ピンポンパンポーン♪

 ひび割れた、間の抜けたチャイムが、教壇の上に備え
付けられたスピーカーから流れ出た。校内放送だ。
 昼休みも始まったばかり。僕は動かしていた箸を止め、
机の上のペットボトルのお茶に手を伸ばした。
『生徒会からのお知らせです。来月末に予定される卒業
生を送る会において……』
 凜とした、張りのある声。我が校の生徒会長、生駒瑠
璃子(いこま・るりこ)先輩の声だ。
「お、リコちゃん会長か。で、何の放送よ、巧?」
 一緒に弁当を食べていた級友が、スピーカーに目を走
らせてから、僕へと声を掛ける。
「何で僕に聞くの? 放送聞いてれば良いじゃないか」
「えー、リコちゃん先輩の麗しいお声じゃ、聞き惚れ
ちゃって頭の中に内容が入らないー。という訳で、お前
が語れ、生徒会書記代行」
 そう、僕、永沢巧(ながさわ・たくみ)は一応生徒会
の関係者である。役職名は生徒会書記代行。何故一応で
代行なのかは簡単な話だ。秋の生徒会選挙において大幅
に役員が足りなかった現生徒会が、生徒会権限において
足りない役員を徴集したからに他ならない。何故僕が選
ばれたかは……まあ、深いようで浅い事情があるのだが
割愛する。因みに実際の役割がただのパシリなのは公然
の秘密だ。
「まあ、卒業生を送る会の一般参加者の公募と注意事項、
後、各部活責任者への通達、だったかな」
「ふーん、でもそんなん印刷して配ればいいじゃねぇ
の?」
「一つは予算削減。一々印刷物作らなくても、必要な人
間にのみ配布すれば問題ないでしょ。それともう一つ
は……時間が無くて印刷する手間がなかったから」
「ふーん。でもなぁ。リコちゃん会長って何で誰とも付
き合わねーんだろ」
「……さあ、知らないよ」
「あんだけ綺麗なのになぁ。ま、なら俺たちにもチャン
スが在るってことだな」
「無いでしょ、絶対」
「なにおう! 見てろよ、そのうち廊下でパンを咥えて
走るリコちゃん会長と俺がぶつかるフラグが立ってだ
なぁ!」
 僕は騒ぐ級友の声をシャットアウトし、放送のリコ先
輩の声に集中した。流れるそれに、昨日、耳元で響いた
声が思い出される。
「ん、どうした、巧? 顔紅いぞ」
「あ、ああ。暖房効き過ぎてるのかなぁ」
 ヤバイ。色々と浮かび上がる記憶が危ない。在る意味
トラウマともいえるそれは、昨日、日曜日の午後の生徒
会室での記憶だった。




 エアコンの微かな響き以外には殆ど音の無い生徒会室。
日曜日の午後ともなれば、校舎内には殆ど人気は無い。
ましてや、今日のように冷え込んだ日ともなればなおさ
らだ。なにしろ一応進学校。部活動にはさほど力は入れ
てない。サボる人間も多いわけだ。なにせ窓の外には粉
雪が殆ど真横に流れているし。
 文字と数字の羅列されたコピー紙から顔を上げた僕は、
軽く背筋を伸ばしてから窓の外に向けた視線を少しだけ
動かした。窓を背にした席に座り、何やらレポート用紙
にシャーペンを走らせている、我が校の生徒会長、生駒
瑠璃子先輩の方へと。
 艶やかな黒髪、舞う雪にも負けぬ白い肌、時折、書い
ている文章を確認するかのように小さく動く唇は朱を走
らせたかのように鮮やかに。両の頬に掛かる髪と伏せた
目がその表情を隠していて、それがまた何処か引き込ま
れそうな謎めいた雰囲気を漂わせている。
 ??怖いくらいに綺麗だ。
 いやまあ、多少は身内贔屓というか痘痕も笑窪という
か、僕の感情がその評価に影響を与えていることは否定
しない。けれど、そんな僕の感情を抜きにしても、彼女
の綺麗さはうちの学校の大半の生徒が認めるところだろ
う。なにしろ、噂では現二年生ではぶっちぎりの撃墜王
で、今なおそのスコアを伸ばしている現役選手だと言わ
れているくらいだから。実際僕も、彼女への手紙を預
かったり、仲介を頼まれたりしたことが幾度かある。も
ちろん断ったけど。まあ、彼女が多数の男子と少数の女
子から告白されており、それをただの一度も受けた事が
ないということだけは事実だった。
 もっともそれは、決して、リコ先輩が男嫌いという訳
ではない筈だ。先輩は男女の区別なく態度を変えること
がない人だ。僕が思うに、恋愛と言う事象に対して先輩
の興味が全く向いていないというだけだろう。



