時は江戸に将軍が鎮座し、そのお膝元も大いに栄えた頃。
 馬喰町の米搗き屋の奉公人に清蔵という男がおりました、この男、仕事ぶりは真面目でありましたが、齢三十
を過ぎてなお嫁がおりません。それを周りの人間は心配して……というお話。

 あるとき、清蔵が商いの使いから帰ってくるなり調子が悪いと二階へ上がってウンウン唸りだしました。それ
を心配しておカミさん、

「清蔵、調子はどうだい?」
「へえ、よくありません」
「お粥作ったげるからね、それを食べてゆっくり眠れば……」
「食べたくありません」
「そうかい? ……それならお医者にかかろうか。裏の先生呼んできてお薬出してもらおう」
「薬もいりません、自分の身体は自分が一番よく分かっていますから。裏のお医者を呼んでも意味ありやしませ
 んよ」
「お前さん、ご飯も食べない、お医者にも??まあ裏の先生は藪だけれどね??かからない、身体をよくする気
 は無いのかい」
「……具合が悪いのは本当なんです。こう、胸の辺りが苦しくて」
「胸が苦しい? あれまあ、労咳にでもかかったのかい」
「違います。……恋煩いでして」

 清蔵の告白におカミさんがその顔で恋煩いかい、とケラケラ笑うと、清蔵、大いに憤慨しましておカミさんを
部屋から追い出してしまいます。
 おカミさん、そのことを旦那の六衛門に相談いたしますと、旦那はよし任せろと清蔵の部屋へ乗り込んで一切
の出来事を問い質してしまいました。

 話によれば、今日の帰り道に錦絵屋の前を通りかかったところ、なにやら人だかりがあります。それでひょい
と中を覗くと、大層綺麗な女の絵が飾られていたとのこと。

「なんだい、お前錦絵にホの字かい。二次元最高なんていい歳した男がリアルで言うもんじゃないよ。せめて布
 団の中だけに留めておきな」
「……オヤジさん、オイラは錦絵のモデルに惚れちまったもんで」

 その絵のモデル、幾代太夫と呼ばれる吉原の花魁でありました。当代きってのいい女と巷でも評判の美女であ
りまして、見目麗しく頭脳は明晰、更には気が強く気風がいい、冬の空のように乾いて心地よいと評される、そ
んな女でした。
 さて清蔵、一目惚れに茫洋とした頭で周りの人にどうすれば描かれた人に会えるか、と訊いて回ったところ、
『中の人などいない』『当代一の花魁に職人風情が会えるわけ無いだろ常考』など散々に笑われました。
 太夫に会えないと分かったことで清蔵は途端に胸が苦しくなって、背中には冷たい汗が流れ、ついには寝込ん
でしまいました。

「オヤジさん、オイラこのまま恋煩いで飲まず食わず、干物みたいになって死んじまうんだ。……最後に太夫に
 会ってみたかった」
「今日寝込み始めた奴が死ぬなんて簡単に言うな、このバカ。……そうだな、一年、一所懸命に働いてみろ。相
 手は花魁だろう、給金で買やあいいんだ」
「……職人のオイラでも買えますかね?」
「安心しろ、買えないなら俺が渡りをつけてやるから。……お前は根が真面目で仕事を覚えるのが早い。俺も将
 来を期待して??待て、どこへ行くつもりだ」
「へえ、今からでも仕事へ出ないと」
「恋煩いはどうしたんだい」
「治りやした」
「ゲンキンな奴だね、まったく。昼飯まだだっただろ、カカアに粥でも作らせるか?」
「へえ、身体は粥より鰻丼のほうが求めておりまして……」
「ダメに決まってんだろ!」

 * * * * * *

 そんなこんなであっという間に一年が経ちまして季節は秋。木枯らしが吹き始めた頃のある日、清蔵がオヤジ
さんにこう切り出しました。

「オヤジさん」
「ああ清蔵かい、どうしたい」
「お給金のことなのですが」
「ほう、給金か。お前は住み込みで、何時寝ているのか分からないくらい一所懸命に働いてるから、たっぷり溜
 まってるよ。こないだ帳面を確かめたときには十と二、三両くらいあったかね」
「それ、全部ください」
「なに、全部だと!? 三年は楽に暮らせる額だぞ、一体何に使うんだい?」
「……約束通り、花魁を買おうかと」

