時は如月。身を切るような寒さが続く、一年で最も冷える時期。
 浩毅と珠樹は、一年後に向けた教師達のお説教も、そろそろ耳にタコが出来始めた頃。
 経験者は語ると言うが、事勉学に関して心に響く台詞を吐ける親や教師は少ない。
「きっと、少年の気持ちを忘れてしまうからだろうなぁ」
 浩毅はぼやく。
 この世で最も信用ならない言葉の一つは、親や教師――教育者の「気持ちは解る」だ。本当に解った上で言うのなら、それは自身の失敗をも認めるコトになる。
 それでも半分は本人の責任だというコトも、何時の世の若者達はちゃんと知っているのだ。ただ迷ったり、恐怖したり、押し潰されそうになっているだけで。後に振り向けば、乗り越えるのは簡単なコトであるとも知らず。
 その一歩が一番大変であり、恐れず踏み出せる方法を探すコトが出来れば、人類史上最大の発見になるかもしれない。
 などと、小賢しいことを考えてみたりする。
「まあ、お前が産まれて一仕事終えた身としては、頷ける部分も多々あるが……今は無駄口叩かず働け」
「へーい」
 ちょっとした現実逃避も、祖父に遮られる。
 新年気分もすっかり抜けて、軽口叩いていられるのも、一先ずの終わりが見えてきてしまっていて、やや憂鬱。
 馬鹿は馬鹿なのに、余裕綽々と地元の大学への進学を決定している。半年以上遊べると、嬉々として語っていた。
 国公立も充分射程圏内でありながら、あえて選ばなかった理由は言わずもがな。
 同級生からは憎らしげな目を向けられたりもしたが、完全に本人の実力なので文句も言えない。というより、相手が相手だけに、文字通り馬鹿らしくなる。

 そんな一般高校生の苦悩はさておいて。

「鬼はー外ぉ!」
「福はぁ内ー」
「鬼はぁ外ー!」
「福はー内ぃ」
 珠樹と好生と女子ABCD。一人以外はさておけないはずの面々が、仲良く豆撒きをしていた。
 さておけない人達は、全てが朱色の袴。馬鹿は上下共に白。
 地元の年男年女数名も交え、境内に集まった人たちに向けて、豆と景品の入った袋を投げていた。
 こういった行事も、神社の大事な仕事なのである。祭りや年始だけではないのだ。もっとも、メインとなる催し以外の時期は、気楽なものではあるのだが。
 特に大きなトラブルに見舞われることもなく、見た目華やかで、今年は大盛況に終わった。


「はいよ、お疲れさん」
 皆で控え室で駄弁っていると、浩毅がお茶一式を持ってやってきた。
 手にはポットと、お盆の上に乗った茶碗と茶請け。両手が塞がっているので、行儀悪く足で襖を開ける。
「浩毅、終わった?」
 姿を見るなり、パタパタと駆け寄る珠樹。それをシッシと追い払う。
「あー、いいいい。寄るな、座ってろ」
「……むぅ」
「恨めしそうな目ぇ向けるなよ。今日最後の仕事なんだから」
「?」
 カルテットのブーイングをスルーしつつ、全員の前に湯飲みとお茶請けを並べる。
「茶で客を持て成して、今日はお役御免だとさ」
 つまり、適当に友達と遊んで来いというコトだ。母は母で、他に雑用してくれた人達を引き受けてくれている。
「あ、そうそう。コレ、バイト代な」
 本日の給金が入った封筒を、懐から取り出し、それぞれに渡してゆく。
 お茶と封筒が行き渡ったところで、素直な疑問が寄せられた。
「それにしても、夏も正月も手伝っといて何だが、バイト禁止なはずなんだよな。いや、卒業間近な俺はいいんだが」
「でも黙認してくれるのよね」「ま、たまにだし」「それに割りはいいし」「正直、ありがたいわ」
「あんま気にするなよ。形としては、家の手伝いしてくれた礼だから」
 といっても、高校生には大した額だ。
 本日のように数時間拘束する程度で、日給五千円。祭りや正月となれば、一万五千〜二万円となる。しかも食事やおやつ付きだ。
 余談ではあるが、珠樹はさらに色が付いている。前日から泊り込み、正規スタッフである家族と一緒に前準備をしてるのだから当然だ。
 双方の親の了解も取り付け、万事に置いて抜かりなし。
 ……着々と、瀬川珠樹化計画は進められている。
 話は弾むが、お茶の減りが芳しくない。どうやら、お茶請けがお気に召さないようだ。
「煎り豆か、瀬川浩毅」
 小さな枡を持ち上げ、好生はしげしげと眺める。
「節分だからな」
「瀬川君手抜きだ」「これじゃ誠意を感じられませんな」「ところで、どしたの珠樹?」「そわそわしてない?」
「手抜きじゃねえよ。お袋直伝の来客用だ」
「む……確かに、妙に美味いな」
 馬鹿の一言をきっかけに、カルテットも手を伸ばす。
「あ、本当」「美味しい」「こんなに違うもんなんだ」「これ、瀬川君が?」
「いんや。そこでそわそわしてる奴」
「みんな! 歳の数だけ食ったら、残りは俺にくれッ!!」
 テーブルに手をついて、必死の形相で叫ぶ。もう少し待てば、地に頭を擦り付けてもおかしくない雰囲気がある。
 いい加減、みんな馬鹿の扱いにも慣れてきているのだが。
 さすがにコレは言葉を失い、視線は一点に集中して、呆然と動向を見守るしかない。
 ほら、頭の位置が下がってきた。ニュートンさんも真っ青だ。
「だ、駄目なのか……? ならば――!」
「おかわりいくらでもあるぞ」
 ゴンッ、と。
 絶妙のタイミングで制動は利かず。豪快な音を立て、額とテーブルが激突した。

