―つっ……かれたー!
嘘みたいに広いベッドに堅苦しい装いのまま突っ伏して喚く。
僅かに左側のマットレスがへこんだ。
『そうだな。』
彼女もそのまま寝転ぶ。豪奢なドレスのままだが気にしていない様子だ。
『だが、今日は人生最良の日だ。』
珍しく感情をあらわにした表情を浮かべる。満面の笑みだ。
今日は俺達の結婚式だった。

結婚をする、という報告を各所にするのは非常に……何というか……面倒だった。会う人会う人に好奇の視線を向けられるのだから。
流石に定年間近の大学のゼミの教授や、人生経験の豊富なバイト先の店長にはそんな反応はされなかったが、それはそれで面倒な反応だった。
「キミ、学生結婚の恐ろしさを知らないね?ボクの受け持ったゼミの生徒でも何人かいたんだけどね、殆どが別れたか、上手くいっていないよ。悪いこと言わないから(以下略)」
「あのときの女の子か?若いうちに無茶はするもんだぞ。上手くいかなくても、若ければ次があるしな。誰か紹介して欲しかったら(以下略)」
……何であんたらは別れる事前提で話を転がしてるんですか?少しは祝福してくれたっていいじゃないか。

『個性的な方々だな。』
この話をすると真顔でそう言われた。最初は表情から感情を読むことは出来なかったが、今は頬の微妙な突っ張り方や声のトーンからなんとなく読めるようになってきた。
考えたことをそのまま口にするタイプだからあまり必要なスキルではないのだが、それでも少しうれしい。
『式には呼ぶつもりか?』
―呼んでも構わないけど、何か問題があるのか?
『親族以外の人を呼ぶとなると、父の仕事の関係で関係各所から日本の重鎮がうんざりするほどいらっしゃる事になる。』
―下手すると披露宴でこっちの関係者が1テーブル、そっちの関係者が数十並ぶ可能性もあるのか。
『父の知り合いには既に政財界を引退されている方も多い。お年を召した方同士、久しぶりに親睦を深める場としては冠婚葬祭はもってこいの場だからな。』
―近所の葬式で親睦会開いてるご老人みたいなもんか。……いいんじゃないか?俺も友達くらいは呼びたいし。

……今思うと、こんなこと言うべきでは無かった。
会場には今年新卒採用された俺の友達と、彼らのトップに君臨している会長職が同じ会場で一組の男女を祝うという訳の分からないことになってしまった。
披露宴の最中、若者は萎縮して静かになり、老人は俺達を肴に騒ぎ立てている。なんだかあべこべだ。
『政財界の人たちは行動力に溢れる人が多いからな。』
進行に四苦八苦している司会者を見ながら、苦笑して彼女は言った。確かにそれくらいの元気が無いと世界に進出するような企業のトップには立てないだろう。

式次第も彼女の父親――もう俺にとってもお義父さんだけれども――が大泣きして、数人がかりで外に連行された以外は粛々と進行していった。
「いやだあああぁああぁぁあぁぁぁぁあぁ……ぁぁ……ぁ……」
一緒についていったお義母さんの手はきつく握り締められていた。きっときつい一撃が待っているのだろう。
後で聞いた話だが、お義母さんは空手師範の免状を持つ達人らしい。
……うん、不倫だけは絶対に出来ないな。するつもりも無いけれど。

披露宴を早々に切り上げ、俺の友達を中心とした若者達は二次会へ向かった。
お歴々の方々は式の行われた豪華なホテルに残り、お義父さんを慰める会に参加してくれたようだ。日本を背負って立ってきた方々に、心からゴメンナサイを申し上げる。
二次会会場に向かう前に、また一悶着があった。彼女が式に出た優雅な服装のまま、歩いて会場に向かう、と言い出したのだ。
当然俺は止めたのだけれども、披露宴で出た少量のアルコールで気が大きくなった悪友達が、そのまま行ってしまえ、と騒いだので、仕方ないがそのまま行く事にする。
居酒屋までの盛り場を10人以上の団体とコスプレした一組の男女が歩く姿は壮観だったに違いない。

居酒屋では殆ど衆目に晒す事の無かった彼女の姿に興奮した暴徒(と書いて俺のダチと読む)と、俺を酔いつぶれさせようとする酒乱(と書いて俺の(以下略))の2組に分かれた。
彼女の知り合いも何人かいたようだが、そんなコヒツジたちはオオカミ(と書いて(以下略))に口説かれていた。
……店が貸しきりで本当に、本当によかった。

宴もたけなわ、アルコールにやられて茫洋とした頭で彼女のほうを見ると……恐ろしい事態が起こっていた。
……彼女の周囲には見知った顔が死屍累々、積み重なっていた。全員目を回している。
う、目が合ってしまった。見た様子、泥酔してはいないようだ。足取りもしっかりして……こっちに向かってくる!
―アレ、どういうことだ?
『うん、君が周りの人たちと杯を交わしているのがとても楽しそうだったんでな、あれをやりたい、と言ったら周りの人が乗ってくれたのはいいんだが……』
―返杯やったのか!?全員と!?
『返杯というのか。それを続けていたら一人、また一人と眠ってしまってな。』
周りが潰れるほど返杯続けるなんてどれだけ飲んでるんだ。
見ると彼女のいたテーブルには日本酒のビンが十何本も並んでいた。こっちはビールでやってたのに、何考えてるんだ。