 さあたまげたのはこのオヤジさん。一年前、仕事に身の入らない清蔵にそう発破をかけたのは覚えておりまし
たが、まさかそれを頭から信じ込んでいたとは思っておりません。いつか嫁を迎えるときのために家財を揃えた
りする必要があるだろう、もっと有意義に使いなさい、と説得をしますが清蔵は言うことを聞きませんで、終い
にはオヤジさんは嘘つきだ、などと喰いかかる始末。清蔵のあまりにも熱心な様子に、ついにはオヤジさんも折
れて給金を渡すことに決めました。
 とはいえこのオヤジさん、若い時分には芸者遊びなどもやりましたが、所帯を持ってからは財布の紐はおカミ
さんに握られておりまして廓に知り合いなどありません。どうしようかというときにハタと思い出しました。清
蔵を使いへやります。

「なんだなんだ、米搗き屋の清蔵が焦った様子で儂を呼びにくるから、すわ旦那の六が倒れたかとやってきたの
 にお前さん、ピンピンしとるじゃないか」
「おう先生、ピンピンしてるよ。むしろ先生に身体いじくられたら調子が悪くなっちまうくらいだ。……折り
 入って頼みがあってな、この清蔵を男にしてやっちゃくれねえか」
「なんじゃ、たしかに儂は遊びが好きじゃが、アッーのケは??」
「違うよ、吉原に連れて行ってやってほしいんだ。実はな、かくかくしかじかで……」

 当代一の花魁に会うにはやはりツテが必要です。オヤジさんは遊びの好きな裏の先生から辿ろうというのでし
た。
 話を聞いた医者先生、暫し黙り込んでからあい分かった、そういうことなら協力しよう、と言います。聞けば
幾代太夫のいる傾城屋の主人とは顔馴染みとのこと。あちこちに引っ張りだこの太夫だから口を利いてもらって
も会えるとは限らんぞ、とも言いますが、清蔵はもう会えるだけで結構です、なんて感激して、そのまま仰向け
にひっくり返ってしまいました。

「清、おい清蔵! ……嬉しくて倒れっちまったのか。しかし頭から落ちたが大丈夫なのか? おーい誰か、医
 者呼んでくれい!」
「お主の目の前におる儂はなんじゃ」
「藪は勘定の内に入らな……冗談だよ、わざとだよ、ついだよ! ……先生、コイツはさ、この一年本当に何時
 寝てんだか分からないくらいに働いて、やっと今日のコレなんだ。臍を曲げねぇでなんとか頼むよ」
「……まあ、手紙を出してはみるがアテにはするなよ」

 とまあそんな感じで二日経ち、吉原から文が帰ってきました。内容は清蔵にとって喜ばしいもので、裏の先生
は六衛門さんに知らせます。話を聞いたオヤジさんは清蔵を呼び寄せました。

「清蔵、ここへ来て座んな」
「へえオヤジさん、なんでしょう」
「裏の先生がさっき来てな、廓から返事が来たそうだ。……喜べ、『明日幾代の出る座敷がお客のドタキャンで
 潰れちまった。売れっ子の身体をあけてもしょうがないから代わりにどうだい?』って言ってきたんだとよ」
「ほ、本当ですか!? ……ああ、眩暈が」
「コラコラ一昨日倒れたばっかりじゃないか、シャキっとしないか」
「し、しかしこんなに早く会えるなんて思っていなくて」
「そりゃあ俺もだ。こんなに早く準備するハメになるとは思わなかったよ」

 オヤジさんは清蔵に今までの給金と一緒に一着の着物を渡しました。この着物は、まだオヤジさんが遊び回っ
ていた当時に注文を出した大事な一張羅でした。これを着て茶屋に入れば『ちょいとそこ行く粋な兄さん』なん
てもてはやされることも多かったと言います。

「残念ながら数回着たところでカカアに捕まっちまってな。それ以来遊べなくなって着ていねえがお前にやる」
「へえ、ありがとうございます」
「それからな、こっちはお前の給金だ。帳面整理したら十三両と二分だったんで、ここにイロつけて十五両とし
 てある」
「オヤジさん、一両以上もイロがついてますよ!?」
「これから廓に繰り出そうってぇ奴がそんな野暮なことを言うもんじゃないよ。一年頑張ったご褒美だと思って
 黙って貰っておきな」
「へえっ!」

 清蔵は涙を流しながら頭を下げました。

* * * * * *

 さて迎えました翌日、粋な着物に身を包んだ三十男と老医者が吉原の大門をくぐっていきます。清蔵はあと一
刻もしないうちに夢にまで見た幾代太夫と出会えると、ホップステップ、ウキウキと飛び跳ねておりました。