「ほほう、デレ方も洒落てきてますな」「命の限り、二人で一人と」「とっても愛してるワケね」「ほんとに何時までも愛してるワケだ」
「あーもう、お前ら金返せ☆」
 青筋浮かべた爽やか極上スマイルで、カルテットを威圧する。
 だがしかし、その程度で悪乗りを止めてくれるようなら、とっくの昔に止めてて苦労はあるまい。
 そして、内心必死に否定しつつも、この空気が楽しくなりつつあるから、とにかく、何が何でも気が気ではないのだ。
「ていうか、何だ。二人きりだと、もっとイチャイチャしてるのか……いかんな。だが、負けんぞ、瀬川浩毅!」
 そんな中でも馬鹿は空気を読まず。という空気も、既に日常と化しつつある。
 何時もの如く浩毅を指差し、何時もの如く提案をする。
「よし、後で藤宮珠樹を賭けて勝負だ! 種目は豆撒き! 屋外なら掃除しなくていいし!」
「どーやって勝負つけんだよ?」

 こうして、彼らの日常は平和に過ぎてゆく……。


 だが、気をつけなければならない。
 平和が壊れるのは、往々にして、満喫している最中――終わりの時を、微塵も疑わない瞬間である。
 この先、恐ろしい出来事が待ち受けているコトを、まだ誰も知らなかった。

日本という国は、大なり小なりイベントが多い。
 全国レベルのメジャーなモノから、地域密着型のマイナーなモノまで。
 何でも簡単に取り入れ、独自に発展させるという気風があるからか。特に、近代以降はその傾向に拍車が掛かっている。
 興味があるなら、少々散策してみればいい。平均すれば、ほぼ毎月のペースで何かやっている、なんて土地も少なくない。
 そして、あれから十日。節分もそうだが、その次の全国的イベントが早くもやってきた。
 天気も良い平日。雲ひとつ無い青空。空を見上げれば、それだけで気分も高揚するような、文句をつけようもない絶好の日和。