「……永沢、手が止まっているようだが?」
 手のシャーペンの動きは止めず、顔も上げず、全く僕
の方に視線を向けないまま、淡々とした硬質の声が室内
に響いた。小声ではあったけど、不思議と通る透き通っ
た声。
「あ、すいません。……雪が舞ってるなぁって、つい」
 正直に、先輩に見とれてました、なんて言えるはずも
なく。窓の外の雪に責任をおっ被せて僕は返事を返した。
そんな僕の言葉に先輩は、微かに首を傾げ、頭を巡らせ
て窓の外を確認する。
「……ふむ、本当だな。まあ、積もりそうにもない
が。……あまりに君が心此処に在らずといった風情で私
の方を見ているものだから、ついに私に惚れたのかとど
きどきしてしまったのだが……、そうか、私の気のせい
だったか」
 先輩は表情を全く変えず、僕に視線を合わせて抑揚の
ない声で会話を続ける。
「え! いえ、あの、そんなつもりじゃ……僕、そんな
に間の抜けた顔してました?」
 先輩の言葉に一瞬だけドキッとしたけど、この人が歯
に衣を着せず思ったままとんでも無いことを口に上らせ
るのは何時ものことなので、気にしないことにした。勘
違いしたまま何か口走って、僕まで先輩の撃墜数に貢献
するつもりは毛頭無いし。
「いや、間抜け顔なんかじゃなかったぞ。まるでミツユ
ビナマケモノのようにキュートな顔だった」
「……つまり、怠けずに仕事しろ、と言うことですね」
「……ん。今日は随分と鋭いな、永沢。いつもそのくら
い察しが良いと私も苦労しないのだが」
 僕のトホホ顔に、微かに目尻を下げる先輩。慣れてい
ないと殆ど分からない微表情だけど、どうやら今日の先
輩の機嫌はかなり良さそうだ。
「えっと……不甲斐ない後輩ですいません」
「あ、いや。そう言う意味じゃないんだが……まあ、あ
まり根を詰める必要も無いだろう。休憩にしようか」
「ええ、そうですね。……あ、リコ先輩、紅茶飲みま
す? ミルクも砂糖も無いですけど」
 僕は、床に置いていたナップサックから取り出した魔
法瓶仕様の水筒を、先輩に向けて軽く揺らして見せた。
姉秘蔵の葉っぱをこっそりと頂いてきた紅茶だ。香りが
良く、渋みが少ないので、時間を置いてもそれなりに美
味いままだ。
「ほう……。今日は本当に気が回るな、永沢。ありがと
う、頂こう」
 一瞬だけ先輩の口の端が笑みの形につり上がるのを、
僕は見逃さなかった。



