「んんっ……」
カーテンの隙間から漏れる細い光で目を覚ました。日差しの関係で瞼に直接スリットからの光を受ける。
「まぶっしいなぁ。」
まだ軋む身体を起こしてカーテンを掴むと、隙間を無くそうと無理矢理閉めようとする。だけどカーテンレールが壊れているのを忘れていた。
閉じきることは出来ず、腹立ち紛れにドスン、と身体をベッドに落としもう一度目を瞑る。日光が目に入らないように少し横を向くが、今度は日差しを受けた耳が熱い。
「……ああもう!」
ぼんやりした頭のまま転がるようにしてベッドを脱出する。ここで眠れないのなら居間のソファで横になればいい。この時間なら家族もいないし咎められることは無いだろう。
パジャマ代わりのスウェットの上にどてらを羽織って立ち上がった。

部屋を出たはいいものの、結局何度も自分との部屋を往復してようやく居間に腰を落ち着けた。
一度目は廊下に出たとき、フローリングの床に辟易して靴下を履きに。二度目はソファに飛び込んだとき、暖房を切ってあった室内は冷え切っていたために掛け布団を取りに帰った。
そこから読みかけの漫画や単行本を取りに戻ったり、湯を沸かして(電気ポットの中身は空だった)紅茶を入れたりして、気がついたらもう眠る気分ではなくなっていた。
まだ頭の隅に眠気の残ったままテレビのスイッチを入れる。時間は2時過ぎ。主婦層向けの情報番組が流れていた。
『??ちらのデパ地下に入っ……ではフォンダ……ラが……』
やたらカメラ目線の30過ぎのレポーターが人混みを掻き分けるようにしながら洋菓子店の前に立つ。ショーウィンドウに並ぶ黒い菓子。
『こちらがその話題の……』
どうやらスイーツ特集というやつらしい。普段から甘いものを見飽きているんだから、テレビでまで見たくないとチャンネルを変える。
……が。
『チョコレート以外にも最近は……』
『今日はバレンタイ……』
3つ目の局に変えてほんの2秒、うんざりしてテレビのスイッチを切ってリモコンをその辺りに投げ捨てた。そのまま横になる。
「もう寝よ。」

突然、来客を告げるインターホンが鳴った。ようやく眠りの導入部に入った俺を起こすようなタイミングに目つきが悪くなる。
渋い顔をして立ち上がり受話器を取り上げる。重たい瞼は閉じたままだからスクリーンに映し出される玄関ホールの相手の顔は見えないが、見る必要も無いだろう。
「ハイどちらさん?」
「こんにちは、先輩。約束通りに来ました。」
安田だ。予想通りの相手に今更驚くこともなく開錠ボタンを押し受話器を戻す。無用心だが玄関のドアは開いているから、勝手に入ってくるだろう。
1月後半、彼女は毎日こういう風に俺の家に通ってきていた。目的は言う必要無いだろう。
去年のクリスマスに覚悟するよう言われていたが、まさか毎日アプローチを受けると思っていなかった。そのアプローチを全部受け止めてしまった俺もアレなんだけど。

数分後、玄関をガチャガチャやって安田が居間にやってきた。学校の制服のままの姿だ。恐らく終業と同時に学校を飛び出してこちらへ来たのだろう。
「先輩。」
「なんや後輩。」
布団に丸まったまま、ソファの上で振り返る俺。
「芋虫みたいですね。」
「うるさいわ。」
寒いんだから仕方が無いだろう、と言ってソファに身体を投げ出す。彼女はそんな俺とソファの背を一息に跨いだ。俺の目の前を短めのスカートとその中身が通っていく。
眼福だな、と今の情景を網膜に焼き付けていると、安田が俺の腹の辺りに腰を下ろした。苦しくなって蛙の潰れたような声を出す俺。
「ぐぇっ……重いねん。」
「それくらい我慢してください。私のパンツ見たんですから文句は無いでしょ?」
「……しゃあないやろ、目の前通ったんやから。」
思わず見てしまうのは男の性なのだから仕方がない。
「男の人って。」
呆れたような口調で俺を詰ってはいるが、その表情からは怒っているようには見受けられない。

「うっさいわ。……まあとにかく、用事があるから来たんやろ?」
どけ、と彼女を手で払いながら身体を起こそうとする。しかし彼女が腹の上から動かなくては起き上がれなかった。
「動く前に、先輩にプレゼントです。」
安田は手に持ったままだった自分の鞄をごそごそやって中から小さな包みを取り出すと、俺に押し付けてきた。
「これは?」
「今日は何月何日ですか?」
「2月14日やろ?」
「はい、そうですね。バレンタインデーです。」
「バレンタインデーやね。」
「どうぞ。」
「どうも。」
そう言って受け取った。実に淡々としたものだ。

受け取った小さな包みをいつまでも持っていても仕方が無い。センターテーブルへ手を伸ばすが、腹に重石が乗っているせいであと少し、届かない。
仕方が無いのでソファの脇へ置くと、彼女はそれをすぐに拾い上げた。
「すぐ床に置いちゃうことないじゃないですか。」
唇を尖らせ文句を言いながら床に置いたそれを取り上げると、彼女は巾着の形に留めてあるそれを開きだした。
「一応、手作りなんですよ?」
「あのな、然るべきところに置きに行きたくても身体を起こせへんねんけど。」
彼女の白い太ももを軽く叩く。
「早よどけ。重い言うてるやろ。」
俺のそんな言葉を完全に無視して、包みから取り出したチョコを口に含む安田。そうしてこっちに倒れこんできた。
投げ出された身体を受け止めた俺は彼女に唇を奪われ、すぐに舌を絡めとられる。ややビターな香りが鼻腔をくすぐる。
「甘いですか?」
2人の口の中で小さな欠片が溶けきり唇を離すと、開口一番安田が訊いてくる。
「少しだけ、苦めやな。」
「私とのキスが甘い分、苦めにしてみました。」
「……アホか。」
こんな言動はいつものことだが、それでも普通、自分とのキスが甘いだろう、なんて言わないぞ。
「照れてます?」
「うるさいわ。……寄越せ。」
彼女の右手に握られたままだったチョコの包みを奪い取り1つ摘む。今度は溶かすことをせずに奥歯で噛み砕いた。カカオの香りが喉の奥まで広がる。
結構な苦味に一瞬眉根が寄る。それを見た安田は躊躇うことなく2度目のキスを求めてきた。交換する唾液に噛み砕いたチョコの小片が混じる。
「……ほら、苦味がマシになったでしょう?」
「もうええわ。……おいしいで。」
俺の呟いた言葉に、彼女は満足そうな笑みを浮かべた。その笑顔を見せられて俺もニヤついてしまう。慌てて頬を引き締めたがもう遅かった。
「先輩のそういうところが好きです、私。」
「……それやったら人の顔見てニヤつくな。」
「先輩に言われたくないです。」
言うと彼女はまたキスを求めてきた。俺もそれに応じる。

結局夕方、家族の帰ってくる時間になるまで何度もキスをせがまれ、包みの中のチョコレートはすっかり片付けられた。
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