 二月十四日。
 天国と地獄を――勝ち負けを、否が応でも知らされる日。
 聖・バレンタインデー。

 毎朝の待ち合わせ場所に、良く知る姿を見つけ、浩毅は声をかけた。
「よお、珠樹」
「あ、浩毅」
 子猫のような仕種で、珠樹が駆け寄ってくる。
 見れば、此方を微笑ましそうに見ながら、軽く挨拶して消えていく女子四人。
「何か話してたのか? 急がなくてもいいんだぞ」
「いいの」
 人目も気にせず、必殺ハグを見舞う珠樹。
 生活指導の先生(三十三歳・独身)の目が痛い。普段なら気にしないでくれてるが、今日は流石に日が悪い。
「だーかーらー、引っ付くなっての!」
「……ゴメン……」
 やや不服そうではあるが、素直に離れる。
 いくら言っても、コレだけは改善されない。朝一のスキンシップは、珠樹にとって譲れない一線らしい。
「な、何だよ、妙にアッサリしてるな……わかった、いいよ。校舎まではな」
「うん」
 またも素直に、だが嬉しそうに腕を組んでくる。
 何ならもっと人気の少ない場所で待ち合わせてもいいのだが、田舎のため、今度は見晴らしが良すぎるのが難点となる。
 仕方ないので、早めの登校で妥協したというワケだ。
 恒例行事を済ませた浩毅と珠樹は、手を繋いで校舎へ歩いていった。
 既に当たり前になって半年近く。この程度では、冷やかす面々も最早少ない。
 時折、思い出したように言われるコトはあるものの、基本的には何時もの風景として処理される。
 だが本日に限っては、そうもいかず。チラチラとわざとらしい視線を多く感じる。
 不審な雰囲気は、当事者も例外ではない……はずなのだが。
「……何?」
「い、いや、別に」
「そ」
 何度か視線を送っても、それだけで終わってしまう。
 自分から切り出すのも情けない話なので、特に突っ込むコトもなくそのまま歩く。
 仮にも恋人同士なのだ。さして急くコトもあるまい。
 いくら普段素っ気なくとも、浩毅も男。気にならないはずがない。

 しかし未だ浩毅は知らない。
 この普段の光景も、彼の受難の始まりに過ぎなかったコトを。

人も疎らな教室に入るなり、珠樹が強張ったのが解る。
「どした?」
「あ……えと、その……」
 珍しく、何かを言いよどむ珠樹。
 何かあるのかと、浩毅は教室の中を見回してみるが、特におかしな点は無い。
 当然のように先に到着していたカルテットも、こちらを見てニヤニヤしている。何時ものコトだ。
 本当に不審な点は無い。
 強いて言えば、既に数名の女子がチョコを渡すのに精を出してるコトだが、日を考えれば不思議ではない。
「?」
 取り敢えず、自分の机に着く。
 その横で珠樹は、浩毅くらいしか解らぬほど僅かに頬を赤らめ、無言で、立ったままモジモジしている。
 これは……。
「ごめんなさい。忘れた!」
「………………は?」
 浩毅は、思わず間抜けな声を上げる。
 渡すタイミングを図ってたとかではなく、言葉そのままの意味だろうか?
「だから……わ、忘れちゃった」
「あー……そっか。うん」
「その――」
「あ、いや、いいさ。人間、誰しも忘れるコトくらいあるって。それにまあ、何も焦るこたねえし」
 拍子抜けしたのは確かだし、少し面倒ではあるが、放課後に貰えるならそれでいい。
 丁度良いコトに、今日は稽古の日じゃない。どうせ適当にブラついたりするくらいしか予定は無いのだ。何ならいっそ、珠樹の家にお邪魔してもいいだろう。
 だが、続く珠樹の言葉は、さらに予想を上回るモノだった。
「――えっとね……用意、してないの」
「そ、それは……」
 本気で忘却の彼方だったと言うのだろうか。
 残念無念とはいかず、むしろ呆気に取られる。
 この時期、忘れるほうが難しい。どれだけ情報から隔離されてればこうなるのか。現代日本人として、流石に如何なモノかと。
「日付……」
「明日か――――ッ」
 浩毅はガックリ項垂れる。
 合点はいったが、ウッカリしすぎだ。カレンダーは毎日確認しておきましょう、珠樹さん。