「しかし永沢。君も大概に暇人だな。折角の休日を私の
手伝いなんかで潰すとは。若人らしく恋人と出かけたり
とかしないのか?」
 外蓋のカップに注がれた紅茶をどことなく満足そうに
啜りながら、リコ先輩は覗き込むように僕と視線を合わ
せた。ちなみに先輩はさっきまで座っていた席ではなく、
僕の真横の席に移動してきている。
「いや、僕、恋人なんか居ませんし。大体、若人って
言ったらリコ先輩だってそうじゃないですか。それに今
日だって僕が居なかったら一人で書類整理するつもり
だったんでしょう?」
 土曜日の放課後に、僕が聞き出さなかったら、この人
は今日、一人でこの部屋に来て、一人で黙々と書類整理
なんかしてた筈だ。そういう人だって事くらいは、まだ
数ヶ月程度の付き合いの僕にだって分かる。本当に見か
けと違って不器用な人だ。
「まあ、これが生徒会の仕事だか……ん。待て、永沢。
今、君、恋人が居ない、と言ったか?」
 淡々と呟く言葉がぴたり、と止まったかと思うと、先
輩はぐっと僕の方へ身を乗り出してきた。何処か何時も
と目の輝きが違う気がする。何時もは穏やかな湖水のよ
うに深い、引き込まれそうな瞳が、今は爛々と何かを狙
うかのように輝いているようだ。……気のせい、だと思
うんだけど。
「え? えっと、カノジョなんか居ません、けど」
「……カノジョだけじゃなくてカレシもか?」
「な! ちょ、ちょっと待って下さい! なんでそこに
“カレシ”って言葉が出てくるんですか!」
 あんまりと言えばあんまりなお言葉に、僕は思わず大
声を出してしまった。そんな僕のリアクションに、先輩
は可愛らしく小首を傾げる。
「いや、だって永沢。……君、ゲイだろう?」



 一瞬、その可愛らしい仕草に目を奪われた僕は、次に
その酷すぎる台詞に思考を奪われた。思考停止から再起
動へ。先輩の台詞を反芻して反芻してもう一丁反芻する。
「! 何ですかそれっ! ど、どこをどうやってそう言
う話が出るんですか!」
「む。違うのか?」
「違います。絶対に違います。完全に違います。完膚無
く間違ってます!」
「いや、何も涙目にならなくてもいいだろう」
「な、泣きたくもなります。大体、なんでそう言う話に
なるんですか!」
 潤んだ視界の中、何処か困ったような瞳の先輩が訥々
と言葉を紡いだ。
「ああ、うちのクラスの木村に君のことを聞いたんだ。
奴とは幼馴染みなんだろう? そしたら、君は女より男
の方が好きだ、とだな」
「キム先輩が犯人かぁっ!」
 にへら、と顔を崩した金髪軟派男が僕の脳裏でタップ
ダンスを踊っている。とりあえずHAHAHAと笑うそ
の顔を想像の中で殴り飛ばしておいた。
「それにクラスの女の子達も君のことを“受け”だよ
ねー、とか言ってたんだが」
「しかも受けとか言われてるし! そんな腐った思想の
オトモダチとは縁を切りましょう、先輩!」
 くそっ、確かに僕は線が細い方だと思うし、生徒会で
だってパシリやってるけど、けどこれは好きでやってる
ことであって、決して“受け”という属性を付けられる
ほどじゃない、筈だ。
「それに君、大河内に懐いているじゃないか。だから
てっきり……」
「大河内先輩は僕が通ってる道場の先輩なんですって!
 それにその事は大河内先輩には言っちゃ駄目です
よ?」
 身長二メートルを超す熊のような大河内先輩も、リコ
先輩に掛かっては形無しだった。……確か二人とも同じ
クラスだよね。ひょっとして仲悪いんだろうか。