後で聞いた話だが、ビールより透明な酒がいいと言ったのは彼女だったらしい。流石にそこでウォッカ持ち出さなかった死体達(と(以下略))には感謝、感謝だ。

―どうした、顔が赤いぞ?風邪か?風邪なんだな?どれ、体温を測ってやろう。
自分の額と俺の額を辺りに音が響くほど勢いよくぶつけてくる。体温を測っているつもりなんだろうが、彼女も体温が上がっているので正確に測れるわけが無い。
頭がガンガンと響いているが、蕩けたような目でこちらを見ている彼女に思わずドキッとする。
吐き出す息が酒臭い。彼女にもあるはずの頭の痛みも感じないほど酔っているらしい。
『うーんおかしいな、熱があると思ったんだが。』
……この目つきには見覚えがある。<スイッチ>が入ってしまった目つきだ。早くホテルに戻らないとこの場で服を脱ぎだしかねない。
周囲に、コイツもう無理、と言って、席を立とうとしたが一瞬遅かった。
唇を塞がれ、唾液の交換を求めてくる。周囲は沸き立ち、彼女は続きをせがむがそんなことが出来るわけが無い。
一言幹事に途中退出を詫びて、2人でその場を飛び出した。

一番夜の街が華やかな時間帯、場違いな格好をした一組の男女が歩く。
彼女は完全に酔っ払っているようで、首が座っていなかった。タクシーを呼ぼうかとも思ったのだが、それは本人がきっぱりと拒否した。
タクシーに乗らないと本人が言っているし、気持ちが悪いわけではないようなので歩く事にする。夜風に当たって少しでも酔いが醒めてくれればいいのだが。
『ん、定位置。』
と言いながら右腕に捕まる彼女をなだめながら、俺はアルコール起因の頭痛と闘っていた。
それにしても彼女がこんなに酒乱だとは知らなかった。しかも一番性質の悪い酔い方をするなんて。
2人で飲んだ事は何度かあったが、少量飲んだ姿しか見たことがなかった。これからはなるべくお酒を勧めないようにしよう。

そう考えながら歩いていると、いつの間にかホテルの前に到着していた。いつの間にか着いているなんて、注意力が散漫になっている証拠だ。
足元にことさら注意しながら彼女が部屋の番号をフロントに告げる。俺が鍵を受け取ってエレベーターへと向かう。
4桁の数字の上2桁を参考にエレベーターのボタンを探すが、なかなか見つからない。
これも酔っていて頭が働いていないからだな、と苦笑して下から見上げていく。
するとスッと隣から白い手が伸びてかなり上のほうのボタンを押す。
『自分の泊まる部屋さえ分からないなんて相当酔っているな。』
お前だって酔っ払いだろ、と心の中で突っ込んで、向かう階を確認する。

……最上階だ。
ホテルの部屋の予約その他全てを彼女に任せていたので、どの部屋かまでは知らなかった。
『せっかくの結婚初夜だ。思い出に残る場所でしたいだろ?』
エレベーターの表示を見ながら、ゾクゾクするような流し目を送ってくる。
今まで彼女は全てにおいて完璧だと思っていたが、もしかしたら金銭感覚においては宵越しの銭を持たないタイプの浪費家なのかもしれない。
ここまで来ていまだに彼女の知らない部分があるなんて、自分が情けなさ過ぎる。

エレベーターを降りるとそこは部屋だった。1フロアがそのまま1部屋となっているスイートルームだ。
―スゲー……テレビでしか見たことねえよ……
部屋をよく観察する間も無く、袖を引かれてベッドのある空間に引っ張られていく。
大きなベッドに惹かれて二人で横になるが、スーツ姿のまま寝るわけにはいかないし、体も流したい。そのためには早くコイツを寝かしつけないと。
―俺は風呂入ってくるよ。
『どうして?このままで構わないのに。』
―酔っ払ったまましたいのか?
『君と子作りに励めるんなら問題無い。君と初めてしたときもそんなこと気にしなかっただろ?』
―特別な一夜だって言ったのは自分じゃないか。今度は酔いが醒めてからしよう。だから寝ておきな。
『うん、分かった。』
そう言って目を閉じてくれた。
……とりあえず大丈夫かな。