教室は、一気に暗い空気に包まれる。
 何と言うか……居た堪れない。校内どころか、地域でも名物のバカップル。それが、よりにもよって、この日にこの有様である。
 かける言葉も無い。
 浮かれた雰囲気は消し飛び、否が応にも、同情の視線が瀬川浩毅に注がれる。
 次々に登校してくるクラスメイトは、すぐさまこの異様な気配に呑まれ、事情を知る者から即時に経緯を伝達される。
 時間を重ねる毎に、空気中の憐れみの濃度は増す。
 今年は何個貰えるかなどと、小さな期待に胸躍らせていた男子も、貰うコトを既に諦めていた男子も、己の幸せを涙ながらに噛みしめる。
 そして目蓋の裏に焼き付けるのだ。あまりに不憫、あまりに痛々しく、あまりに儚く散った男の哀愁溢るる背中を。
「みんな……頼むから、同情するような目で見ないでくれないか……」
 そう言われても、無理と言うものだ。憐れむだけではない。他人の不幸は蜜の味という気持ちも、少なからず発生してしまうのだから。
 それはそうと、チョコレート配布会は滞りなく行われる。本命だったり、義理だったり。それはそれ、これはこれだ。
 浩毅の机の上に、順調に築かれてゆくチョコの山。それがまた、より一層悲しみを際立たせる。
「瀬川くん、ファイト!」
「強く生きてね、浩毅くん」
「負けちゃ駄目だよ! 生きていれば、必ず良いコトある!」
「お返しはいらないから。ね? ね?」
 チョコと一緒にいただく有り難い慰めは、塩を擦り込まれるに等しい。
 もう正直放っといてください。
 意気消沈したところで、時間の流れは変わらない。着々と登校する生徒。着々と増えるチョコ。オロオロする珠樹。チョコもくれず、遠目で様子を窺うカルテット。
 その勢いで、やがてホームルームの始まりを告げに、担任の英語教師がやってくる。
「さあ、今日も張り切っていくぞ。バレンタインだからって浮かれるなぁ」
「か、片岡先生! しーっ、しーっ!!」
「む?」
 慌てて前列の生徒に口を塞がれるが、時既に遅し。一応説明を試みるも……、
「成る程……。ま、俺には関係ないからいいか」
 あっさり流された。
「俺は本命に貰ったから、後はどうでもいいし」
「…………ッ!」
 浩毅は、人知れず血涙を流す。
 他人の惚気が、こんなに憎らしいと初めて知った。
 片岡教諭が、男子憧れの美人教諭に熱を上げていたコトは周知の事実だ。そしてついに最近、見事勝ち星を挙げたコトも。
 青春に年齢は関係ないのだと、しみじみ枯れてみたりもする。
「無駄話はここまで。さっさと始めるぞ」
 悪夢の日は、こうして始まった。
 休み時間のたびに、話を聞きつけた女生徒が、クラスの垣根を越えてもやってくる。ノリの良い校風である。
 そしてそのたびに、自身の現状を嫌でも突き付けられる。
 浩毅のフラストレーションは溜まっていく。

 やがて限界は来た。

「どうせ俺は駄目な日本人さッ!!」
 昼休み早々、学食でクダを巻く男が一人。
 呷ったアイスティーのグラスを、テーブルに叩きつける。
「荒れてるなァ……」
「荒れてるねえ……」
 スポーツマンの外山と、インテリの西脇。
 友人二人も、処置なしと判断したのか、取り敢えず遠くから見守るスタンスに決定した。例の四人も、飽きずに観察を続けている。
 珠樹すら、浩毅から離れてみんなと食事を摂っている。
「……しかし、どうも何かを忘れてるような……」
「うん。意外と状況はややこしくないね。完全に当人達の問題だし」
「……えっと……」
「気に病むなよ、藤宮。誰が悪いんでもない」
「ていうか、珍しく大人気ないよね、瀬川くん」
「何だかんだで、いっつも一歩退いてるとこあっからな」
 心配ではあるが、たまにはこんなのも精神衛生には必要かもしれない。
 だが本人には、気が気ではないワケで。
 衆目に晒されながらも、気に留めるコトもなく、さらに荒れる浩毅。
 こんな状態でも、つまみの甘味は増えていくのだから、もうイジメかなんかではなかろうかと思う。そろそろ三桁いきそうだし。
 本当、ノリが良いのはここら一帯の気風であるらしい。
「畜生……恨むぜぇ、近代の平賀源内……!」
「荒れてるなァ……」
「荒れてるねえ……」
 海が荒れるということは、嵐も近いというワケで。
「おお、こんなとこにいたか! やっと捕捉出来た!」
 ご期待通りに、只今参上。
「あー……忘れてたのアレか」
「平和なワケだね」
「今日もまた勝負だ、瀬川浩……毅……?」
 流石の馬鹿も、様子がおかしいコトに気がついた。
 外山は、好生の肩に手を置き、静かに首を横に振る。
「そっとしといたれ」
「な、何がどーなってるんだ?」
「実はね――」
 かくかくしかじか。
 簡潔な説明を、西脇が請け負う。
 説明を追うごとに、好生の顔色が変わってゆく。
「……それは酷いだろう。俺だったら立ち直れないぞ、藤宮珠樹……」
「…………」
「そ、そんな哀しそうな顔をするな。――よし! ここは俺が一肌脱ごう!」
 腕まくりの仕種で意気込んで、馬鹿が行く。
 相変わらずのポーズ。台詞と共に、人差し指を突きつける。
「瀬川浩毅、藤宮珠樹を賭けて勝負だ! さて、お題は貰ったチョコの数でいこうか。ちなみに俺は二十個ほどだが、お前は? うわ、凄い数だな。教室でも貰ったんだろ? こりゃ敵わん。はははははははは」
 これでも好生は意外とモテる。同学年の休みが目立つ時期にこの戦果が、それを証明している。
 考えてみれば、それも当然だ。馬鹿という一点を除けば、文武に優れ、ルックスも家柄も恵まれた上に性格もいい。
 加えて、現在勝ち目が皆無の恋愛をしているのだから、誰に憚るコトなく、安心してアプローチも出来るというものだ。
 だが本人は、自分がモテる理由を今一つ理解していない。
 ついさっきも、持ち前の真面目さで、女生徒の告白を丁寧に断わってきたところだ。
 そんな彼が、この日に則した勝負を挑み、負けを認めたのだが……。
「わはははは、はは……は……………………すまん」
 認めたのだが、この展開ではやはり役に立ちはしなかった。