「いやだがな、君は知らないだろうが、アイツには昔か
らゲイ疑惑が在ってだな……」
「だから! その話はしちゃ駄目です。大河内先輩、泣
いて逃げますから!」
 後、この会話がばれると僕が後で先輩の恋人に泣かさ
れますから。
「むぅ……」
「いや、悩まないで下さいって。大体、懐いている、っ
て話なら、僕、よっぽどリコ先輩の方へ懐いてますって
ば!」
 そう、裏で“生徒会長のペット君”と呼ばれているく
らいには。って、あれ、僕、今なんかさらっと口走った
ような……。
「……」
「……」
「……そうか、私に懐いているのか、永沢は」
 数瞬の沈黙の後、重々しく先輩が口を開いた。瞳を閉
じて、なにやら感慨深そうに頷いている。
「え、えーっと、ですね」
「む。まさか今更違うと否定するつもりか、君は?」
「い、いえ、否定はしませんけど、その、それは先輩と
して、ででして。その、こう、深い意味は無いんでさ
らっと聞き流してくれると嬉しかったりするんですけど、
どうでしょう」
 おずおずと打診した僕の言葉を聞いてか聞かずか、先
輩は虚空を睨め付けている。
「ふーむ、永沢はノーマルで、しかもフリーで、さらに
は私に懐いているのか……騙されたな。てっきり女の子
の誘惑に靡かないゲイ少年だとばっかり思っていたんだ
が」
「……すいませんね、女の子にもてない上にホモ疑惑の
ある受け属性野郎で」
 漢は涙を見せぬもの、見せぬもの。だけど、溢れて来
ちゃう、だって、男の子だもん。僕はがっくりと机に額
を押しつけて、冷たい木の感触で頭を冷やした。


「何を言う、永沢。私にとってはこの上ない朗報だ。福
音だ。実に都合の良い状況だ。素晴らしい。今日は人生
最良の日に違いない。と、言うわけで永沢……」
 宙を彷徨っていた先輩の視線が、がっしりと僕に注が
れた。ああ、そんな真っ直ぐな視線を向けないで下さい、
色々な妄想に汚されきっているであろう僕に、貴女の純
真な視線は痛みすら感じられます。
「……はい」
 どっこらしょ、と顔を引き起こして、とりあえず僕は
先輩に返事を返した。
 ってあれ? 何処か何時ものリコ先輩と違うよう
な……。そんな疑問に答えを出すより早く、リコ先輩の
手が僕の手に重ねられた。ひんやりとした手にが、
きゅっと僕の手のひらを握りしめる。
「君が好きだ。私の恋人になって欲しい」
「………………はい?」
 一瞬、からかわれているのかと思った。けど違う。リ
コ先輩は他人をからかわない。この人は傍から見ると突
拍子もないことでも本心で口にする。つまり、この台詞
には僕に理解できない裏が在る筈だ。縦読みするとか。
いや、でも横一行だし。つまり、先輩は僕が好きだと
言ったんだよなうん、僕も先輩が好きだし、問題は無い
ような気はするけど。
「む。何か間違っただろうか? 今のは君に告白したつ
もりだったんだが。その、なにしろ自分が告白する、と
いう経験は全く無いので正直よく分からない。と言うわ
けでどこか違っていたのなら教えてくれ」
「え、えっと、僕も年齢イコール彼女居ない歴なのでそ
う言う経験は全く無いわけですから“分かってる”とは
言い切れませんけど、多分間違ってないと思います、け
ど……」
 何処か煮立った思考で、それでも僕は反射的に先輩の
問いに答えを返した。
「そうか、よかった。うん、本当なら友人達に色々聞い
てきちんと作法を学んでから告白するべきなんだろうが、
そんなことをしていて誰かに先を越されても困るしな。
君が誰かと付き合っているというのなら涙を飲んで身を
引くつもりだったんだけど、フリーだというのなら誰に
遠慮する必要もない。ここは先手必勝だと思った訳だが、
どうだろうか?」