「やめんかみっともない。お前さんの話は聞いてはおるがの、歳を考えなさい」
「へえ、へえっ!」
「それもやめんか」
「? それ、と申しますと?」
「へえ、と答えるのをじゃ」
「それならなんて答えればいいんで?」
「はい、と鷹揚に答えておればよいのじゃ。……よいか、本来ならお前のような一介の職人、太夫を遠くから眺
 めることさえ叶わん。そこでな、儂はお前さんを紹介する手紙に『野田の醤油問屋の若旦那』と書いておい
 た。じゃからお前は今宵、醤油問屋の若旦那なんじゃ」
「そういうことですか。へえ、分かりました」
「……お主、儂の言っておったこと聞いておったのか?」 

 清蔵と先生は座敷に上がり、そこの主人や女将となにやら談笑しておりますと、禿を引き連れた花魁がやって
きました。幾代太夫です。その美しさはその場にいた者全てを飲み込みました。老人などは斜めに傾けた徳利が
お猪口を満たしたのに気付かず、足元を濡らしてしまったほどです。
 清蔵はついに出会えた幾代太夫に、酔いなど吹き飛んでおりました。凛とした立ち姿、真珠を溶かしたような
白い肌、唇に落とした鮮やかな紅。それらの装飾が整った顔を彩っているのですから美しくないはずがありませ
ん。しかもその美しさは彼が夢に見ていた幾代太夫の何倍も美しかったのです。

「幾代でありんす」
「へ……は、はい、清蔵でありんす」
「バカ、お前がありんす言ってどうする。太夫、ワガママを済まないね。知り合いの醤油問屋の倅がね、お前さ
 んの錦絵を見て一度会ってみたいと駄々をこねてな??」

 老人が一通り経緯を話しますと花魁、口の端をちょっと持ち上げて笑んでみせます。この笑顔に清蔵などは更
にやられてしまうのですが、それ以外のその場にいた全員が戦慄いたしました。
 花魁というものは高嶺の花。男に媚びないのが廓のルールです。最初の座敷で笑顔を見せるなどとんでもない
ことでした。何度か座敷で逢瀬を重ね、それからやっと閨で男と女になるのが廓の決まりなのですが、幾代はこ
の客がいたく気に入りましたようで。

「ぬしさん、今夜はお帰りになる予定などありんすか?」
「はい、この座敷がお開きになりましたらオヤジさんとこ……いえ、ちょいと離れたところに宿を取っておりま
 すので、そちらに戻ります」
「それならここに泊まりなんし」

 あまりに奔放が過ぎる太夫に揚屋の主人が強い視線を飛ばします。花魁の中の花魁と謳われる彼女がこんな真
似をしては後輩達に示しがつかない、そんな褥を用意出来るはずもありません。花魁自身もそんなことは分かっ
ています。
 吉原は嘘の街です。男達は廓の大門をくぐったら身分も世俗の縁も一切を捨てた振りをして女に酔うのです。
そして酔わせる女は酔わせるだけの気品が無くてはならないのです。僅か一度の逢瀬で身体を開く女ではいけま
せん。
 それでも太夫はこの醤油問屋の若旦那と名乗る男に強く惹かれておりました。お金だけならお忍びでやってく
る大名や旗本衆のほうが持っています。顔だけなら歌舞伎役者と比べたら月とすっぽんでしょう。それでも太夫
はこの男が気になってなりませんでした。

「旦那さん」
「しかし花魁」
「何か言われることがあれば、あちきが責を負いんす」

 普段客の前では感情を表に出さない花魁が、こんなにムキになっているのを主人は初めて見ました。そして信
じられないものを見つけたのです。
 それは恋に焦がれる乙女の瞳でした。男に媚びぬはずの花魁が、この若旦那に恋をしていたのです。

 慌てた主人は傾城屋に使いをやりました。『おたくのところの幾代太夫が大変なことになっている、早くなん
とかしてほしい』といった具合でありました。
 泡を食って飛び出しましたのは傾城屋の主人。自分のところの一番人気が大変なことになったなんて聞かされ
てはそれも仕方がありません。息を荒くして揚屋に辿り着きますと詳しい訳を聞いて二度びっくり。太夫は錯乱
してしまったのかと座敷の中を覗きこみますと、果たして幾代は閨の中でさえ見せぬ女の顔をしておりました。

