「やあ、おはよう忍君。朝からキミに会えるとは、今日もいい日だ」
「……ああ、おはよう川原木」
「つれないな忍君。私のことは梓と呼んで欲しいといったろう?」
「……ああ、悪かったな、梓」
「どうした忍君、ずいぶんと元気がないな?」
「いやまぁ……別に」
「ふむ? 元気を出せ、と言いたい所だが、忍君には忍君の事情があるだろうし、知らずに勝手なことは言えんな。
出来たら、事情を話してくれ。私でよければ全力で力になろう」

 俺は曖昧に頷いた。
 相談なんて出来る訳がありません。
 だってこの俺、笹原忍が悩んでるのは、まさにアンタ、川原木梓のことだから。



「よー、黄昏てんなモテ男」
「……勘弁してくれ」
 俺が川原木を撒いて屋上でボーっと校庭を見下ろしていると、話しかけてくる男が一人。
 クラスメイトで、まぁ一番親しい友人と言って過言ではない、嘉村だ。
「おやおや、冗談も返せないか。相当参ってんな」
「そりゃあもう」
 横に並んでくる嘉村に、投槍に応える。
「確かに……ハタで見てる分には面白いが、当事者にゃあつらいだろうなぁ」
 言葉とは裏腹に明らかに面白がってる嘉村に、無言でローキック。
 それでもめげず、嘉村はけたけた笑いながら言葉を続ける。
「なにしろ転入初日に、押し倒してキスだもんなぁ」
 俺は無言で嘆息した。いかん、また気が重くなってきた。
 嘉村が言ったことは、例えでもなんでもない、掛け値なしの事実なのだ。
 ちなみに被害者は俺。
 昨日、川原木は教室の前で転入の紹介をされ、席を示されそこに移動する最中、ええと、恥ずかしながら「美人だなー」と
見とれていた俺と目が合い、立ち止まったかと思うと足早に俺の元に歩み寄り、以下略、と言うわけだ。
 当然教室は大混乱。その混乱は教師も巻き込んで一日中尾を引き、川原木の真意を問いただすヒマもなかった。
 それなのに、川原木と来たら憎たらしいくらいにマイペースで、朝の挨拶にいたってはアレである。
 何のつもりどころか、本当にあった事実なのかすら疑いたくなるマイペースっぷりだ。
 ……まぁ、(図らずも)二人揃って教室に入った瞬間のどよめきから、事実であったのは間違いなかったようだが。
 俺がもう一度嘆息するのを見て、嘉村はますます笑う。
「で、何が気に入らないんだ? あんな美人に慕われるなんざ滅多にない幸運だろう?」
「……だから、だよ」
 俺はまた、重いため息を付く。
 川原木は、もう言ったが美人だ。あれだけのことをしておいても堂々と振舞う態度も立派なものだろう。昨日一日で、頭が素晴らしく
いい事もすぐに知れ渡っている。
 いってみれば完璧超人だ。ちょっと奇行に走ったくらい、瑣末と言えるくらい。
 そんな美人に言い寄られるヤツがいたら、俺だって妬む。
 ただし、言い寄られた相手が、そんな川原木に吊り合うだけのヤツだったら、だ。
 俺みたいな何のとりえもない一山いくらの輩に言い寄る川原木を見たら、誰だって妬む前に首をかしげるだろう。
 当然、俺自身も、だ。
 川原木のヤツは、一体俺のどこが気に入ったのか。それがさっぱり判らない。
 顔が良いわけでも成績が良いわけでもスポーツが出来るわけでもない、女の子と遊んだ記憶を辿れば幼稚園まで遡る俺のどこに、
川原木ほどのヤツをひきつける要素があるのか、まったく理解できない。
 ましてや……
「川原木のやつ、さ……」
 手すりに両手を重ね、その上に顎をうずめるようにして視線を校庭に固定したまま、俺は言葉を搾り出す。
「うん?」
「あの後によ」
「うんうん、お前がキスされた後に?」
「???っ! まぁ、その後にな……」


「な……なんでこんなことを」
 ソレがどれだけ時間をかけたのか、混乱の極みだった俺には判らないが、やっとのことで解放された俺の唇が絞り出したのが
そんな気のきかない台詞だった。
 そして川原木はその言葉に対し、こんな風にのたまったのだった。