 微かに笑みの形に唇を歪ませる先輩。そうか、いつも
より頬が紅く染まってるから違和感を感じたんだ。ほん
のりと、そう、普段よりほんの少しだけ血色の良い肌が、
僕の心拍数を急速に加速させる。
「どうだろうか? と言われても、僕は別に女の子にモ
テませんから慌てる必要は全くないんじゃないかと思う
んで、す、けど……」
 掠れた僕の呟きに、微かに先輩は瞳に険を走らせた。
うわ、今日は珍しいものが見られる日だ。クールな先輩。
綺麗な先輩。精緻な人形のような先輩。浮世離れした先
輩が、今日はとても現実的に見える。ものすごく身近に
感じられるくらいに。
「そんなわけ無いだろう。何しろ、君を見る度、私の心
臓は心拍数を上げるんだ。ずっと私は、君の声を聞きた
い、君の事を知りたい、君の体に触れたい、君の心に触
れたい、君を……手に入れたい、そう思っていたんだか
ら。他の人がそう思わないとどうして言える?」
「えっと、その…………ええっ? つまり、今までの会
話は、先輩が僕に告白した、って事ですか!?」
「うん、そうだ。知っているか? 恋人同士になるには、
まず告白から始めるらしい。私は誰かと付き合った経験
は無いが、告白された経験なら何度かあるからな。多分
ココまでの手順は間違ってない……筈だ」
 ……馬鹿だ、僕は。どうして今の今まで気が付かない
んだ。ずっと僕の手を握りしめている先輩の手がしっと
りと汗を滲ませ、小さく震えている事に。
 馬鹿か、僕は。
「その……どうして僕なんかなんですか? 正直、急す
ぎて、あの、えっと……」
 混乱した思考で、震える声で、それでも紡ぎ出した言
葉を、やんわりと、それでも確固とした意志で、先輩の
言葉が遮った。
「“なんか”じゃない。君“じゃなければ”だ。自分を
卑下するような言葉を言わないで欲しい。私は君が好き
だ。愛している。正直、こんな言葉だけじゃ表現できな
いくらいに。ああ、言葉というのは不自由なものだな。
どれだけ重ねようとこの想いを君に伝え切れそうに無い。
でも、もう見ているだけじゃ我慢できそうに無いんだ。
君が誰かのものじゃないと分かってしまったから。もう、
私は自分が抑えられそうに無い」


「……リコ先輩」
「……もし、君が私のことをどうにも思っていないとい
うのなら。もし、君が他に好きな人がいると言うのなら。
その時は正直に言ってくれ。告白した時点で覚悟は……
出来ている。その、私なんかに告白されても迷惑かもし
れないが、その時は潔く二度と君には関わらないと誓お
う。けど、もしも君が少しでも私に」
「先輩!」
 先輩は制止しようとした僕の声を振り切って言葉を続
けようとする。
「いや、最後まで言わせて欲しい。心残りを残したくな
いんだ。せめて私は……」
「だからちょっとストップして下さいって! お願いで
すから僕の話を聞いて下さい。……ここまででも十分格
好悪いんですから、僕」
 だから僕は少しだけ大きな声で先輩の言葉を止めた。
今度は震えることなく、迷うことなく真っ直ぐに先輩に
向かい合う。
「永沢……」
 何処か不安そうな色を見せる先輩の瞳に、僕は小さく
笑いかけた。上手く笑えている自信なんか無いけど。少
しでも先輩が安心してくれるように。
「……えっと……瑠璃子先輩。その……僕の方が年下で
すし、特別何か目立ったことのある人間でもないです。
けど……僕は、あ、貴女が好きです。僕と付き合ってく
ださい!」
 顔が火照るのが自分でも分かる。逸らせたい視線を、
でも僕は先輩の瞳から離さなかった。殆ど表に出ない先
輩の表情を、少しでも見逃さないように。
 でも、そんなことは必要なかった。
 初めて見る表情で。
 初めて見せられる感情で。
「……! な、永沢……良いのか、私なんかで……」
「リコ先輩。……“なんか”じゃないですよ。リコ先輩
じゃなきゃ駄目です。僕は、リコ先輩の事が好きで
す!」
 誰が見てもそうだと分かるであろう喜びの笑みと、涙
に潤んだ瞳。
「ああ! ……永沢、私も永沢のことが大好きだ」
 僕の手を握っていた手を離して、リコ先輩は僕の首を
抱えて、ぎゅっと抱き寄せて、って、ちょっと、え、
ぐぃっと僕の顔を自分の顔に引き寄せると、そのまま。
 僕の唇に、自分の唇を重ね合わせた。