少しだけ好生に顔を向けて、浩毅が呟く。
「いや、いい。お前……いい奴だな」
「む。べ、別に瀬川浩毅の為じゃないからな。勘違いするな。藤宮珠樹の為だ」
「そっか」
 それっきり、会話が途切れる。
 まるで鉛のように空気が重く、息が詰まる。
 そそくさと、それ以上何も言えずに、合川好生は帰ってきた。
「すまない、駄目だった」
「いや、よく頑張ったと思うよ」
「しっかし、本当どうするよ」
「まさかこれほどとは……」「流石に見てて可哀想ね」「ここは一つ」「珠樹の手作りチョコを用意するしかないか」
「そりゃそうだが、今すぐってワケには――」
 その瞬間。
 プチン、と。何かが切れる音がした気がする。
「俺の心はボロボロだぁっ! お前らに俺の何が解るんだよぉ!」
 誰に言っているのか。
 浩毅がテーブルに突っ伏し、腕に顔を埋めて咽び泣く。
「いかーん! 浩毅が壊れた!」
「購買! 今あるチョコを買い占めるんだ! あとラッピングできるモノ!」
「おばちゃん、厨房、厨房貸して! いやモズクはいいから」
「厨房はいい。家庭科室だ!」
「よし、鍵借りてくる!」
 流石にこれは、外山、馬鹿、西脇までが面食らう。それぞれが自分に出来るコトをと行動するが、混乱していてスムーズにはいかない。ギャラリーはもう目を放せない。
 食堂は、いよいよもって驚天動地の様相を呈す。
「こ、これは予想外に大変なコトに」「だから止めようって言ったのに」「今更言ってもしょうがないでしょ」「ごめん、もういいよ珠樹!」
「――うん」
 許可を受け、我慢していた珠樹が動く。
 昨日から用意していた包みを、やっと取り出すコトが出来た。
 小さく拳を握り気合を入れて、浩毅に駆け寄る。
 そして目の前に差し出した。
「浩毅、これ」
「――珠樹?」
「バレンタインチョコ。浩毅の為に作ったの」
「あ? ……え?」
 言葉を理解出来ず、目を丸くする。
 無いと言われていたのに、現物は此処に在る。つまり……どういうコトだろう。
 フォローするように、珠樹の後ろにカルテットが現れた。
「ごめん、瀬川くん」「とある人からの悪知恵、私達が吹き込んだの」「どれくらい好きか図れるからって」「私達はいいけれど、珠樹だけは許してあげて!」
「な、なん……お前ら! ちょっ、そんな、俺が……ああもうッ!」
 言葉が上手く出てこない。
 要するに、騙された上に、これ以上ない醜態を晒してしまったという話だ。
 情けなくて、別の涙が出てくる。
 とにかく落ち着こうと、浩毅は大きく深呼吸をした。
「なるほど。やはりそういうコトか」
 冷静さを取り戻し、引きつりながらもやせ我慢。
 誤魔化せないコトなど、浩毅本人が一番解っている。だが、せめてやせ我慢でもしなければ、今度は羞恥で壊れてしまいそうなのも解っているのだ。