「ふむ、実を言うと私自身もこんな行動に出るとは意外だった。あえて一言で言うなら、『愛に時間は関係なかった』ということかな」


「なんて事を言ったんだぜ?」
「そりゃまた深いお言葉だ」
 他人事丸出しなコメントありがとう。
 つまり俺の悩みはそこに尽きる。
 愛に時間は関係ない……つまり、時間に関係なく現れたものなら、消えるのにも時間は関係ないんじゃないか、と。
「つまりだ? お前さんは、美人に言い寄られたのは嬉しいけど、すぐに振られるんじゃないかと不安だと?」
「……身も蓋もない言い方をすれば、そのとおりだ」
 例えば、俺が自分自身に何か自信を持てるものを持っていれば。
 そうでなくても、自分が愛されてると実感できるだけの共にいた時間があるならば。
 俺は、川原木の気持ちに応えることが出来たかもしれない。
 でも、どちらもない。
 だから俺はこうして、一人でうじうじ悩んでるって訳だ。
「と、いうことだそうです、姐さん」
「??なるほど、それで悩んでいたのか」
「???っ!?」
 突然現れた第三者の声に、俺は寄りかかってた手すりからずり落ちそうになる。
 慌てて振り返れば……予想通り、たった今話題にしていた川原木が、腕を組んで堂々と立つ姿が。
 一瞬の忘我の後、俺は閃いて嘉村を睨めば、やつは悪びれもせず笑って応える。
「そりゃまぁ、美人の頼みは断れんわな?」
 ??やられた。ヤツは川原木の斥候だったのだ。
 俺はそれに気付かず、ヤツの誘導にのっちまって、べらべら胸のうちを垂れ流しにしてたってわけだ!
 俺はとりあえずウラギリモノに報いを与えるべく身構えたが、制裁を実行するよりも先に嘉村は身を離していた。
「んじゃまぁ、あとは当事者同士で、ヨロシクー!」
 そんな言葉を残し、振り返りもせずに背中越しに手を振り、嘉村は屋上から去っていく。
 扉の閉まる重々しい音が響けば、その場に残るのは俺と川原木だけ。
 俺はなんとなくバツが悪く、川原木の方を見ることが出来ない。
「さて、事実が判明した今、弁明したい事は多々あるのだが??」
 だが川原木はそんな俺を気にすることもなく、歩み寄ってくる。
「さしあたり、確認を一つしておこう」
 俯いた俺の視線の中に、川原木の脚が入り込んだ。もう、目の前にまでやってきている。
「……もしや、まだ思い出してもらっていないのかね、しのちゃん?」 
「?!」

 その呼び名に、おれは弾かれたように顔を挙げた。
 そしてまっすぐに見やった川原木の顔と、「しのちゃん」という懐かしい呼び名に、古い記憶が刺激される。
 何秒か、呆然と川原木の顔を(恥ずかしながら)見つめたあと、俺は搾り出すように問いかけた。
「もしかして……あーちゃん、なのか?」
「うむ」
 俺の呼びかけに、花が咲くような笑顔を浮かべて応える川原木。
 俺が唯一女の子と遊んだ記憶のある幼稚園時代……その相手は、小学校に上がる際に別の町へと引っ越して行ってしまったのだが、
それがあーちゃんであり、それが、つまり、この目の前にいる川原木梓へと成長した、と……?
「いやまったく、私は一目で君の事がわかったというのに、君の方には気づいてもらえなかったとは……悲しいことだね?
 往年の呼び名は現在では恥ずかしかろうと自粛したのが裏目に出てしまったかね?」
 そうは言いながらも川原木はまったく悲しそうには見えないが、俺はなんとなくバツが悪く彼女から目を逸らす。
「し……仕方ないだろう。ずっと会ってなかったし、まして……」
 思わず口走りそうになった本音を慌てて、小声にして誤魔化す。
「まして?」
 だが川原木は、それを許すつもりはないようだ。ますます詰め寄って、その先を促してくる。
「まして、さ……こんな美人になってたら、判るわけがないだろう」
 観念して応えた俺の顔は、多分真っ赤だったことだろう。
「はっはっは、うれしい事をいってくれるね。それに免じて忘れていたことは不問としよう」
 朗らかに、嬉しそうに笑う川原木だが、かすかにその頬には赤みが差していた。
 それに気付いた俺は、なぜだかますます恥ずかしい気持ちになる。
「さて、とりあえず私のことを思い出してもらえて僥倖だが、これで忍君の疑問のいくつかは氷解したものと思う」
「あ……」
 川原木は、俺の事を知っていた。つまり、あの奇行は一目惚れの結果ではなかったということで……?
「じゃあ、『愛に時間は関係なかった』っていうのは……?」
 俺はてっきり、一目惚れのことを指してそう言ったのだと思ったんだが、それでは矛盾してしまう。
「うん? 当然、10年余の時間を越えた再会であっても、私の愛はまったく色あせることはなかった、と言う意味だが?
 いや、自分でも抑える事が出来ない行動に出てしまったくらい、以前より溢れていたがね」
「は、は、ははははは……」
 なるほど、俺の考えとはまったくの正反対だったわけですね。
 っていうか仲良かった記憶はあるが、当時から愛をいだいていましたか、あーちゃんってば。
「さて君は、自分が理由なく言い寄られたと感じ、理由なく離れられる可能性を不安に思い私の気持ちを受け入れられずにいた。
 だが、こうして理由があっての事だと、他の誰かでは代替不能の事と判明した今、私の気持ちを受け入れてもらえるだろうか?」
「う……」
 そう言われて、俺は沈黙した。
 そうだ、本質的な問題は解決していない。
 川原木の気持ちが長年変わらずに保ってきた物だと言われても、俺にはそれを確認する術はない。
 そもそも俺が、川原木の気持ちを受け止めるだけの価値があるのか、その自信がない。
 それを示してくれる目安となる、『実際に共に過ごした時間』が、俺たちには絶対的に足りない。
「なるほど……まだ、私の愛を信じることが出来ない様子だな」
 そんな風に俺が躊躇っているのも構わず、川原木はさらに詰め寄ってくる。
「だが、私を拒否したいと言うのではなさそうであるし、それでも構わん」
 そういいながら……川原木はごく自然な動きで俺の両頬を掴んで自分の方に向け。
「じっくりと時間をかけて、私の愛を証明していくとしよう」
「?!」
 躊躇いなく唇を重ねてきた。 
 ??ややあって、唇を離した川原木は、艶然とした微笑を浮かべてこう断言した。
「なにしろこれから、時間はたっぷりとあるのだからね」

?おしまい?
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