 微かに歯がぶつかったのは勢いが付きすぎたから。そ
して、唇の柔らかい感触を認識する前に、先輩の首が軽
く傾げられた。柔らかい何かが、先輩の唇から僕の唇の
内側へと侵入する。それは軽く歯茎や唇の内側を擽って
いくと、僕が反応するより前に、すっと僕の内側から離
れていった。
 そこには、いつもの微表情に戻った先輩が居た。いや、
いつもより頬に血が上っている。それが酷く艶っぽい。
「ぷぁっ……せ、先輩っ、いきなり……」
 軽く抗議する僕の額に、先輩はこつん、と自分の額を
押し当てた。その唇を、ちろりと赤い舌が舐め取る。そ
れで、僕は自分の唇の中を擽っていったモノの正体に気
が付いた。胸が痛いほどに心臓の鼓動が体内に打ち響い
ている。
「……告白の次は接吻だろう? 確かそう聞いたぞ」
「え、えっと、間違っては無いとは思いますけ、
ン……ァ……」
 僕の言葉を遮って、先輩の唇が僕の唇を掠めた。優し
く、通り過ぎるだけのキス。
「……ふーむ。しかし永沢、キスとは好いものだな。正
直、クラスメイトが話している内容は話半分だと思って
いたけれど、確かに、幸せな気持ちになれる。永沢、君
はどうだ?」
「はい、僕もすごい幸せな気分です」
 僕の言葉に、きゅっと先輩の目尻が下がった。その表
情を見るだけで、脳内が痺れるような嬉しさが込み上げ
る。本当に、僕はこの人のことが好きなんだと再確認し
た。
「そうか、なら嬉しいな。…………ん?」
 僕にのし掛かるような体勢からもぞもぞと姿勢を正し
ていた先輩の腰が、何かを確認するかのように僕に擦り
つけられた。……そこで僕は初めて気が付いた。僕の下
半身が意志ではなく、本能によって活動していたことに。
慌てて僕は腰を引こうとしたけれど、よく考えたら椅子
に座っている状況では殆ど意味がない行動だ。そんな僕
の慌てっぷりに構うことなく、僕の膝に座るように体勢
を入れ替えた先輩は、腰のみならず、身体全体を僕に預
けてくる。
「? ……あ! ちょ、せ、先輩、これは、その、違う
んです、ちょ、ちょっと頭がボーッとしてたら、その、
勝手にですね」
 ヤバイ。危険な兆候だ。何しろ柔らかくて暖かい。そ
して軽くて壊れそうだ。だから押しのけられないし、な
により、気持ちよくて押しのけたくない。
 胸に当たるふにょんとした圧迫感は、つまりあれだ。
先輩、結構胸あるんだなぁ、って事だろう。つまり着痩
せするんだ。というか、僕の手はどこにやれば良いんだ
ろう。背中? いやでもこの体勢からさらに抱き合う格
好になったら色々と危険そうだ。って、じゃないだろう。
ここはひとまず先輩に僕の上から退いて貰って落ち着く
べき所だ。って、だから、背中に手を回してどうするん
だよ、僕。