「ぬしさん、飲みなんし」
「は、はい……おいしいです」
「フフ……ぬしさんは楽しいお方でありんす」

 幾代が安酒場の酌婦のように客に酒を注いでおります。その上目などとろんと溶かしております。傾城屋はも
う殆ど卒倒しかけましたがなんとか自分を取り戻し、座敷で気まずそうに固まっている禿をそっと呼び寄せまし
た。

「おやじさん、いくよ姐さんがあんなになったのははじめてでありんす。どうすればいいでありんすか?」
「とりあえず幾代を呼んで来ておくれ。ああ着物を替えるとかなんとか言って引っ張ってくればいいんだ」
「はーい」

 清蔵にべったりの花魁に禿が耳打ちをしますと幾分目が醒めたようでありましたが、今度はなかなか離れよう
としません。まさか無理矢理に引き剥がすような真似をお客の前でするわけにもいかず、禿は困ってしまいまし
た。
 それを見ていた老医者、助け舟を出します。

「清蔵や」
「はい、なんでしょう」
「厠へ行かぬか」
「オイラ……じゃなくて私なんかはまだ催しませんが」
「少しは気を遣わんか。……女というものは装いが崩れたら直さねばならんのじゃ」
「そういうものなのでしょうか」
「そういうものじゃよ。なあ花魁」
「あい、仰る通りでありんす。ありんすが……」
「というわけじゃから、済まぬが四半刻ほどこの場を離れることにしようか」

 こうして医者先生は清蔵を連れて座敷を出て行ってしまいました。襖が閉まったとき、花魁以外の全員が安堵
したのは言うまでも無いことですが、今度は入れ代わりに傾城屋が座敷へ飛び込んできます。

「どういうことだ花魁、お前何をしているのか分かっているのか!」
「あちきが分かっておりんせんと?」
「当たり前だ! さっきの様子はなんだ、生娘みたいに目ン玉輝かせて。お前は花魁だぞ、男を好いてどうする
 んだ。気まぐれで周りに迷惑をかけるんじゃねぇ!」

 傾城屋が一気にそこまでまくしたてますと、禿などは震え上がります。傾城屋は遊女にとっては親と変わらぬ
存在です。それが激怒すれば誰だって恐ろしいものですが、幾代は静かに言い返します。

「あちきは花魁でありんす。男の表も裏も見てきんした。その女が男に一目で惚れる、その意味を考えなんし」

 花魁の一言に傾城屋は反論出来なくなりました。親爺は幾代が花魁であることを忘れ、乱心したのかと思って
いたのです。花魁を忘れた花魁にこの吉原で生きていく術はありません。それを案じての説得も幾代からこう切
り返されては通じるはずもありませんでした。
 傾城屋、がっくりうなだれて膝をつきます。

「……花魁。花魁はウチの稼ぎ頭だ。私なんかも随分いい思いをさせてもらったし、ある程度の我侭は聞かない
 といけないと思っている。それなのにお前は無茶を言わない。本当に女衒想いのいい子だよ」
「あちきは、あちきを拾ってくれた親爺さんに本当に感謝していんす」
「その子が傾城屋を飛び越えて、廓の決め事に楯突いているんだ。……親代わりの私にはこんなことくらいしか
 出来ないよ」

 そう言いますと傾城屋、揚屋の主人に閨の準備を促します。そして、今日の出来事を一切口外せぬようにとそ
の場にいた者全員に言い含めたのでした。

 さて一方厠へ出た清蔵と医者ですが、用足しに四半刻もかかるわけはなく、厠の窓から月など眺めながら酔い
を醒ましておりました。

「……芸者遊びとは、いいものですね」
「もう今死んでもいいという顔をしておるな」
「いえ、太夫のお色直しを見るまで死ねません」
「お主、太夫に会えないからと寝込んだ割には図々しいな」
「へえ、オヤジさんからもよくそう褒められておりまして」
「誰も褒めておらんぞ」

 老医者は清蔵の反応に苦笑しながらも、すぐに真面目な顔になって向き直ります。

「清蔵、太夫をどう思う?」
「へえ、噂に違わぬ、いえ、噂以上の美人でございました。一年頑張った甲斐がありました」
「ふむ……いやお主が満足ならそれでもよいのじゃが……」
「先生、そんな奥歯に何か挟まったような物言いはよしてくださいよ。なんだって言うんです?」
「うーむ……これもお主のためか。よいか、心して聞けよ」
「なんですかそんな怖い顔しちゃって。オイラ今なら何言われてもへっちゃらですよ。なにせ幾代太夫がオイラ
 に会って??」
「あの幾代、ニセモノかもしれん」
「??くれたんで……ハァ?」