外山が呆れた溜め息を吐く。
「……人騒がせな」
「まあ、落ち着いたんなら、それでいいけど」
「だがなぁ……ふん! ふん! ふん! ふん!」
「わっ!?」「きゃっ!?」「痛っ!」「何すんのさ、合川好生!」
 脳天に見舞われる鉄拳制裁。
 好生は四人に睨まれるが、それを目で抑えつける。
「ったく。悪戯するなとは言わないが、種明かしは引っ張るな」
 普段馬鹿と呼んでいる相手に説教され、しゅんとするカルテット。
 彼女らも頭が悪いわけではない。言うコトは理解出来るし、省みるコトだって出来る。
 何よりあの姿を見ては、首謀者として良心の呵責が無い人間も珍しいだろう。
 事態の収拾を確信し、笑いながら、外山が浩毅に話しかけてきた。
「ま、コイツらはともかく、珠樹は許してやれ。な?」
 浩毅を持ち出せば、あっさり計画に乗るのもどうかと思うが。良くも悪くも、純粋すぎる娘だ。
「そうそう。寛大にね。――あ、コレ借りるよ」
「ん? ああ」
 好生が既に購入してしまっていた安物のリボンを、西脇が拝借する。
 手近の“あるモノ”に、手際良くみるみるうちに装飾を施す。
「ホラ、オマケつけたから」
「え? え?」
 リボンを巻かれ、ラッピングされた珠樹が目の前にいる。
 贈り物として飾られた姿は、まるで細い羽衣を幾重にも身につけたようだ。
 その姿で、再度本命チョコを浩毅に差し出す。
「手作りは浩毅だ――け?」
「く、お前も悪乗りしやがったクセに、感謝なんかしねえぞ」
「……〜〜ッ……」
 言葉とは裏腹に、浩毅は思いっ切り珠樹を抱き締める。
 突然、何時もと逆の立場になって、珍しく誰の目にも明らかなほど紅潮する珠樹。珍しいもの揃いな日だ。
「おーい、浩毅……本音と建前が逆んなってるぞ」
「……と言うべきかどうか。本当、珍しいね。公衆の面前で」
 この場合、口では嫌がっていてもと、街娘を捕らえた悪代官風に表現するべきなのだろうか。
「ぐぁー! そこまでやるな、瀬川浩毅! くそ、辛いな!」
 格好つけた手前、無理に引き剥がすワケにもいかないので、購買でついでに買ったハバネロスナックを自棄食いする馬鹿。
 一頻り感触を堪能した後、我に返る。
「はッ!? し、しま……っ」
「浩毅、もっと」
「で、出来るかバカ!」
「あっ?」
 浩毅は、顔を真っ赤にして飛び出していった。
 今日はどうにも決まらない。
 人生最大の厄日だと、自信を持って言える。それでもニヤけてしまうのを抑えられない自分は、意外と現金だったのだなと思ってしまう。
 食堂を飛び出した浩毅は、一分後には人気の無い裏庭に来ていた。
「〜〜〜〜〜〜……ぃよしッ!」
 周囲に誰の気配も無いのを確認し、溜めに溜め、安心して盛大なガッツポーズをとった。

 そんな浩毅を、
「照れちゃって……可愛い」
 と評する珠樹だった。



 ところで、悪巧みを吹き込んだのは誰だろう。
 放課後、何時もの喫茶店に珠樹と寄ったが、どうも優希さんではないらしい。
 自分の知らない交友関係からも筋だろうかと納得したが、答えは意外な所で判明した。

「どうせ僕は駄目な日本人さッ!!」
「俺には、最早愛娘しかおらんというのに!」
 帰宅すると、いい年こいた男二人がクダ巻いていた。
「お義父さん、今夜はウィスキーで乾杯しましょう!」
「おおとも、とことん付き合うぞ!」
 台所では、夕食の用意をしてる真っ最中の母。
 帰宅の気配を感じ、振り返った母と目が合った。
 二人に見えないよう、悪戯っぽく舌を出す。似合うから困る三十代。

 ……黒幕はアンタか。




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