「せ、せんぱ……ちょ」
「……ああ。うん。そうか。……接吻の次は……」
 もぞり、と先輩の右手が蠢いて、僕と先輩の空間に割
り込んでいく。
「あ、ああっ! 先輩ッ!」
 ぎゅむ、と幹を走る圧迫に僕は思わず呻き声を上げて
しまった。先輩の柔らかな掌が、ズボン越しに僕を握り
しめている。
「む、すまん! 強すぎたか! もっと優しく握るもの
なのか?」
 強い圧迫が緩み、やわやわとした優しい強弱が僕を刺
激し始めた。撫で回し、握り、離し、指を絡めて楽器を
奏でるように僕の形を確認する。
「う、っく。いえ、そうじゃなくて、ですね。が、学校、
の、中ですからこういうことは、ン!」
 刺激に息を掠めながらも、僕は何とか声を引き絞った。
自分でするよりも何倍も腰を痺れさせる感覚が、確実に
僕を追い詰め始めているのが、茫洋と霞む思考でも分か
る。このままだと拙い、と。
「ああ、そうだな。……二部屋向こうは職員室だ。見つ
かったら確かに拙いな」
 僕の台詞に小さく頷きながらも、先輩は指の動きを止
めてくれない。
「鍵だっ、て、ン、く、掛かっ、てないんで、すか
ら……」
「ああ、そうだったな」
 それどころか、一層強く僕に身体を擦りつけてきた。
さらには、首筋に音を立てて啄むように口付けてくる。
「だ、だから離し、て」
「……すまない。手が離れそうにない。……端的に言え
ば、非常に興奮している状態だ。とてもじゃないが抑え
が効かない。それとも永沢、これは気持ちよくないの
か? もっと優しくした方が良いのか? だがそれだと
殆ど触れていないようなものだと思うのだが?」
 僕の哀願に、先輩は何時も通りの淡々とした口調で返
答する。どこが興奮しているのか分からない気がするが、
その吐息が熱く僕の首筋を擽る辺り、確かに先輩も興奮
しているのだろう。その熱が、僕の理性をぐずぐずに蕩
けさせる。

「い、え、最初握ったくらい、でも大丈夫ですけ、ど、
ン!」
 思わず返してしまった言葉への返答はすぐに来た。言
葉ではなく、僕自身に加えられる圧迫で。
「強くて良いのか。おお、堅い、な……」
 ぎゅむ、という感覚が僕の下半身をびりびりと痺れさ
せる。ぞわぞわと背筋を走るのは悪寒か、快感か。一瞬
飲み込んでいた呼吸を再開させた。吐く息が熱い。
「じ、じゃ、無く、て、ち、違」
 何とか先輩を止めようと、口を開くけど、今の僕じゃ
上手く言葉が組み立てられない。意味の通じそうにない
言葉の断片は、それでも先輩には届いてくれたようだ。
「む? あ、ああ、そうか」
 先輩の手が停止し、少しだけ力が緩められた。ほっと
小さく溜息を吐いた僕は、先輩に離れて貰おうと口を開
く。
「ハァ、ハァ……ええ、そうじゃ、なく、て……」
「握ったまま上下に擦るんだったな」
 油断した心の空白にぶち込まれる快感という衝撃。
ぎゅっぎゅっとズボン越しに握りしめられた手が僕を擦
りたてる。
「え! あ、ぁっ! ちょ、せんぱ、ま、拙、いきな、
り!」
 一瞬の油断は決定的な致命傷だった。僕は我慢しよう
とする隙すら与えられず、高速で限界へと疾走させられ
ていく。
「おお! まだ堅くなるのだな。むぅ、しかもビクビク
と動いているぞ。しかしズボン越しだと形がよく分から
ないし、なにより君の体温が感じられない。やはりここ
は直に触れてみたいのだが……、永沢。永沢?」
 駄目だ。あっさりと最後の砦は崩壊した。ぎゅっと先
輩の背に回した僕の手に力が入る。僕の様子に気が付い
た先輩が僕の顔を見上げるが、もう遅い、色々と……遅
かった。

「あっ! くっ! ふ……ふっ……ッ、ふ……ぅ……」
 目の前が白く染まるような幻視。下半身が蕩けるよう
な浮遊感。深い喪失感に、熱い熱い溜息を吐く。力の抜
けるまま、僕は先輩の肩に体を預けた。
「……」
「…………」
「………………」
「……………………」
 なんていうか、パンツの中が凄いことになってます。
多分、ズボンにまで染みが広がっているでしょう。こう、
腿の裏側へと伝う冷や汗のような水分の感触に涙が出そ
うです。
 ……死にたい。
「…………………………あー、その、永沢? ……君が
気持ちよかったなら、私は嬉しい、ぞ」
 僕の脱力っぷりに引いたのか、おずおずと明後日の方
向の台詞を吐いてくれる先輩の優しさがかなり痛い。
「…………すいません、ちょっとトイレ逝ってきま
す……」
 僕は気まずそうな表情の先輩をそっと立ち上がらせて
から生徒会室を後にした。
 ううっ、腿を伝う汗は白濁色なんかしてないっ……。