 何人かの花魁と馴染みになったことのある先生です。花街のルールなどは熟知しておりました。初めての座敷
で笑う寄り添う酌をする、いずれも花魁として許されない行為です。それをあの幾代太夫が、この冴えない清蔵
にしているのですから、まさにお天道様が西から昇るようなものでありました。

「そ、そそっそんな餌に誰が釣られクマー」
「まあ、本物だとしても貧乏人をもてあそんでおるようなモンじゃがな」
「……あの太夫が、ニセモノ……だと……?」

 清蔵は頭が真っ白になっておりました。一年間必死の思いで働いて、やっと辿り着いた花街で偽物と本物を取
り違えて糠喜びをしていたのです。母親にジャンプ買って来てと頼んだら月刊だったくらいのガッカリ度合いで
す。心の中でガラガラと何かが崩れていくようでした。

「ふ、ふふふふ、ふふふふふふふふf(ry」
「落ち着け、お主が今感じている感情は精神的疾患の一種じゃ。鎮める方法は儂が知っている。儂に任せろ」
「……具体的にはどうするわけで?」
「当然、傾城の主人のところに乗り込んで話をつける。このままでは紹介した儂の面子もたたんからの。……あ
 あ構わん構わん、儂一人で行ってくる。直接に騙されたお主が行ってもなんにもならんじゃろ」

 そう言いますと老医者、外へ飛び出していきました。後に残された清蔵も、いつまでも厠へ入っているわけに
も行きません。とりあえず元の座敷へ戻ろうかということになりました。

 座敷の前まで来ますと禿が待ち構えておりまして、となりのへやへどうぞ、などと申します。衣装を替えると
だけ聞いていた清蔵はいよいよ警戒します。

「ぬしさん、どうかしたんでありんすか?」
「いや、その……訊きたいことがあるんだ。この中には誰が?」
「おいらんでありんす」
「いやそうじゃなくて……中にいるのは本当にホンモノで?」
「? おいらんはおいらんでありんすが?」

 禿も不思議な顔をして困っています。この様子では清蔵は欲しい答えを得られないでしょう。こうなっては腹
を括らねばならないかと深呼吸をいたしますと、パーンと襖を開け放ちました。
 部屋の中は座敷とは違って、薄暗く行灯で照らされておりました。部屋には色々と調度品などありましたが、
中でも目を引きますのは真ん中に敷かれた布団です。清蔵が普段使っているものの倍は分厚いもので、見るから
に寝心地がよさそうです。そしてその布団の脇には花魁が控えておりました。

「お待ちしておりんした」

 太夫が一言、つい、と言い放ちますと、三ツ指突いて深々と頭を下げました。一部の隙も無い見事な動作であ
りました。
 これを見た清蔵、いきり立っていた気分がすーっと収まります。触れると切れてしまいそうないい女が自分に
三ツ指突いてくれているというだけで満足でした。元々幾代太夫など、職人風情が逢瀬の出来る相手ではありま
せん。そこを偽物とはいえ用意してくれた女衒の心意気というものを汲まねば野暮というものです。ここは見栄
を張って、最後まで付き合ってやろうとなったのでした。

「おう、待たせちまって済まないね」
「いえ、本来ならばあちきが待たせる役回り。それを待たされるのは随分新鮮でありんした」

 そんなこんなで香を焚き染めた部屋で二人、差しつ差されつ酒を飲み、段々と雰囲気を作ってまいります。い
きなり布団に飛び掛かるなんて無粋は清蔵が許しても花魁が許しません。とくとくとくと徳利を二本、半刻もか
けて飲み干しますと、お互い無言になりまして、目と目で通じ合うという様子になりまして、そこで花魁がやっ
と肌を晒すのでありました。

「ぬしさんに、惚れんした」

 幾代は清蔵の手を引いて布団の中へ誘いますとこの文句を吐きます。今まで一度も言ったことのない言葉であ
りました。
 それを知らぬ清蔵でありますが、胸を射抜かれた思いでありました。ほんの一刻前は凛としたいい女、それが
今では猫のように身体をくねらせ男を求めているのです。辛抱たまらんとはまさにこのこと、清蔵はふらふらと
布団へ倒れてしまいました。

