。 事後、安田を先に帰らせて本当によかった。2人でいる所を見咎められたら、仮に何もしていなかったとしても洒落にならない。 「さ、早く帰れ。……ああそれと。」 『行け』と手を振られ校門を出ようとしたが、すぐに呼び止められた。何事か、と振り返ると教師の顔がニヤリと歪んでいる。 「仲良し遊びは大概にしておけよ。」 「はい?」 「時間差は人が多い時、紛れ込ませるように使うべきだったな。飯嶋、俺はお前のこと信じてるからな?」 ……撃沈。 翌日。文化祭本番。 開演前の舞台上は真っ暗で、観に来ている生徒とその保護者、そして近くの高校・大学から遊びに来ている人達でもう満員だ。 学校全体でも模擬店の品揃えも悪くなり始めた頃だから、余計に体育館に人が集まってくる。 俺は裏方で出番が無いから、撤収に備えて体育館の裏手に出て待機する。一歩外に出ると中のざわめきの大きさを再認識した。 それが一瞬、しんと静まり返り、それから拍手に変わる。外で待つしかない身だから祈ることしか出来ない。 ちなみに今日はまだ安田とは顔を合わせていない。お互い自分のクラスの催し物に忙しく、自由な時間が取れなかったのだ。 その分『会えないのは寂しい』といった内容のメールの着信が嫌がらせのように来ていたが、『頑張ってやれよ』とだけ返す。 俺のところなんかに来て、クラスで手伝わなかったツケだ。 不意に甲高いおしゃべりの声がこちらに向かって来た。観覧者用の入り口は逆側にある。きっと間違えたのだろう。 角を曲がると、入り口の場所を間違ったことにすぐに気がついたようだ。 「あれ?」 「あー、入り口やったら反対で……」 「そうですか。ありがとう。」 こちらに来た女性の数人組は笑いながら後ろを振り返り戻っていく。その中の1人の後姿に見覚えがあった俺は思わず追いかけ、駆け出していた。 「待って!」 俺の出した声に驚き、女性達が振り向く。真っ先に振り向いたのは俺の彼女だった人、だった。 |