 トイレで何をしていたかを語るつもりは無い。今の僕
はノーパン健康法の実践者であるとだけ言っておこう。
ついでに、ポケットにはハンカチに追加してしっかりと
洗われた布きれが一枚入っているのだが、これは蛇足だ。
「……その、永沢。すまなかった」
 生徒会室に帰ってきた僕は、直立不動から深々と頭を
下げた先輩に出迎えられた。
「いえ、いいですから」
 別段、先輩に非があると言うことも無い……よね? 
まあ、誰のせいかと問われたらそれはそれで難しい問題
だけど。
「その……私の事が嫌いに、なったか? つい欲望に任
せて暴走してしまうような女は駄目だろうか?」
 う……、でもこの場合、嫌われるのは僕じゃないかと
も思うんだけど、その辺りはどうなんだろう。でも、瞳
を伏せた先輩は、暴走した自分を恥じているんだろう。
その姿はとても新鮮で、微笑ましいくらいに可愛いと僕
は思った。
「……いいえ、先輩の意外な一面を見て新鮮でした」
 僕の言葉に微かに先輩は息を吐いて、
「そ、そうか。うん、私も君の悶える姿を見て惚れ直し
たぞ」
と、何とも打撃力の高い台詞で答えてくれました。
「いえ、ちょっと、そういう台詞は……」
 かなり恥ずかしいんですが、と口の中で呟く僕に先輩
は小さく笑いかけた。
「ああ、でも済まないな。何分初めての経験だったので、
男の子があんなに敏感ですぐにイってしまうモノだとは
思わなかったんだ。次は君の下着を汚すことなく、次の
ステップに進めるよう努力するつもりだ。大丈夫、安心
して任せてくれたまえ」
「いや、そうじゃないですって!」
「うん? ああ、安心してくれ、リサーチ対象はクラス
メイトの女の子達だ。間違っても男の子には聞かないか
らな。浮気なんかしないぞ。私は君一筋だとも」
 えへん、と胸を張る先輩に、僕はくらくらとした目眩
を堪えて叫んだ。
「違うーーーー!」






 いや、まあ、完全に羞恥プレイだったわけだけど、そ
れでも昨日は僕と先輩が正式に“お付き合い”すること
になった記念日には違いない。収支計算すれば僕の恥ず
かしさなんてどうって事無い程度の代物だ。
 まあ、そのお陰で一部の書類の印刷が間に合わなかっ
たのは必要経費だと割り切ろう。
『……系者の方は、今日か明日の放課後、生徒会室まで
申込用紙を取りに来て下さい』
 先輩の話もそろそろ終わる頃だろう。今日の放課後も
生徒会だ。人数が足りなくてキツイときもあるけれど、

『追伸させて頂きます』

 先輩と一緒ならどんな苦労も、

『私、生駒瑠璃子は、』

 きっと平気、

『1年C組、永沢巧と』

 ……へ?

『お付き合いすることとなりました。付きましては、今
後、私、もしくは彼に対する告白の類は全て無用とさせ
て頂きます』

 クラスから全ての会話が消え失せた。いや、おそらく
学校全体から。

『以上、生徒会からのお知らせでした』

 ピンポンパンポーン♪



 あ、あはははは。あは。
 次の瞬間、校内が怒声で揺れ返った。
「な、ななななな、永沢ぁっ! 貴様ぁー!」
「何だ今のはぁ!」
「瑠璃子様が汚されただとぅ!」
「永沢、殺ぉーす!」


 阿鼻叫喚に囲まれた僕に、葬送の鐘が鳴る。

ピンポンパンポーン♪

『1のC 永沢ぁ。今すぐ職員室に出頭ぅ!』

ピンポンパンポーン♪


 平気、かなぁ…………。




   おしまい

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