「お、花魁……」
「ぬしさんはじっとしていればようありんす。あちきが全部しんすから……」

 花魁は言うと立ち上がり襦袢などを肩から落としまして、枕元の乱れ箱へ収めます。行灯に照らされた幾代の
身体はもう極上のものでありました。
 上物の絹のような肌、小ぶりに収まった胸と尻、つんと立った桜色の乳首と生娘のような身体でありながら、
纏った雰囲気はやはり本物。肩越しに流し目など貰いますと、清蔵はそれだけで自らの分身がヒクつきます。
 裸になった花魁は、次に男を脱がせにかかります。帯を解き、前を広げますとくっきりと腹筋が浮き上がって
おりました。
 ここで花魁は清蔵の嘘に気づきます。問屋の倅がこんなに立派な身体をしているわけがありません。ははあこ
れは職人が精一杯の見栄を張ったのだろうと察して、それから更に男のことが好きになりました。その辺の職人
には自分のことなどとても買えません、きっと無理をして金を集めたのでしょう。一目惚れの相手が同じく自分
のことを想っているなんてとても幸せなことです。
 太夫は清蔵の着物も乱れ箱に納めますと、仰向けに寝たままの男に手を回します。力が漲って今にもはち切れ
そうな彼自身をそっと指で包み込みますと、清蔵はあっけなく果ててしまいました。

「ぬしさん、お元気でありんす」
「あ、いや、その……」
「あちきに任せてくんなまし」

 一度放ちながら未だ硬さを保ったままの男根をちり紙で拭いながら、こそばゆいような力加減でもって刺激を
与えますとまたすぐに勃ちます。清蔵がなんとも恥ずかしいと顔を赤く染めますと、幾代は首を横に振りまし
た。

「あちきは嬉しゅうありんす。ぬしさんはあちきのことなどを好いていんすのが伝わってきんす」

 女はもう殆ど出来上がっておりました。どちらかというと濡れ易い体質であることに加え、男の精の匂いを嗅
いでスイッチが入っていたのです。
 これは初体験の清蔵にとってはありがたいもの。花魁の身体を弄りたいというのも本心ですが、やはり男の本
能には抗えません。先程から幾代の陰部を目で追っておりました。

「焦らなくてもすぐに挿れんすよ」

 幾代は微笑みを浮かべて横になりますと股を広げて男を促します。清蔵は目を見開いて幾代のそこを食い入る
ように凝視します。
 そこはきれいに手入れがされてありました。下腹の割れ目にちょこんと固まってあるだけで、他のところは一
切抜いてあります。素人目にも無駄なところに生えた毛は一本も無いと分かる見事なものでした。
 清蔵はその整った美しさに生唾を飲み込むばかりで、腰を進めるのを刹那忘れておりましたが、すぐにその中
心、花弁の芯へ分身を沈めました。

 清蔵は初めての体験に頭の芯が蕩けるようでありました。相手が憧れの幾代でないとはいえ、いい女であるこ
とに違いはありません。その上女の膣中はよく使い込まれて弾力に富み、うねりは清蔵を扱きあげております。
男が堪らず腰を打ちつけ始めますと、すぐに息が切れてしまいました。

「お、おいら……おいらん……っ!」
「ん、んあ、清さん……」

 清蔵は幾代のことを呼びつけながら動きますと太夫もそれに応じます。清さんなんて呼ばれては根が単純な清
蔵などはすっかりその気になってしまいます。ますます激しい腰使いでもって、自らを高めていきました。
 そんな男の表情などを観察していました幾代はタイミングを計って下腹を締め付けます。それが膣中のうねり
を更に強め、清蔵などは早くも二度目の絶頂を迎えます。

「おいらん、おいらっ……うっ……!」

 二度目の滾りを花魁の内側に流し込みますと、清蔵はもう恍惚といった顔をして全身から力が抜けてしまうの
でした。

「夜はまだ長うありんすよ、清さん」

 花魁のこの言葉に反応するのもまた男の性。この夜は草木も眠る時間まで二人睦み合っておりました。

 * * * * * *

 カラスカァと鳴いて夜が明けて、火鉢に清蔵が当たっておりますと、幾代が煙管に吸い付けましたものを寄越
してまいります。真面目単純が服を着たような男と言われる清蔵でありますから煙管なんて趣味も無く、煙草な
んて呑めませんし呑んだこともありません。それでも折角花魁が吸い付けてくれたのだからと力一杯に吸い込み
ます。すると煙管の火皿で火球がぐらぐら揺れまして清蔵はゲホゲホとむせ、目の端からつつつっと涙が流れて
いきました。そんな涙を流しながら煙管を返しますと、花魁が一言こう申します。