少しぬるめに設定した風呂に頭まで浸かる。いつもなら物足りない温度だが、肌にまとわりつくような温度もまた気持ちがいい。
輝く街を見下ろす、特大サイズの浴槽の端に頭を引っ掛けてうつらうつらしていると、浴室に彼女が入ってきた。体も流さずに俺に並んでその体を沈める。
―もう酒は抜けたのか?
『いや、まだだ。……でも私もお風呂に入りたいし、君が戻ってくるのを待ちきれなかったんだ。』
酒と眠気で活動を放棄しかけていた頭が一発で覚醒した。下半身が元気になってくる。
『いつもより熱いな。』
左手を添えて軽く握ってくる。俺の肩に左頬をこすりつけるように体をあわせてくる。
俺の方はというと、頭が目覚めても体がついてこない。唯一動きそうな右腕も、右側に座った彼女に動きを封じられてしまっている。
意識だけははっきりしたまま、彼女からの愛撫を受けるがままになっていた。
『今日は疲れただろ?私は少し休んだんだ。そのままでいいから今度は君が休んでくれ。』
ジンジンと痺れるような快感の中で、体は休息を求める。動かない体のまま呼吸だけが浅くなってくる。
『気持ち、いいのか?』
言いながら軽く口を吸われ、握力に強弱をつけて刺激を送ってくる。
どれくらいの時間続けられたのか、愛撫されるまま眠ってしまった。

目が覚めて、湯気でしっとりと濡れた前髪を掻きあげる。寝る直前まで、いや恐らく寝てからもしばらくは続けられていたであろう行為を思い出す。
横を見るとすぐ近くに彼女の頭があった。右肩に彼女が頭を乗せて眠っている。
回り込むように顔を覗き込んで寝顔を観察する。愛おしくてたまらない。間違いなく今、俺は世界で一番の幸福を享受している。
ボソリと一言呟くと、彼女が目を見開いた。唐突過ぎて心臓が縮み上がる。
『聞こえたぞ。』
鬼の首をとったような顔をして詰め寄る。
『もう一度ちゃんと言ってくれ。』
―……さあ、あがりますか。体冷えてきたしな。
『一言でいいんだ。恥ずかしがる必要ないだろう。』
―ちょっとやめろ脇腹はダメだって、アハ、アハハハハハ!
脇腹を引っかくようにくすぐられながらバスルームを出た。

備え付けのバスタオルを使って、そのまま閨へ向かう。抱き合ったまま2人でベッドへ飛び込む。
『なあ言ってくれよ。』
―嫌だ。
俺の熱を帯び始めた存在を向こうも感じとったのか、彼女は俺の手をとって自分の秘所を触れさせた。準備は十分だ。
だがそのまま突き進むのは少し色気が足りない。もう少しだけ言葉遊びを楽しもう。
『私はいつも君に言っているじゃないか。その分、返してほしいと思うのはおかしな事か?』
―おかしくはないけど、強要するもんじゃないだろ?
彼女自身に添えたままの指を動かし、爪で弾くように内壁を叩く。
『ッ……強要はしていない。お願いしてるだけだ。』
彼女は応えるように、鈴口に指先を引っ掛け全体を揺する。
―わッ……分かったよ。
耳元に唇を寄せ、先ほどの言葉を囁く。
『ありがとう。……しよう。』
俺はうなずいて、初めて裸のまま彼女の真ん中を貫いた。

彼女の中は熱く蕩けていて、優しかった。俺という異物を拒むことなく、むしろ歓迎しているかのようだ。
今までゴム越しにしか触れ合うことのなかった2人の肌が激しくこすれあう。
グチュッグチュッグチュッ……
水音を派手に立てながら視線を絡め、舌を絡める。胸を触ることをせずお互いに抱きしめあう。
一つになりたい。その気持ちだけでお互いを高めあう。
『うっ、くうぅぅっ!……いつもより、激しい。』
―いつも以上にいいからだよ。
『気が合うな。私もすごく気持ちがいい。』
言うと今度は彼女から腰を打ちつけはじめた。
なんて気持ちがいいんだろう。普段以上に蕩けて崩れ落ちそうな意識で必死に放出を我慢する。
『浩輔、私っ、ダメだ。もう……おかしくなりそうなんだっ。いつもより壊れるんだっ……イ、くうぅぅっ!』
膣が収縮したのを感じてからも何度かグラインドして……初めて彼女に注ぎ込んだ。

『初めてだな。ちゃんと最後まで性交をしたのは。』
―ちゃんとって……今までだって何度も……
『いいか、性交というのはお互い協力して子供を作る事だ。だから私は今日初めて君と契ったと言えるんだよ。』
相変わらず変な考え方の持ち主だ。
『よくもここまで待たせてくれたな。これからはたくさんしてもらうぞ。……まず、今からしようか。』
―もうダメ!俺は1日5試合以上こなせないんだって!
『今日はまだ4回しかしてないだろう?限界を見てみようか。』
―「以上」の意味分かってるかお前!?ちょっと待てっ……
うっすらと明るくなってきた窓の外を見て、何時間励んだのだろうとぼんやり考え、やがて思考は欲望にさらわれた。

何ヶ月か後、彼女の妊娠が分かった。あの後しばらくただれた生活を送っていたのだから、当然といえば当然だ。
お義父さんの錯乱振りはひどかったが、周囲の人たちは祝福してくれた。
うちの母親に至ってはベビー用品を早くも送りつけてきた。
まだ半年以上早いだろう、と文句を言いながらお礼の意味も兼ねて連絡すると、送れと言ったのは我が父親らしい。
孫馬鹿の姿が目に浮かぶようだ。

これだけの人たちに祝福されていて、しかも隣に彼女がいるんだ。今なら恥ずかしがらずに言える。

俺は幸せ者だ。




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