「清さん、今度は何時来てくんなますか?」

 これはまあ社交辞令という奴でありまして、ああまたすぐ来るよ、なんて適当に答えておればよいものであり
ますが、真面目な男、そうは思いませんでした。

「……一年、先になるんだ」
「一年? それはまた、長うありんすが」
「一年、働かないと来れないんだ」

 清蔵は知らず知らずのうちにこの花魁に情が移っておりました。こんな男に身体を許し、夜中の遅くまで付き
合ってくれたのですから当然でしょうか。先程出来た涙の跡を、新しい涙が伝っていきます。

「ぬしは野田の醤油問屋の若旦那ではありんせんか。どうして??」
「違うんだ! 私が……オイラが醤油問屋の若旦那? そんな大層なモンじゃございません。……花魁、ゴメン
 なさい。オイラ嘘を吐いていました。オイラは日本橋馬喰町の搗き米屋、六衛門さんとこの奉公人の清蔵でご
 ざいます」

 吉原は嘘の街。その中に棲む花魁は、今まで見てきた中で一番美しいものを見ておりました。人の真心という
ものでありました。

「ちょうど一年前、お使いの帰りに見かけた幾代太夫の錦絵に、もう頭の先から足の爪まで惚れちまって。いつ
 か花魁に会うんだ、てなもんで、朝は誰よりも早く起きて夜は最後まで残って仕事をして。……この一年で貯
 めた十三両と二分、昨夜で全部使っちまいました。だからまた、一年同じように働いて働いて働き抜かないと
 この里には来れないのでございます。オイラ明日から、いえ今日からまた頑張ります。……一年後、もし忘れ
 ずに覚えていてくれたら、おい清蔵、なんて呼び捨ててやってください??」

 清蔵はもう恥ずかしさに顔から火が出る思いでした。見栄を張って若旦那を演じることに決めたのに、最後の
最後でご破算にしてしまったのです。二つにしか折れない身体を三つにも四つにも折る気持ちで花魁に頭を下げ
ておりました。

「……ぬしさん、頭を上げなんし」
「へえ、恥ずかしくてそんなこと出来ません」
「上げなんし」

 二度目の強い口調に男はハッと顔を上げました。貧乏人など、といよいよ叩き出されるのかと花魁を見ます
と、菩薩様のような表情を浮かべております。

「ぬしさん、おカミさんはおあんなさんすか?」
「いえ、この顔で嫁御などなり手がありません」
「あちきは来年の三月に年季が明けんすによって、清さんのところへ行きんす。そしたら清さん、あちきを貰っ
 てくんなますか?」

 初めて迎える朝で花魁がプロポーズするなど前代未聞のことでありますが、幾代は不思議と穏やかな気持ちで
ありました。真心に真心で返すのは当たり前。ましてや幾代はこの男に惚れているのです。この答えが口から出
てくるのも当然でありました。
 呆然としている清蔵ではありましたがやがて落ち着きを取り戻しますと、断る理由もございません、きっとお
迎えいたします、と返事をいたしました。

「嬉しゅうありんす。……禿や??」

 閨の外に控えておりました禿を呼び寄せますと何事か耳打ちをします。それが出て行きますと花魁、清蔵へ向
き直りました。

「ぬしさん」
「へえ」
「ぬしさんはもう、この里へ来てはなりんせん」
「そりゃまたどうしてでございましょう」
「ほかのおなごへ目移りなどさせたくありんせん」

 幾代、初めての悋気でありました。

 * * * * * *

 後朝の別れも済ませ、清蔵は朝早くの吉原をトボトボと歩いておりました。手にはなにやら重そうな風呂敷包
みを持っておりまして、その中には五十両の大金が入っております。これは花魁が輿入れの前払いと男に預けた
ものでした。
 しかし清蔵が呆けているのは大金に驚いているからではありません。閨を共にした、あの花魁に心焦がれてい
たのです。夢のような時間は本当に一瞬でありました。
 ここで清蔵、大変なことに気付きます。あの幾代の振りをしていた花魁の、本当の名前を聞いておりません。
名も知らぬ女を女房に迎えるつもりかと慌てておりましたところに遠くから声がかかりました。

「おーい、清蔵。魔法使いから転職できたか?」
「……先生、今までどこにいらっしゃったんで?」
「なんじゃその顔は。ぐずぐず泣きおってからに」
「昨夜の花魁の名前が分からなくって……」

 清蔵の言葉を聞いて老医者はしまったという顔をします。どうかしましたか、と清蔵が尋ねますと先生は舌を
ペロリと出しておどけました。

「実はの、昨日はニセモノかもしれんと言うたがの、ありゃホンモノじゃ。傾城屋に文句を言ったらの、行儀の
 悪い子で申し訳ないと……清蔵? これ清蔵! おおい大変じゃあ、誰か医者呼んでくれい!」

 そんなこんなで清蔵は吉原から人足の戸板でもって馬喰町まで戻ってまいりまして、オヤジさんの店の二階で
ウンウン唸っております。それを心配しておカミさん、

「清蔵、具合はどうだい?」
「らいねん……」
「お粥作ったげるからね、それをお食べ」
「さんがつ……」
「じゃあお薬出してもらおうか」
「らいねんのさんがつ……」
「……お前さん、身体をよくする気は無いのかい?」
「らいねんのさん??」
「それはもういいんだよ!」

 とまあ一事が万事そんな感じでありまして使い物になりません。ああこれは罪作りなことをしてしまったとオ
ヤジさん、何も言わずに清蔵の面倒を見ることにしました。
 清蔵も根は真面目でありますから、そのうちに起き上がって少しずつ店の手伝いなどに復帰していきまして、
やっと店の仕事を任せられるまでに快復しましたのは年が明けて、寒さのピークも過ぎた頃でありました。

 * * * * * *

 梅は咲いた、桜はまだかいな、なんて言っている時分のことでありました。米搗き屋の前に立派なつくりの駕
籠が止まりまして、かついでいた駕籠かきが店の前など掃除していた小僧に声をかけます。

「坊主、ここは六衛門さんとこの米搗き屋かい?」
「そうだよ」
「じゃあ清蔵って人はいるかい?」
「せい兄さんなら奥でもってお金のカンジョーしてるよ」
「へえそうかい。……おられるようです」
「そうでありんすか」

 駕籠の中から声がいたしますと戸がすいと開き、幾代が降り立ちます。廓とは違って地味な扮装をしておりま
したが流石花魁、立ち姿だけで周囲の景色を一変させました。

「小僧さん、清さんに幾代が参りましたと伝えてくんなまし」
「へ、へえっ! ??オヤジさん大変だぁ!」
「なんだい五月蝿いね。どうしたんだい?」
「ら、らら、来年の三月が太夫はせい兄さんに呼べって!」
「日本語でおkだこのオタンコナスめ。……なになに、なんだと? 幾代太夫が清蔵を呼んでるだって!?」

 そんな風に表で騒いでいるのを何事かと清蔵が出てきましたところに、幾代も店に入ってまいりました。おお
よそ半年振りの再会でありました。

「ぬしさん、約束通り来んした」
「お、花魁……」
「あちきはもう花魁ではありんせん。ぬしさんのおカミさんでありんす」

 この一言で清蔵の治まっておりました恋煩いがまたぶり返しまして、うーんと唸ってひっくり返ってしまいま
した。これに慌てる主人と小僧でありましたが、幾代だけは顔色も変えず、こう言います。

「誰か、お医者を呼んでくんなまし。……藪はいけんせんよ」

 可哀想に小僧、遠くの医者を呼びに走らされることになりました。

 * * * * * *

 幾代が嫁いできたということで清蔵も何時までも米搗き屋の二階というわけには参りません。どこか無いかと
探しましたところ両国に貸店舗が見つかりまして、ここは一つ商売でも始めようかとなりました。お世話になっ
ておりましたのが米搗き屋ということで餅屋がいいでしょうとなりまして、屋号はどうする源氏名がいいなんて
『幾代餅』と名付けました。
 吉原の花魁が下町の職人と一緒になって、それが餅屋を始めてなんてことになれば話題を集めぬわけがありま
せん。助平な客などが大挙して押しかけてこんな意地悪を申します。

「いらっしゃいませ、何にしんすか?」
「幾代の餅肌、持ち帰りてぇんだが」
「確かにあちきは餅肌でありんすが、もう売り物ではありんせん。この餅、『ついて』いいのは清さんだけであ
りんす」

 とまあこんな感じにあけすけな客あしらいをするものですから人気はうなぎのぼり。財を成し、子も三人成し
て幸せに暮らしたそうでございます。
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